431話 趣旨を勘違いしています

 イーシュンの引き分けで会場は大いに温まり、次に水行の戦いが始まった。


 悪の女幹部ことリューリン・チャオ、対、夫の善戦で更に気合いが入る炎の料理人コルカ・レイ。


 体調万全、対策も練ってきたコルカは善戦した。

 リーチを活かした蹴りに特化したリューリンだが、コルカはこれに対して突破するという道を選んだ。元々彼女は近接戦闘で致命的な一撃を叩き込むインファイターなので、その武器を押しつけることを選んだのだろう。


 嵐のような蹴りの乱撃をコルカは息一つ乱さず、氣を凝縮させた手で弾いていく。並大抵なら既にガードしきれずに腕が腫れ上がっている所だろうが、元々がタマエ料理長に鍛えられ、料理人としての忍耐力と集中力もあり、自らの料理でコンディションを底上げまでしているコルカだ。ずしり、ずしりと彼女は着実にリューリンの懐に近づいていく。


「くっ、このっ、このぉ!!」

「すぅー……はぁー……」


 リューリンも狙いをずらしてガードを外そうとするが、コルカは氣を一切乱さないとばかりに静かな呼吸で動きを見極めていく。リューリンはそれでも更に氣を凝縮させた蹴りで何度もコルカを蹴って後退させようとするが、その度にコルカは強烈な踏み込みで合わせて衝撃を地面に拡散させる。

 しかもリューリンが蹴りの手を緩めて自ら距離を取ろうとすると、コルカは恐ろしく静かに、しかし迅速に距離を詰めてくる。二人の距離はやがて蹴りではなく拳の域に入ろうとしていた。


 限界が訪れれば、決壊するは必定。

 蹴りのリーチを活かせない所までリューリンが攻め込まれた瞬間、コルカはガードに徹していた己の拳を解き放った。


「懐、入った!!」

「舐めるな料理人風情がぁッ!!」


 そこから始まったのは、これまでのどこかもどかしい攻めとは打って変わった激しい応酬であった。

 近づいたことで自由になった拳を遺憾なく発揮しつつ蹴りも見せて徹底的にリューリンを追い詰めるコルカと、彼女の拳から逃れるために手刀、掌底、肘に膝などあらゆる手段ではじき返そうとするリューリン。


 流石は四聖拳というべきか、あれだけ蹴りに特化しておきながら一瞬でも気が緩めば容赦のない一撃を叩き込めるだけの地力と対策を感じさせる。しかし、高度な対策を練ったとしても、それを上回る練度をぶつけられれば結局不利になることに変わりはない。


 この試合、コルカの勝ちだと俺は思った。

 きっとコルカもそう思っていたのだろう。

 だが、如何に試合という形式でも戦いは戦いであり、どこで何が起きるかは誰にも分からない。


 応酬の狭間の刹那、リューリンの瞳に焦燥と恐怖を混ぜ込んだ炎が灯った。


「私は……負けられないのよぉぉぉぉッ!?」


 彼女が伸ばした手は――コルカの靡いた髪の毛を鷲掴みにした。


「ぁうッ!?」


 如何なる武人とて、不意に髪を掴まれれば動きは一瞬止まる。

 リューリンはその一瞬に全てを賭けるようにその場で軸足を中心に回転し、彗星の如き回し蹴りを叩き込んだ。


「ここだッ!! 計都的殺脚ッ!!」


 蹴りは無防備になったコルカの背中に直撃し、コルカは悲鳴すら上げられない衝撃に悶絶し、吹き飛ばされた。文句のつけようがないほど完璧に決まった一撃で吹き飛ばされたコルカはコロセウムクルーズのそれより広いステージの端まで吹き飛ばされて転がり、そのまま起き上がれない。


 俺たちは思わず立ち上がって審判に抗議した。


「おい、今明らかに髪を掴んだろ!! 五行試合でそれは反則の筈だぞ!!」

「僕にも見えたね。どうなんだ審判くん?」


 審判はそれを完全に無視してコルカの様子を窺い、立つそぶりが見えないと見るや即座にリューリンの勝利を宣言した。

 その横暴な態度に俺とアストラエは前に出ようとするが、立会人として近くにいたショウ師範が待ったをかける。


「そこまでにしておきなさい。五行試合における審判は前提として誰よりも公正な存在とされる。しつこく抗議すれば神聖な試合を邪魔したとして失格もありうるのですよ」

「しかしご老公、あれは明らかな反則だったぞ!」


 納得いかないアストラエに、ショウ師範は静かに首を横に振る。


「五行試合の審判は伝統的に一人。その一人の意見が全てです。見たところコルカ殿が髪を引かれた瞬間が、丁度リューリンの影に隠れて見えなかったのでしょう。見えなかったものを周囲の意見に合わせて『あった』と言うことは出来ないのです」


 会場に耳を傾けると、「どこ見てたんだ審判は!」「明らかに反則だろ!」「買収か!? リューリンに鼻薬嗅がされてんのか!?」と野次を飛ばす観客の声を浴びせられる審判は、努めて冷静な顔をしているようだった。

 アストラエの溜飲が少し下がったところで、ショウ師範が重ねる。


「五行試合の審判の責任は、恐らく貴方方王国人が考えている以上に重い。九割方そうだったのだろうと思ったとしても、確証のない判断は許されない。分かってあげなされ」

「……納得はいかん。いかんが、理解はしよう」


 運が悪かった、としか言い様がないのだろう。

 王国の御前試合やコロセウムクルーズでは複数人の審判役が存在し、判定に疑惑があるとそれぞれの目撃情報を統合して判断を下す。つまり審判全員で責任を分かち合うということだ。

 対して五行試合の場合、審判は一人なので全責任を一人で負わなければならない。何か一つ判断ミスや不備があったとしても、伝統的に全責任を負う審判は他の誰かに判断を任せたり相談することが許されない。

 そう考えると、審判の重責は如何ほどか。とんでもないブラック職場なので後でゴウライェンブ王に文句言っておこう。


 ともあれ俺たちは救護班に担架に乗せられたコルカの元に駆け寄る。

 コルカは痛みと悔しさに涙を流していた。


「うぇ……ひっく……えづく度に、腰がッ……負けるし腰やられるし、生き地獄だし……えっぐ、いぎぃ!?」


 本当に腰がヤバイのか、試合に悲しんでえづくたびに体が勝手に動いて腰がやられるという地獄の悪循環で悶え苦しむコルカ。おまけに相手は反則したのに勝ってるのだから余りにも哀れである。


 それにしても、勝つために反則も辞さないとは、ドンロウ一派の勝利への執着はそこまでか――と、俺はバン・ドンロウに駆け寄るリューリンを見やる。紙一重の場面ではあるが勝利を収めることの出来たリューリンは、普段の悪人ぶった顔ではなくあどけない笑顔でバンの前に膝をつく。


「バン様! このリューリン・チャオの勝利を貴方様に――」

「リューリン・チャオ」

「ははっ!」

「今このときを以てお前を四聖拳から追放する」

「は、え……」


 その厳かな声は、会場の喧噪すらかき消す程の威圧感を帯びていた。

 呆然とするリューリンを見下ろすバンの目は峻酷だった。


「勝利だと? たまたま審判が見落とした反則で掴んだ勝利で何を誇らしげにしておる? 会場の皆が納得しているように見えたか? 儂が喜んでいるように見えたか? 貴様は武人として最も醜い所業の一つを見せ、ドンロウ道場の看板に泥を塗ったのだ」

「なんで……バン様……? 勝利こそがこの道場の絶対の……」


 子犬のように震え、血の気が引いたリューリンに、バンは背を向ける。

 そこには明確な拒絶の意思が籠っていた。


「ドンロウ道場は強さを求める者の居場所だ。貴様が相手の水行の髪を引いたとき、そこにあったのは勝利への執着でも敗北への抵抗でもなかった。ただ今の地位を失う事への怯懦のみだった。そんな武人は聖拳を名乗るに相応しくない」

「ば、バンさ……」

「試合の結果は覆らぬ。破門せぬのはこれまでの貢献から来るせめてもの情けと思え。そして二度と儂の前に顔を見せるな」

「そんな……リューリンは、ただ道場の為に!!」


 追い縋ろうとするリューリンを、参加者以外の門弟が取り押さえて引き剥がす。リューリンは声にならない叫びを上げながら、会場の外へと連れ出されていった。しん、と静まりかえる会場を見渡したバンが口を開く。


「見苦しい所をお見せした。今後あのような臆病者が紛れ込まぬよう精進する。皆の者、どうか許して欲しい。そして会場に来たことを後悔させぬ高みの闘争を見せることをここに約束しよう」


 その言葉には、確かな誠意があった。

 会場を伝播した彼のメッセージは凍り付いた客達の喉を解きほぐしてゆき、やがて会場は当初の盛り上がりを取り戻した。

 やはりあの男、只者ではない。それだけの男が何故不正などと小賢しい真似を裏でしているのか理解に苦しむ程度には、彼は様々なことを弁えていた。


「読めない男だ、バン・ドンロウ……」

「まぁ、読めようが読めまいがこちらのやることに変わりはあるまい?」


 その場で軽くストレッチを始めたアストラエがそう言って笑う。


「試合結果は一敗一引き分け。良くない流れだがここを覆してこその天才アストラエだ」

「負けても良いぞ。俺とガドで一勝づつ取れば勝てるし」

「ほぉ、一層燃えてきたじゃないか。文句のない勝ち星を揃えてやろう」


 ばしっ、と自分の拳を平手に叩きつけるアストラエの全身に氣が漲る。


(……アストラエ、お前久々に生き生きしてるじゃないか)


 俺には彼のこの顔に心当たりがある。

 強すぎて張り合いのある相手のいなかったアストラエは、俺と初めて戦ったときもこんな顔だった。それにいつもならば勝利は決まっている、くらいの大口を叩くのに、今日のアストラエはそれを言わなかった。


 アストラエも感じているのだ。

 今回の戦いはもしかしたら敗北するかもしれない

 そして同時に彼はこう思ってもいる筈だ。


「面白い。面白いじゃないか!」


 ここには王子という立場を気にする人などどこにもいない。

 しかも頼れるものが拳だけで武器も一切ない。 

 それでいて敵は文句のつけようがないほどの強敵。


 普通なら敗北を恐れて逃げたがるのが普通だが、アストラエに限ってはそれはない。何故ならば、彼の人生は天才である故に退屈に塗れていたから。そして自らを打ち負かす強者を求めているのだから。

 勝っても負けてもアストラエには得しかない。

 ある意味最強のメンタルの持ち主である。


「木行、アストラエ! 出るぞ!!」

「おう、暴れ回ってこい」


 俺はアストラエのことは心配していない。

 勝つからとか天才だからとかではなく、どうなろうがそれで挫ける男じゃないと信じているからだ。

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