416話 お前らのせいです

 皇都は世界を見渡しても類のない大都市だ。

 歴史、規模、人口、どれを取っても群を抜き、更には今まで一度たりとも魔物にその領分を譲り渡したことがなかったことから『魔の寄りつかぬ聖なる都』と呼ばれたこともある。


 しかし、所詮それは確率の問題だ。

 無敗とは、ただ負けた経験がないだけだ。

 他の都市に比べてそうした事態に陥りにくかったからそうならなかったというだけの都市は、今、たった一つの怪樹に右往左往し、民は王を讃える舌の根が乾かぬうちに罵詈雑言を皇家に浴びせた。


 この短期間に度を超した王への暴言や暴力、嘘の情報で騒ぎを煽動する者などは数知れず、捕えられた不敬者を叩き込む留置所の収容量が限界に近づく様に衛兵達は頭を抱えている。


 しかし、その苦労も今日でひとまずの区切りを迎える。

 これが終われば全てが解決するものではなく、むしろ終わってからが大変だが、まずは怪樹をこの町から排除しなければ話が始まらない。現場の人間は特に、それをよく知っていた。


 今回、指揮系統は少々ややこしい。

 本来、皇国のような大国の首都で起きた事件であれば、皇国の力で解決してこそ面目が保たれるもの。しかし、この事件が起きた際に偶然にも王国とのトップ会合中で、しかも王国の主賓クラスの人間が当事者となってしまったため、作戦には王国が介入していた。


 最高指揮官はルネサンシウス騎士団長だが、その隣には王国第一王子イクシオンの姿がある。あくまで命令はルネサンシウスが出すが、王国の兵が参加している以上はイクシオンの意見をルネサンシウスは無視できない。


 これは、本来あまり良くない形だ。指揮系統の混乱を避けるなら、横やりを入れる人間はいない方が良い。しかし如何に他国の人間とは言え王家の血筋を無碍にすることは叶わない。


 皇国騎士たちは、余所者の権力者が余計なことを、我々の足を引っ張りはしないだろうな、と内心では心配事が多い。しかし、ルネサンシウスは既に作戦会議より前に王家と皇家の極秘会合に一枚噛んでおり、口裏は合わせている。


 どんな状況でも揺るぎない態度を取り繕えるルネサンシウスの姿に、団員達の動揺や不安も抑えられる。


「百戦錬磨のルネサンシウス団長が文句も言わないってことは……」

「我々がうだうだと文句を言うことではない」

「団長を信じて職務を全うするぞ」


 古き権力も悪い事ばかりではないな、とルネサンシウスは内心で苦笑した。


 ジュボッコを半円状に取り囲む陣形は、最前列こそバリケードなどで防御を固めているが、他は弓、投石、を中心にとにかく数を揃えており、その辺のがらくたや空の酒瓶など投げやすいものなら何でも良いという状態だ。

 例外として、パイプ槍を装填した固定式の弩弓だけは、その殺傷性能を誇示するかのように斜陽の反射でぎらりと輝いている。


 張り詰める異様な緊張感――騎士はもとより、協力する冒険者やスラムの自警団も見てくれはラフながら臨戦態勢に入る。


 そして、作戦開始を告げるラッパが皇都に響き渡った。


「構え、放てぇぇぇーーーーーッ!!」

「出し惜しみなしだ、全力で投げまくれ!!」


 瞬間、ジュボッコに夥しい投擲と射撃が降り注ぐ。


 ジュボッコは接近を感知して木の上部から一斉に蔓を動かして迎撃に当たる。蔓は、本体の巨大な姿からは想像もつかない精度で投擲物を弾き、或いは叩き落としていく。


 そんな投擲物に混じって飛来する矢がジュボッコの蔓を貫き、樹木に刺さる。矢は発射前に鏃を熱しており、普通の矢よりよく刺さり、ジュボッコを小さく焼く。これは冒険者の発案であり、相応にランクの高い弓使いたちがしっかり大きな的に命中させていく。


 一方、質が冒険者なら量は騎士団。

 より高性能な弓矢を抱えた騎士団は、多少威力と命中精度には劣るが同レベルの攻撃をジュボッコに与えていた。

 ただし、ジュボッコへの影響は極めて軽微だ。


「くっ、生物としてのスケールが大きすぎる! ひっかき傷程度の効果さえ出ているか怪しいぞ!?」

「構うな! あの蔓を一本でも多く消耗させろ!」

「また蔓が新しく生えてきたぞ!」

「蔓一本生やすのにもエネルギーを消耗している筈だ! 我々の目的を忘れるな!」


 動揺はあるが、士気はなんとか維持される。

 と、ジュボッコを十字砲火する陣形の丁度対角に位置する場所に別の班が現れる。バーナード率いる少数部隊だ。自警団アンティライツのリーダーであるドルファンなどの力自慢も共におり、その背後には積み上げられた大量の木箱がある。


「俺たちもやるぞ! 一斉に転がせ!!」

「おうよ!!」


 バーナードの指示と共に、屈強な男達は箱の中身をジュボッコに向けて次々に投げ飛ばす。箱の中身は、騎士団の持っていた大砲の弾だ。地面に落ちた砲弾はゴリゴリと音を立てて転がっていく。

 大砲の弾というのは結局のところ、丸い鉄の塊だ。帝国では既に大砲の弾は丸くないのだが、時代遅れの皇国式大砲はまだ丸かった。それが逆に功を奏した。


「ジュボッコが下から上へ昇ってるなら、ここは傾斜地。だったら傾斜の上から鉄球を転がせば地形に沿って勝手にジュボッコの方へ向かってくれる。照準を合わせなくて良いってのは楽だな!」


 坂道で果物の沢山詰まった荷物を落としたときに中身が盛大に坂を転がり落ちる様を思い出し、バーナードはこの作戦を思いついた。鉄球は果実と違って叩かれても壊れず、ジュボッコの栄養にもならず、しかも重いのでジュボッコが人に向けて跳ね飛ばすのも難しい。


 どうせ使わないだろうと――一応これは許可を得て――大量に持ち出した鉄球たちは、一見すると人にとってはそれほど意識するものではない傾斜を転がり落ちていく。

 ジュボッコは当然それも動くものと認定して迎撃するが、地面を一斉に転がる上に跳ね飛ばして上にやっても時間が経てば傾斜を利用してまた転がり落ちてくるのでキリがない。


 これが舗装の程度が悪い道であったなら途中で鉄球が止まることもあるだろうが、美しさと威厳のために高い技術で舗装された皇都の通りは鉄球達の転がりを邪魔しない。結果としてバーナードの部隊は少数ながらかなりの蔓のリソースを無駄遣いさせることに成功していた。

 その姿を見たルルがきゃっきゃとはしゃぎ、セフィールとマナは呆れる。


「あれよあれ! 皆がアレしかないコレしかないって頑張ってるときにするっと抜け道見つけるの!! くぅ~、それでこそあたしのバーナード!!」

「遂にルルちゃんの所有物にされてるけど……」

「それより、そろそろパイプ槍の時間」


 作戦開始の時とは違う音程のラッパが響く。

 これが『魔女の井戸』封じのパイプ槍発射の合図だ。

 パイプ槍だけは何かの拍子に外れたり跳ねると死人が出る可能性があるため、発射前の合図は必須だった。全員が投擲をしつつも身を守る準備をし、そして弩弓が一斉に鈍色の槍を解き放つ。


 バヒュヒュヒュヒュッ!! と、大気を切り裂いてパイプ槍が一斉にジュボッコに殺到。命中率はおおよそ80%。パイプ槍から水は――出ていない。ちっ、と誰かが舌打ちしてパイプ槍に張られていたワイヤーを一斉に引き抜く。


 いくつかはワイヤーが切れ、或いはパイプ槍そのものが折れて無駄に終わるが、一部の引き抜いた場所から水が漏れるのが確認される。


「あの場所は脆いぞ!! 水漏れ箇所を重点的に狙え!!」


 実際に脆いのかどうかは確認しない。この状況下で百点の弱点など探す余裕はない。故に、最も効果のありそうな場所に、最も効果のありそうな攻撃をひたすら叩き込む。


 即座に第二射の準備が始まる。

 ジュボッコは強い衝撃に少々ながら命の危機を感じたのか、その巨体をゆっくりとだがくねらせる。ただし、それは弩弓の照準から逃れられるほどのものではなかった。


 第一射に比べて第二射は少々各弩弓の発射タイミングのずれが大きかったが、集弾率は明らかに第一射より良く、九割以上が命中する。そして、今度はワイヤーを引き抜かずとも一部のパイプから勢いよく水が吹き出た。

 ワイヤーを用いて引き抜けば、その穴は更に増え。まるで噴水のような勢いで水が漏れ続ける。


 ジュボッコはその穴を塞ごうとするが、『魔女の井戸』の蓄えが多すぎたことが災いし、更に井戸の穴が鉄パイプであることもそれを塞ぐのを困難にした。更に第三射が降り注ぎ、ジュボッコの体から漏れ出る水はいよいよ防ぎようのないものとなった。


「やったな、これで魔女の井戸は使えない!!」

「いや、完全じゃないだろう。でも使える水量は相当減った筈だ!!」


 同刻、この皇都の中にジュボッコとは違う数多の生物の気配が蠢いた。それは人ではないが、主命を受けてジュボッコに仇なそうとする者たち。作戦の第三段階で活躍するつわのもたちである。


 その存在に気付かず、作戦参加者たちの投擲は続く。

 ただし、流石に投擲物が尽き始めたのか各班から合図が出る。その合図が一定以上の数になると、作戦は次の段階へと移る手はずになっていた。


 やがて、三度目のラッパが戦場に響く。

 虫の魔物を用いる突入班が突っ込んでくる合図だ。

 作戦参加者たちがせめて手に持つ最後の投擲物はぶつけてやろうと投げる中、その彼らの合間を縫って、黒い影が具現化するように一斉に吹き出た。


 その正体を知る者たち全員が、凄まじい生理的嫌悪感に襲われる。


「ご、ごごごごご……ゴキブリぃぃぃぃぃッ!!?」

「いやぁぁぁぁぁ!! いやぁぁぁぁぁぁ!!」


 それらは全て、この皇都の全家庭及び地下水道から集結したゴキブリの大群。

 操るのはスパルバクスたちだ。

 周囲の作戦従事者からは見えない場所から騎士の護衛を受けて虫を操るスパルバクスは、にやりと笑う。


「ゴキブリはいい。都市であればどこでも見つけて数を揃えられるし、何より素早い。幾ら無駄遣いしても勝手に増えるし、ゴキブリ様々だ」

(前線の参加者たちよ、安全圏から眺めていてすまない……)


 護衛兼見張りの騎士が、悪夢のような光景に害も受けてないのに悲鳴を上げる者たちに同情と申し訳なさを抱く。敢えてフォローするならこれから暫く皇都のゴキブリは一気に姿を見る機会が減るだろう。どうせまた油断した頃に増えるが。


 人のいる所ゴキブリあり。

 それくらいゴキブリと人の関係は深い。

 というのも、家庭内で出現するゴキブリは、自然界で暮らすのではなく人の住居に住み着くことで繁栄した種類なのだ。ゴキブリを育む人がいる限り、ゴキブリの繁栄も止まらないのである。


 夥しいカサカサという足音とブブブ、と空を飛ぶ音が響き渡り人は阿鼻叫喚。ジュボッコも限界まで蔓を酷使してゴキブリを迎撃するが、なにせ的が小さく数が多いので翻弄されているように見える。

 ちなみに自然界のゴキブリは木も食べるが、基本枯れた部分がターゲットなので青々としたジュボッコは彼らの食指が動くものではなさそうだ。


 ただ、人間の精神的にはここは地獄である。

 足下を少しずらすだけでゴキブリは自分の足を這っていったり踏み潰してしまうのは勿論のこと、蔓に弾き飛ばされて死んだゴキブリが体からなにやら白いものを漏らしながらたまに飛んでくる様は、もはやこの世の終わり。一応感染症対策ということで一定の距離を取るよう伝えられていた作戦従事者たちは、申し訳程度にゴキブリの空けてくれた撤退ルートを辿って一斉に撤退した。


 言うまでもなく、ジュボッコ討伐が終わった暁にはこの辺り一帯は徹底した焼却、消毒処理が施され、ゴキブリの怨念を祓う為に女神教の祈祷が念入りに行われる予定である。


 そんな地獄の光景を予見していた数少ない三人の騎士は、うわぁ、と表情を歪めながら呟く。


「予想はしてたから撤退の助言しといてよかった……都市部で大量に用意できる虫とか他に思いつかないもの」

「僕、今宵はちょっと安眠できる自信がないな。全員感染対策のマスクはいいな?」

「問題ありません、王子!! というかとっとと終わらせて撤退して衣服を全て処分して身を清めましょう!!」


 いよいよ、作戦も佳境。

 ヴァルナ、アストラエ、メンケントによる、真の『ジュボッコイーター』速達便の出番である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る