第325話 唐突な覚醒です

 今、王都で爆発的な流行を見せている料理がある。


 その名はタンタンメン。とろみのある甘辛スープの中に少しモチっとした麺が入り、香辛料の存在感が目立つ麺料理だ。元は宗国由来の料理を王国風にアレンジしたらしいそれは、王国民にとって余り馴染みのなかった甘辛さとコク、麺の触感が癖になると大衆の間で急速に広まった。

 このタンタンメン、香辛料による絶妙な刺激も売りであり、それまで余り辛いものを好まなかった王国民たちに辛さの齎す刺激を浸透させている。しかも王国では殆ど栽培されていなかった野菜が具に使われており、その歯応えがまた癖になるそうだ。


 ちなみにタンタンメンには温かいスープのものと冷たいスープのものがあり、王都の通ぶりたい人々は敢えて温かい方を注文したりもするらしい。俺は物珍しさから普通に冷たい方を注文したが、実は基本あまり冷たいものは多く口にしないようにしている。騎士は体が資本なので健康第一だ。

 

 それで、食べてみた感想だが……美味しかった。

 最初は甘みのあるスープや遅れてやってくる辛子の刺激に戸惑ったが、慣れると確かに癖になる。個人的には具として上に乗せられた歯応えのいい葉物野菜がいいアクセントになっている。おそらくこの野菜こそイセガミ家が大儲けしている原動力なのだろう。それだけにたまに麺だけ啜って野菜を残してるお客さんを見ると若干複雑な気分になるが。


 なお、麺啜りOKな店とNGの店があるらしい。

 王国は啜る派と啜らない派で言えば半々のようだ。

 多分移民の中に啜る派が相応にいたせいだろう。


 さて、貴重な時間を活用して幾人かに話を聞けたが、正直俺の中では未だに答えが形にならない。結局結婚に至るまでの決断には何が大事なのだろうか。その答えを俺の中で出すのに今日一日全てをつぎ込みそうだ。


 ふと視線を逸らすと、相席に座ったカップルが王都名物ポラリスアイスを使ったポラリスパフェを食べさせ合っているのが目に入る。


「どう、美味しい?」

「美味しいけど……なんだか頭がキーンとするよ」

「そんなに慌てて食べるからじゃない?」


 アイスクリーム頭痛にダメージを受ける男を見て可笑しそうに笑う女。

 なんか見覚えのある人だなと思ったら、あれはパズスとターシャだ。


 今年三月にクーレタリアで起きた偽オーク騒動の末に王都の外対騎士団本部で働き出した二人は、今も仲睦まじく都会の暮らしを堪能しているらしい。普段なら微笑ましいと思う所だが、今だけは純粋に互いのことだけを想う二人が羨ましい。


 二人にも話を聞こうかと思い、やはり止めておく。

 彼らも貴重な休日を利用してここに来ている筈なので、いま話しかけるのは野暮なことこの上ない。俺はなるべく静かにその場を後に――。


「あら、パズス。ねぇパズス、あそこにヴァルナさんがいらっしゃるわ?」

「あっ、本当だ! ヴァルナさーん!」

「お久しぶりですヴァルナさん。もしお時間よろしければ、少しお話しませんこと? パズスったら貴方が絢爛武闘大会で優勝したと聞いてから、もう会うのが楽しみだったみたいで……」

「ちょ、ちょっとターシャ! そんな恥ずかしいこと言わないでよぉ……」

「そういう訳で、ちょっとだけ私たちのワガママにお付き合いお願いしますね?」


 ――ごく自然に捕縛された。何故じゃ。


 どうやらターシャは俺に元気がないことを即座に察したらしく、相談か、せめて気晴らしの協力にと多少強引に俺を席に座らせたようだ。強引とは言っても、俺は不思議と彼女の勧めに強制を感じなかったが。気付いたら座らされていた感じだ。


「前からちょっと気になってたんだけど、ターシャちゃんってまるで世の中の物事が全て見えてるみたいな不思議な雰囲気あるよね」

「そうですか? 普通に過ごしてるつもりなんですけど、時々似たようなことを言われます」

「き、騎士の皆さん……結構、ターシャに悩み事相談とかしてて。最近はお悩み相談窓口を特別に作って頂いたりしてますよ?」

「私が悩みを聞いて感想を言うだけで解決までは導けないのですけど、それがお役に立つことなら嬉しいですね」


 控えめに微笑むターシャ。

 この笑顔も不思議で、年相応の少女の無邪気さの奥に、一種の神秘的なまでに大人びた透明感があるように感じる。落ち着いた声についても、声量が大きいわけでも特徴があるわけでもないのに不思議とよく通る。


 この少女も別の女がパズスに手を出すと警戒心を剥き出しにするらしいので、きっとパズスには彼女を揺り動かす何かがあるのだろう。例えば愛とか。まんますぎる。


 二人にこんな話をするのもどうかとは思ったが、二人はクーレタリアの騒動の借りを少しでも返させて欲しいと主張。そうポンポン話す内容でもないので渋ったが、二人も頑として譲らない。

 二人の背後に、クーレタリア指南役のワダカン先生の人の好さがちらついた気がした。いい教え子を持ったな、あの先生。


 そういう訳で、俺は周囲に言いふらさないよう念押ししつつ、軽く事情を話した。


 話の内容を理解した二人は、意外と落ち着いていた。

 そして、パズスもターシャも迷いなく頭を下げる。


「ごめんなさい。私にはその相談に対する答えを出せそうにありません」

「僕も……です」

「まぁそうだよな。そもそもこんな重要な話の答えを人任せにもできないし、気にしなくていいよ」


 正直、話して少し気が楽になった部分はある。

 食後のアイスティーを嗜みながら、少し沈んでる二人を慰める。

 パズスは申し訳なさそうに口を開いた。


「僕は、結婚って言われた時にはもうターシャ以外には相手が考えられませんでした。もしターシャに断られたら結婚なんてしなくていいかなって……」

「私もそうです。結婚する相手はパズスってずっと決めてたんです。それ以外の選択肢に意味も価値も感じませんでした」

「純愛だなぁ」


 思わずそう呟くと、流石に少し恥ずかしかったのか二人ともほんのり頬を赤く染める。幼馴染でずっと両思いで、どんな障害も諦めることなく、最終的には親の決定を覆して婚約を取り戻した不屈の純愛カップルだ。余りにも純愛過ぎて俺には眩しいくらいである。

 俺にもそんな幼馴染がいれば今ここまで悩むことはなかっただろうが、居ないものはしょうがない。余りにも小さな頃なので忘れてしまっていたが実は……というパターンもない。なにせ狭い村だったからな、アデイヤ村は。お隣さんは親戚みたいなノリでよく年下のちび達の世話も焼かされたものだ。


 ともあれ、二人ほど運命を感じているお相手がいない俺では、二人の結論もむべなるかな。やはり二人に無駄に心配をかけるだけの結果になってしまったようだ。せめてここでの食事代くらいは出そうと席を立とうとすると、ターシャが再度口を開く。


「ヴァルナさん」

「ん? 何だい?」

「私は今、幸せです。今までも幸せでしたし、これからもきっと幸せであってほしいです。でも、それはパズスが隣にいないと意味がないと思っています」

「僕だって……そうだよ」

「ありがとう、パズス」


 二人の手がそっと動く。テーブルの陰に隠れて見えないが、手を結びあったのだろう。彼女の幸せは、きっとそこにあるのだ。


「ヴァルナさん、私の結婚相手はパズスでしたけど、みんなが私とパズスみたいな関係になれるわけじゃないのは知っています。或いは、結婚をそこまで重要に思っていない人がいるのも知ってます。でも……ヴァルナさんにもいつか、この人しかないって人と出会う日が来るかもしれません」

「まぁ……来ればいいなと思う時は確かにあるよ」


 すると、今度はパズスが身を乗り出す。


「ヴァルナさんならきっと出会えますよ! 僕、上手く言えないんですけど……ヴァルナさんは凄くキラキラ輝いてて、色んな人を引き寄せる凄い人です。でも、ヴァルナさんさえ引き寄せてしまうような人がいたら、きっとそれは僕にとってのターシャみたいな人だと思うんです」

「ヴァルナさん。私は、いまヴァルナさんが無理に結婚する必要はないと思います。ヴァルナさんがどうしても守ってあげたくて、そして守ってくれるような人が現れる時を……もう少し、待ってもいいんじゃないでしょうか」

「……うん。分かった。まだ決めた訳じゃないけれど、そのことはよく覚えておくよ」


 真剣な二人の瞳に、俺は一つ頷いて店を後にした。

 二人の分の食事代をまとめて支払うのは忘れなかった。


 親の期待を裏切って、里の掟を破ってまで愛を信じた二人の言葉は、言葉の意味以上に心に響くものがあった。見えないものを信じて否定する勇気。それは、選択肢として持っていていいものなのだと思わされる。


 二人から受け取った勇気を胸に、俺はこれからのことを考えた。

 鬱陶しくさえ感じた晴天が、心なしか軽くなった気がした。





 さて、実はヴァルナの席のすぐ近くで彼らの話にずっと耳を傾けていた人物がいた。


 会話が始まるか始まらないかくらいのタイミングで、話が聞こえるギリギリの席に実にさりげなく座り、普段とは違う声色を使い分けて飲み物を注文しながら、その人物はずっと三人の話を聞いていた。


 その人物の心中は猛烈に荒れ狂ったが、幸か不幸かその人物が隠密行動という一点に於いて並外れた才覚を持っており、氣の揺らぎすら抑え込んで最後までヴァルナに気付かれずに話を聞いてしまった。


 彼女の手に握られたアイスティーのコップが空になり、氷がからん、と音を立てて回る。結露で覆われたコップから水が一筋、たらりとテーブルに落ちる。ヴァルナが十分に離れた瞬間、その人物は隠密行動を解いて、そして震える声でつぶやいた。


「ヴァルナくんが、婚約……っ!?」


 こんにゃくは分かる。魂魄も分かる。しかし婚約は分からない。

 その人物の胸中には割と意味不明な情報が渦巻いていたが、その意味不明な情報は全て一つの巨大な動揺が齎す余波に過ぎず、本質は一つしかない。


 ――そう、聖盾騎士団所属にしてヴァルナと共に青春を駆け抜けるハチャメチャ大三角の一角にしてヴァルナが最も今の状態を知られたくないと考えている人物の一人――セドナ・スクーディアにとって、重要なのは一つだけ。


「ヴァルナくんが……けっこん……」


 血痕は重要な証拠だ、などと関連性の薄い情報が頭に浮かぶ程、セドナは混乱していた。ヴァルナが結婚。ただその情報が、論理的思考を全て消し飛ばすほどの大爆発ビッグバンとなって彼女の心を揺るがし、あらゆる感性を揺さぶってくる。


 彼女には、何故自分にそこまでの衝撃が迸っているのかが分からない。

 ただ、この話を見て見ぬふりをしたら、ヴァルナが遠く、遠く、どこまでも遠のいていってしまうような――二度と手が届かなくなるような――そんな、根拠のない強烈な予感があった。


 心音が加速度的に鼓動を速める。

 このまま彼を追いかけないのは良くないことだ、と本能が叫ぶ。


「追いかけないと……うん、間違いかもしれないし、きちんと事情を知ってから冷静かつ的確に判断を下す必要があるよね。これは友達として当然のことだよね」


 彼女の動揺した空気がふっと消える。

 それは、彼女が任務で犯人を追いかけるときによくみられる隠密行動モードのスイッチが入ったことを意味する。


 彼女は内心の動揺などまるでないかのようにお会計を済ませ、店を出て、人目のない場所に入った瞬間、全速力でヴァルナの追跡を開始した。


 彼女が店を去ったあと、彼女が飲み干したアイスティーのコップを下げようとした従業員はぎょっとした。


 コップの結露が全て霜になっていたからだ。


 セドナ、動揺の余り自分も知らなかった氷の魔法の素養を覚醒させる。

 なお、魔法の基礎知識も術式もなく魔法が発動するケースは極めて稀ではあるが、ないことはない。ただし、よほどの才能がない限りは逆立ちしても出来はしないだけだ。

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