430話 SS:いつも感謝すべきです

 イーシュン・レイは感謝していた。

 道場の掟を破って破門にされながら、レイフウ道場の火行として戦いに参加出来ることを。


 イーシュンは子供の頃は体が弱く、武術など出来ないと言われていた。彼はそんな自分が嫌で嫌で仕方なく、様々な道場に頼み込んでは断られた。そんな中で唯一真面目に取り合ってくれたのがレイフウ道場のショウ・レイフウだった。


 師はイーシュンが戦える体に育つよう、両親に様々なアドバイスをした。

 幼い頃から鍛え抜くのではなく、これから育つ肉体をより頑丈にするという考えの基、薬膳料理や氣の練り上げなど基礎的な部分を補う方法で育てられたイーシュンは、今やそこいらの拳法家には後れを取らない戦士にまで成長できた。


 薬膳料理や漢方など子供の嫌うものをどうにかイーシュンに美味しく食べさせようとしたことで料理の腕が上がり、店を開くことになったのは予想外だったが、今ではそれも運命だったように思える。


 目の前には今、ドンロウ道場四聖拳のイェン・ロンシャオがいる。


「レイフウ道場を名乗りながらまともな門下生が一人もいないってのは笑えるなぁ。破門されたイーシュンくん?」

「せっかくの五行試合なのに相手が弱い方が嘲笑の的だろう」

「言うじゃねえか、次期店長」


 にやりと笑う凶悪な面構えに反し、イェンの氣の練り上げは精緻極まる。

 イェンの蒐氣による攻撃は、井拳功と呼ばれる古い修行の延長線上にある技だ。触れずして氣で物事に干渉する修行の中でも最も困難とされるそれを自らの必殺技にまで落とし込むだけでも異常なのに、イェンは二十代という若さでそこにまで辿り着いた。


 本人の才気、たゆまぬ努力、正しい指導、環境……あらゆる条件が揃ってこその彼なのだろう。

 イェンとイーシュンは店で何度か顔を合わせたことがあるが、会話らしい会話はしたことがない。それはイェンが食事は平和であるべきという拘りを持つからだ。だが、イーシュンは彼がコルカに舐め回すような、どこか熱のある視線を浴びせていたことを知っている。

 その予想は的中し、イェンは口を開く。


「この戦いに勝って、礼々軒を貰うぜ。従業員も丸ごとな。お前の妻は特に欲しい」


 イーシュンの心の中に、冷たく鋭い感覚が芽生える。

 この戦いとは五行勝負のことであり、個人戦でもある。

 すなわち、自分も勝つし仲間も勝つという勝利宣言と同じだった。


 礼々軒は道場とは直接関係ないにも拘わらず、堂々とコルカを狙っているとのたまうのは、イーシュンもコルカもレイフウ道場の門下生という扱いでこの戦いに出てきたからだ。イーシュンとコルカが従わざるを得なくなれば、両親も然り。


「だからどうした」


 想いは、そのまま言葉に変わる。


「負けなければいいだけだ」

「言うねぇ。しかもイイ目をしてんじゃねえか」

 

 不遜に笑うイェンは、嘲笑などしていない。

 本当に、これから行われる戦いを心底楽しみにしているのだ。

 これが慢心する人間、嗜虐趣味なだけの人間、才能だけで鍛錬を軽んじる人間ならば付けいる隙は幾らでもあろうが、そんな隙は彼にはない。バン・ドンロウが真の拳士に足る精神を持っていると判断したからこその四聖拳なのだ。


 故にこそ、故にこそ。

 イーシュンもまた怒りや焦りで戦ってはならない。

 最愛の妻を奪おうとする男に抱いた冷たい意思を心の底で鎮め、拳を握る。


 会場が熱狂に包まれる中――試合が始まった。


「ハァァァッ!!」


 瞬間、イーシュンの拳が目にも留まらぬ速さで振るわれ、イェンの顔、心臓、鳩尾脇腹に炸裂した。一瞬顔が跳ねたように見えたイェンは、口元を軽く切ったのか出血する。が、その血を舌で舐め取ったイェンはにやりと笑う。


「やってくれるじゃねえか! お返しだオラァッ!!」


 氣が滾るように膨れ上がり、放出されるのを寸でのところで見切り、脚を強く踏みしめる。ここに火行勝負に相応しい苛烈な戦いの幕が切って落とされた。


 出す、出す、速度自慢の拳を出す。

 以前は軽いと言われた拳だが、今では新たな境地に辿り着いている。

 奇しくも絢爛武闘大会前の小大会で戦ったあの鞭使いの男――王立外来危険種対策騎士団のキザ男であるウィリアム・プレステスとの戦いもヒントになった。


『速度は破壊力だ。後は当て方の問題なのさ……』


 イメージはここ連日の修行で形となり、イェンを襲う乱打と変わる。

 それは、拳で行われているとは思えない弾幕のような拳だった。

 今まで速度を重視した氣の練りをしていたやり方を考え直し、必要最低限の氣で最高の速度を維持する形に変更。その上で――敵と衝突する拳の先に氣を集中させ、命中と同時に弾けさせる。


「オォォォォォォォッ!!」


 バババババババッ!! と、命中した拳から破裂音が連続で響き渡り、イェンの体がみるみる腫れていく。それだけではない。イェンも氣で身を守ってはいるが、命中する度に氣と氣が干渉してそこに緩みが生まれている。そこを更に殴ればダメージはより深く、乱れる氣もより大きくなる。


 ただヒットアンドアウェイに徹していた頃とはもう違う。

 まるで毒蜂のように、その痛みと衝撃は敵を蝕むだろう。

 ここに、イーシュン・レイの真の戦い方は完成した。


 されど、イェン・ロンシャオは。


「バチバチバチバチ……うるせぇ奴だぜッ!!」


 幾多の戦いを経て自らの型を極めたイェンは、崩せない。

 ガードに徹するふりをして視界の外で練り上げられていた彼の氣が、突如として放たれる。触れずに氣を当てる井拳功を、彼は最小限の動きで放ってきたのだ。攻めに集中していたイーシュンは反応が遅れ、それが腹部に命中してしまう。


「……ッ!!」


 氣でガードはした。

 彼としても必殺のつもりではなく牽制で放った技だったろう。

 それでも、その痛みは激しく響いた。

 

「そろそろ、反撃させろやぁッ!!」


 咄嗟に身を翻した時には、拳の乱打を器用に潜り抜けたイェンの井拳功が迫っていた。回避するが間に合わず掠り、応戦の拳を放つも今度はイェンも同性質の氣を手に纏わせて相殺してくる。全てではないにしろ氣の乱れを起こしやすい胴体に辿り着かせて貰えない。


(あれだけの痛みと氣の乱れに苛まれながら、この一瞬を起点に反撃に転じる為に準備していたのか……!!)


 なんという冷静さ。

 なんという周到さ。

 本格的な乱打戦になれば自分が勝つと確信した、心の強さ。

 負けてなるものかとイーシュンは歯を食いしばって乱打に応じる。


「チェアアアアアアアアッ!!」

「そんなもんで、俺が怯むかよぉぉぉぉッ!!」


 拳、肘、蹴り、手を伸ばせばすぐに相手に触れるほどの距離で激しい応酬が繰り広げられる。紙一重で躱し、見切り、相殺し、相手を食い破る隙を狙う。一見すれば互角に見える戦い――しかし、同じ間合いで戦ってもイェンの氣は射線から逸れなければリーチが届かなくともダメージを受けてしまう。追い詰められているのはイーシュンだった。


(距離が、取れない。リーチと速度を活かせない! 分かっていて、この男はやっている……分かっていてこういう攻め方をしている!!)


 不意に、予想だにしない角度から氣の塊が命中し、悶絶する。

 

「手からしか打てないとは言ってないぜ」

「脚、から……!!」


 この近接戦闘の中で、腕と脚のそれぞれピンポイントの場所に氣を収束させて放つともなると、もはやこの男相手ではどこにも氣から逃れられる逃げ場がない。

 彼の氣を貫くほどの剛氣を持たないイーシュンにとっては絶望的な展開だ。

 肉体のあちこちが激しい氣の乱れを起こし、体力が奪われていく。

 消耗戦になれば、体力も体格も上のイェンに勝ち目はない。


(ここまで、やってきたのに……師範に恩も返せず、両親に勝利する姿も見せられず、ただ無様に負けるのか、俺は)


 敗北に意識がゆくと、負ける言い訳がすぐに浮かんでくる。

 自分が負けても王国の天才や世界チャンプが控えているのだから、彼らが勝てば。いや王の計略が上手くいけば、自分は負けても――それに、前線を退いてからそれなりに経ったつけや訓練相手が少なかったことを鑑みれば、順当な結末かもしれない。


 イェンの拳が低く構えられる。

 避けようとするが、氣の乱れで動けない。


「大した拳だったよ、お前。終わったらドンロウ道場に来な。代わりの嫁さん探してやるからよッ!!」

(嗚呼、我が妻よ、コルカよ)

「辛鎧掌ォッ!!」

(情けない夫で、すまない)


 爆炎のような氣が、イーシュンの胴体を突き抜けた。

 全身の氣が致命的に乱され、体を支える力が寸断されていく。


 ――。


 ――。


 混濁する意識。

 夢でも見ているのだろうか、自分は。

 いや、違う。

 この光景は見覚えがある。


『はーいお待たせ、ご飯ですよー!』

『相変わらずイーシュンだけちょっと別メニューだな。夫婦仲がよろしいようで何よりだ』

『か、揶揄わないでくれよアストラエ!』


 今朝、いや昨日、それとももう少し前か。

 道場で泊まり込みの間、コルカが料理を作っていて、イーシュンも手伝っていた。

 しかし、イーシュンの分の食事だけは自分が作ると頑なにコルカは主張していた。


 香り、見た目、湯気、味――五感を揺るがす総合芸術、料理。


 何故コルカがイーシュン用の別メニューを要したのか、料理を食べれば理由は分かる。

 いつ食べても抜群に美味しい手料理だが、その中には薬膳の考えを基底に置いて計算され尽くした食材の面影があった。イーシュンくらい彼女の料理を食べ続けていなければ気付かなかった程度の、それでいて料理の美味しさや奥行きとも絡み合った料理だった。


 コルカもイーシュンもそういったことは考慮して皆に食事を振る舞っていたが、コルカは夫として共に過ごしたイーシュンの体調や必要な栄養をより知り尽くしていたのだろう。ほんの僅かにでも、ほんの少しでも、これがイーシュンの力になればと。


 彼女は勉強熱心で、特定の食品が肉体に取り込まれて体に作用するまでの時間がどれくらいかまでをも独自に研究していた。栄養と栄養の食べ合わせや、何日前から摂取すれば効果が最大になるか、そこに至るまでの最適な間食は何か……彼女も凄いがそれらの知識の根底には彼女の師たる料理人の底知れぬ知恵が見え隠れした。


 昨日はあれが入っていた、一昨日はあれが入っていた、と、料理を思い出していく。そして、それらが気付けば一つの大きな流れになっていることにイーシュンは気付く。あれは、試合の瞬間に効力を発揮し出すよう計算されていたのではないかと。


 ならば――。


 この拳は、もう少しだけ握っていられる。


 視界が戻ると、そこには拳を突き出したまま唖然としたイェン・ロンシャオの姿があった。

 拳を握り、氣を込めると、内から湧き上がる活力が力添えしてくれる。


「なっ、俺の本気の辛鎧掌を――」


 受けて何故立っていられるのか、と聞きたかったのだろう。

 彼にとってトドメを刺せる会心の一撃であったが故に。

 理由を教えてやってもいいが、喋る暇がない。

 イーシュンは身を捻った作用で突き出す拳を更に加速させ、イェンの顎を穿った。


「ガッ!?」


 イェンは目の焦点が一瞬合わなくなるが、すぐに復活する。彼が気を強く持っていたことと、拳の切れが良すぎて逆に意識がすぐ戻ってしまったのかも知れない。しかし、最後の一撃を叩き込むには一瞬あれば充分だった。


(全ての氣と、全ての感謝をこの拳に……)

「ま……負けるかよぉッ!! 割兜功ッ!!」

「双天咬穿掌ォッ!!」


 イェンは、一瞬失った意識のせいで下がった腕は間に合わないと判断し、額に収束させた氣を頭突きのように放つ。

 そして、ダメージで脚が動かなかったイーシュンの両拳はイェンに届かず――しかし、極限まで収束させた氣は拳を離れてイェンの胸部を貫いた。


 イーシュンはその結末を知らないまま意識を失い、イェンも立て続けに受けた致命的な一撃に氣の維持が出来ず、崩れ落ちる。


「お、お前も……使うの、かよ……? 店を、あの娘を、手に入れ……筈、だっ――」


 まさかそのコルカの振る舞う料理が勝敗を分けたなどとは思いもしないまま、イェンは力なく床に口づけし、そのまま動くことはなかった。


 会場は一瞬、静寂に包まれる。

 やがて審判が引き分けを宣言したことで、ぽつり、ぽつりと観客が声をあげ、それは次第に周囲に伝染していった。


「あ、相打ち……」

「ドンロウ道場の四聖拳相手に……?」

「初めてだ……史上初だ!! あいつ凄ぇじゃねえか!!」


 それが会場に熱狂を取り戻すことに時間はかからず、そして控えていた仲間達に助け起こされた二人が医務室に運ばれてもなお、その熱は消えることはなかった。


 火行対決、引き分け。

 これによりドンロウ道場は今後二敗した時点で敗北が確定することとなった。

 バン・ドンロウはその様子を見て――何の憂いも感じさせない不遜な笑みを浮かべた。

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