412話 戦慄を覚えます

 アストラエは、孫ルバクスの引き渡し協議が皇国で行われると知ったときからずっと懸念していたことがあった。それが、引退した方のスパルバクスが後継者の命を救うために再び動き出し、それによって婚約者のフロレンティーナが危険に晒されるのではないか、ということだ。


 だからアストラエは秘密裏に何度も孫ルバクスに会っていた。

 幸い、王国は孫ルバクスから知識を頂く方向性で話を進めていたため、実りのある話をすることが出来た。そして、王国出立の前には既に、孫ルバクスがその類い希なる操虫術を王国に提供する代わりに、王国内での一定の自由を認める方向で合意が為されていた。


 しかし、それはあくまで王国内の法律の話。

 もし皇国側の手を政治的に逃れられなければ全ては元の木阿弥だ。

 故に、王国が皇国側から条件をもぎ取れた暁には、孫ルバクスはアストラエとスパルバクスを会わせる仲介役になるという取り決めを行っていた。今回のこれは、それに上乗せする形の要求であるため、アストラエはその条件を呑んだ。


 ――というのが事の顛末らしい。


「既に内々で話は済んでおり、孫ルバクスは王国側で面倒を見ることが決まっている。それに、この孫より高い技術力を持っている人間を海外に置いたままでは憂いというものもある」

「王国で操虫術を独占しようってことか?」

「まぁね」


 悪びれもしないアストラエだが、俺としては複雑な気分だ。


「スパルバクスはこれまで幾度となく要人暗殺を実行してきた犯罪者だ。普通なら斬首は免れない。その罪を海外でさっぱりなかったことにしようってのは、俺は納得しないぞ」

「分かっているとも。国に奉仕をして貰うことは決定だが、未遂で死者も出してない孫とは扱いは別だ。真面目に協力するなら多少の安らぎは提供するが、彼の生み出す一切の利益と名誉は国が貰い、スパルバクスの名は王国の歴史に一度たりとも刻まれることはない」


 聡いセドナはその意味に気付き、はっとする。


「いないものとして扱うってこと……? どんな画期的発見で人を助けたとしてもスパルバクスの名はどんな書類にも残らない。死んでもお葬式もしなければお墓も建たない……?」

「死体は皇国に送る手はずだ。それだけは皇国も頑として譲らなかった。暗殺者に幸せな最期は許さない、死体まで利用して、惨めな最期だったと大々的に発表するそうだ」

「……そう、かぁ」


 セドナはそれに何も言わなかった。

 彼女も犯罪者を取り締まる身として綺麗ごとばかり言える立場ではない。俺は犯罪者相手でも情状酌量の余地があれば多少は救いの手があるべきだと思うが、スパルバクスの罪はとても多少の善行で贖えるものではない。

 何も言わずに先導する孫ルバクスに、俺は問う。


「それでいいのか、お前は?」

「じぃじは……暗殺者だ。暗殺者に幸せな未来はないっていつも言ってた。だからむしろ、俺という後継者を残して死ねるんなら幸せな方なんだよ。プライドを捨てて生きて欲しいっていう俺の我が儘にじぃじは巻き込まれるのさ」


 その言い分から、俺は孫ルバクスがスパルバクスの、スパルバクスが孫ルバクスの人質として機能するように王国が考えていることを悟った。そして、スパルバクスが先立った時に彼がどうなるのかと、少しだけ心配になった。

 その心を見透かしたようにアストラエが鼻を鳴らす。


「僕の目が黒いうちはつまらん謀略など許す気はないぞ。どちらに対しても、だ」


 王族としての威厳が籠った一言を、俺は信じることにした。


「ところで孫ルバクス」

「なぁ、その孫ルバクスってやめてくんない? なんかすげー間抜けだから。襲名前はカリムって呼ばれてたからそっちにしてくれ」

「分かったよ、カリム。で、なんかスラムに向かってない?」


 俺はてっきり馬車で移動するものと思っていたが、現在五人――メンケント含め――は徒歩でスラム街へ向かっている。


「……もしかしてスラムにいんの? スパルバクス?」

「皇都にいるとは思わなかったか? 逆だよ、辺境の方が目立つ。ここで無気力な人間のフリしてた方が過ごしやすいだろ? にしても俺も何年ぶりかな~。ダチ元気かなぁ。ゴリラ女のルル、悪党バーナード、嘘つきミリオと腹黒シュタット! じぃじの事はシュタットにだけ教えてるんだ。じぃじも歳だしな」

「わーい、全員聞いたことあるー」


 衝撃的な世間の狭さである。

 しかし、彼らはカリムの事を何も言っていなかったが。


「ああそりゃ、シュタット以外とはそこまで頻繁に顔会わせてた訳じゃないし。それに操虫術をおおっぴらに見せびらかしたこともないから、シュタット以外にとっては大勢居るそこそこ仲の良い仲間の一人さ。そしてシュタットは付き合いの浅い奴に俺のことをわざわざ話すほど親切じゃない」

「その辺は弁えてたってことか」


 確かに暗殺者が暗殺術を堂々と見せつける訳はないし、それをおおっぴらに話すような人間に秘密は教えないか、と納得する。実際、操虫術を除けばカリムはただの年頃の若者感がある。

 暫く進んでいると、聞き覚えのある声がスラムに響いていた。


「バカボケアホナススカポンタヌキ!! だから騎士団なんてやめときなってあれだけ言ったのに案の定続かなくて帰ってきてるじゃない! あー損した! あんたすっごく時間を損したわよー!」

「い、良いじゃないか別に。騎士続けてたからこそスラム守れたんだし」

「いーえースラムに残ってたらそんなことしなくても三倍速く気付いて対策取ってましたー!!」

「諦めなよバーナード、こうなると君に勝ち目はない」

「はは、言えてるぅ」


 そこには、あの森からスラムまで戻ってきていたルルと、彼女に言い負かされて納得出来なそうな顔のバーナード。そして見物に回るミリオとシュタットの姿があった。バーナードは一つ大きなため息をつき、彼女に頭を下げる。


「分かったよ、俺が間違ってましたゴメンなさい!」


 頭を下げながらバーナードがちらりとルルの顔色を窺うと、ふくれっ面で腕を組んだルルは満足したようににかっと笑ってバーナードの頭をばしばし叩いた。


「分かれば良いのよ、分かれば! でも暫くは反省としてアタシの付き人やりなさいよね! これ命令だから!」

「出た、ルル必殺の何の根拠もない命令!」

「いーやあるわよ。このルル様が命令してるんだから!」


 ふん、と不敵に笑うルル。

 機嫌の直った彼女はふとこちらに気付く。


「あ、王国の頭おかしいのと金持ちそうなの。なんか人増えてるし」

「てかおいシュタット、あの首を縄で繋がれてる奴って見覚えないか?」

「見覚えって……ほら、あれはカリムですよ。一年前に旅に出るって言ったっきり何処をほっつき歩いてたのかと思いきや、王国で御用になってたようですね」


 丁度いいところに、丁度いい面子が揃っている。

 最近荒れてた運命の女神も少しは忖度したのだろうか。

 俺はバーナードになんと声をかけるか迷ったが、一応騎士の端くれとして言うことは言っておくことにした。


「命令無視、機密漏洩、騎士団脱走に横領。罪は軽くないぞ」

「げっ」


 忘れてた、とばかりにバーナードの顔から血の気が引く。

 彼の経緯は少し前に知ったが、ここまで本性が悪ガキだとは思っていなかった。

 騎士として、この罪人はとっ捕まえるべきだろう。


「……が、装備品の紛失も命令無視等も、今回はルネサンシウス騎士団長が全部責任を負うと自分で言い出してるそうだ。なので俺はここで君をどうこうする気はない」

「そ、それは有り難い話ですね。流石の俺も貴方相手だと逃げ切れそうにないし……」

「ただし、このまま悪びれもせずにいるのであれば俺の気も変わる」


 バーナードの前にルルが庇うように前に出るが、俺も半端な気持ちで罪を逃れて欲しくはないので視線を敢えて厳しくする。やがて緊張感からバーナードが生唾を飲込んだ辺りで、俺は視線の険を解いた。


「あの怪樹ジュボッコを枯らすための作戦にしっかり協力しろ。アンティライツ全員なんて贅沢なことは言わない。お前が、お前の出来るベストを尽くせ。それで俺も納得する」

「……はい」


 相手が悪いと感じたらしいバーナードは素直に頷いた。

 ルル、ミリオ、シュタットは顔を見合わせ、大きく息を吐く。


「はぁぁぁ~~……ちょっとヴァルナ! うちのバーナードをあんまり脅かさないでよね! 本気で連れて行かれるかと思ったじゃない……」

「本来ならしょっ引かなきゃならんだけのことはやらかしてるんだ。ビビって貰わないと法規の立つ瀬がないだろ?」

「あの、ヴァルナさん。俺らも手伝っていいっすかね?」

「バーナードの出来るベストってことは、バーナードの交友関係も含めての力でしょ? それに……」


 シュタットの視線は縄で首を繋がれたカリムに映る。


「彼がそんな姿でいるのも、ちょっと心苦しいですから」

「そう言って貰えると嬉しいよ」

「カリムのおじいちゃんも、心配してることでしょうし」


 シュタットはバーナードのこととは別に、おおよそカリムの姿から状況を予想出来たらしい。他のスラム組が不思議そうな顔をしたり「捕まってやんのウケる」とカリムを揶揄う中、俺は「じゃあおじいちゃんに会いに行こうか」と提案した。




 ◆ ◇




 道中、俺はスラム組に皇国上層部であった情報をかみ砕いて伝えた。


「あのジュボッコを仕留める為に騎士団が強攻策に出れば、スラムにどんな害が及ぶか分かったものじゃない。しかし王国がこの件に関与出来るのはほぼ今日いっぱいまで。だからジュボッコを今日から明日にかけての間にどうにかしておきたいと。はぁ~……ヴァルナさんってちょっと人が良すぎませんか?」

「気になることには首を突っ込む性分なんだよ。アストラエとセドナもな」


 隠し事がなくなってアストラエが王子であることもばらしてある。

 バーナードは難しい顔をした。


「皇国の上の連中はスラムがどれだけ酷い目に遭っても胸の痛まない連中ですから、確かに強攻策をとられると困りますね。特にジュボッコの吸う水を断つための断水はヤバイです。この町、飲み水はほぼ水道に依存してますから」

「そうか。スパルバクスが快く協力してくれればいいんだがな……」

「それについては俺、未だに信じられないんですけどね……」


 後頭部を掻いて釈然としない顔をするバーナードに、ルルとミリオが同意する。


「ほんとよねー。まさかあの伝説の暗殺者の後継者がカリムってねぇ」

「皇国貴族に死ぬほど恨まれてるスパルバクスが皇都に隠居してたってのもビックリすぎるんだよなぁ。なんでシュタットは知ってたんだよ」

「僕、これでもカリムとこの町で一番最初に友達になってるからね」


 自慢げにメガネを上げるシュタットが先行するのは、地下トンネルだ。下水道に出来た綻びのような壁の隙間から入れるそこは元々スパルバクスが虫を使って掘らせた穴であり、奥の隠れ家から更に町の外まで通じているらしい。スパルバクスは現在ここから虫を放って、シュタットの助力も含めて生活の糧を得ているという。


 暫く進むと、突然明るい場所に出た。

 空気もここだけは新鮮に感じる。

 側面は土で、足下には草も多少生えていた。

 シュタットが振り向いて場所の説明をする。


「ここの天井は吹き抜けになってて、外から新鮮な空気が入るんです。なんでもその昔、都市開発時に一カ所だけ持ち主が国に売らない小さな土地があったらしく、当時の行政がその土地の四方を高い建物で完全に囲って侵入不能にしたことで土地の持ち主を封殺するというとんでもないパワープレイをしたそうです」


 カリムが懐かしそうに周囲を見回す。


「おかげでここに穴が空いてても誰も確認のしようがないって訳よ。くぅ~、帰ってきた感じするなぁ!」


 流石に日光の差し込む時間はそう長くなさそうだが、それでも地下に潜りっぱなしよりは日光と青空を感じられる方がいいだろう。雨が降った際に備えてか、雨水を地下水道に流す簡易水路まで掘っているようだ。この穴から上の都市に虫を放つことも出来るのだろう。

 アストラエが感心したように上を見上げる。


「凝っているものだ。流石は今まで生き延びてきただけのことは……おおッ!?」

「どうした、妙な悲鳴上げて」

「いや、上を見上げていたせいでうっかり足下の確認を怠ってな。この地下に頑張って生えている尊い雑草を全力で踏み潰してしまった」

「アストラエくん、そういうの良くないと思うなぁ。単純に不注意だし」

「いや、本当に申し訳ない――うおッ!?」


 今度はアストラエの足下が滑る。

 転びそうになったアストラエは咄嗟に剣の鞘を壁の土に突き立ててなんとか転倒を免れるが、引っこ抜いた剣の鞘に付着した土を振り払ってため息を吐く。


「僕としたことが、柄にもなく緊張しているのかもしれんな」

「暗殺者スパルバクスとの対面か。あちらからすればお前もまた因縁の相手だしな」

「そうなのだよ」


 懐から香炉を取り出して中身にマッチで火を付けたアストラエは、その香りで自らを落ち着かせようとしている。

 多分こいつフロルのことで不安になったときもこれで気持ちを落ち着かせようとしてたんだろうな。前の婚約者騒動で過去の悪事を暴露するときに飲んでいたハーブティーと似たような香りがするし。


「すぅ……はぁ……ふぅ。今回はフロルからきっぱり手を引いて貰う為にもバシっと決めねばならん。前々からそのことが不安でもあったしな」

「愛だねぇ」

「ほほう、愛ですかぁ」


 ほのぼのと呟くセドナに、ルルが興味ありげに肩を寄せていく。

 例に漏れず、彼女も他人の色恋には首を突っ込みたい性質らしい。


 と――洞窟の奥から足を引きずる音がして、全員が奥を見る。


 俺は、戦慄した。

 何故なら、からだ。

 その男は足を少し引きずりながら、ゆっくりと、ゆっくりと光の下へと近づいていた。


 アストラエが手を挙げる。

 全員下がって欲しいという意思表示だ。

 カリムとシュタットを含め、全員がアストラエの後ろに行く。

 メンケントが脂汗を浮かべて剣に手を当てている。


「騎士ヴァルナ。もしも、もしもこの状況で暗殺を仕掛けられた場合……王子を守れるか?」

「情けない声出すな。やると決めたらやるんだよ」


 ――大陸の暗殺者として最も高名で、皇国が血眼になって探しても手がかりの欠片さえ掴めなかった『生ける伝説』は、すぐそこに迫っていた。

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