第326話 火がつきました

 ここに至るまで何人かのカップル、既婚者に結婚というものを問うてきた。

 そしてその後も俺は騎士団の中でも真面目に取り合ってくれそうな人の元を回った。誰も彼も久々の休暇だったろうから手短にしたが、男性騎士の場合は奥さんが、女性騎士の場合は旦那さんが「へー、これが例の珍獣……」みたいな興味津々な顔で見つめてきたのが何ともいたたまれない。


 しかし、知らされたことは多い。


 理由は様々あれど、最初はなかなか家に帰れない生活に夫婦ともに不安があったそうだ。しかし、王都に残る側は騎士団の同じ境遇の人々が支えてくれたという。任務に向かう側も先達たちのアドバイスやサポートがあって、なんとか関係を保っていったという。


 勿論なんの問題もなくすべてが円満だった夫婦はなく、その中には残念ながら破局を迎えた人もいたようだ。しかし、少なくとも家庭を持つことに対し、騎士団はかなり手厚くサポートしてきた実績があることも分かってきた。


 結婚は不安もあるが、独り身にはない喜びがある。

 特に子供の生まれた騎士たちは、よりそれを確信しているようだ。

 しかし、それはそれとしてだ。


(人生的には参考になるんだけど、今の議論は結婚するかしないかの話なんだよなぁ)


 今日は人生で一番ベンチに座ってため息をつく日になりそうだと思いながら、俺はまた公園のベンチでため息をついていた。


 マモリと結婚して子供――となると、話が飛躍しすぎている感がある。

 結婚後の事でも結婚前の電撃的な出会いでもなく、俺は情報と引き換えに結婚するかしないかの選択の話をしている。


 騎士団所属者の夫婦観は、『今は幸せだし、今となっては他の選択は考えられない』というのが基本だった。他の道もあったかもしれないが、今の道も間違いなく正解なのだという考え方だ。物凄くあけすけに言うと、結婚は行き当たりばったりでなんとかなるからとりあえずしちゃえば? という理論なのだ。

 また、亜種としてダメだったら離婚すればいいじゃんという意見もあった。


(そんな生易しいこと許す相手じゃねえと思うんだよなぁ……)


 コイヒメさんのあくどい笑みが脳裏に浮かぶ。

 そもそもマモリと結婚した後に離婚相当の事が起きるかと言われると、それこそ不確定だ。主たる理由もなくいきなり離婚など認められるものではない。つまり、結婚した時点でコイヒメさんの勝ちはほぼ確定だ。


 マモリと結婚してやっていけなさそうな感じがないというのが最初の俺の意見だったが、結果的にそれが補強されてしまった気がする。

 しかし同時に、俺は有力な情報を得ることが出来た。


 我らが騎士団の胃薬マスター、ローニー副団長が政略結婚だったという情報だ。


 ローニー副団長は現在進行形で家庭のことに悩む御仁。

 ある意味本当に貴重な休日の時間を削ってしまうのは極めて申し訳ないのだが、騎士団内の既婚者の中で最も親身になって相談に乗ってくれそうなこの人の助言はぜひとも欲しい。


 願わくば俺が原因で夫婦仲や親子仲がギスギスしないことを願って、俺はローニー副団長の家へと向かった。




 ◇ ◆




 副団長の家は、一応特権階級なだけあってなかなかに立派な家だった。

 屋敷という訳ではないが、親子三人が暮らすには十分すぎる広さと洒落た外装が目に入る。今、特権階級の間では貴族然とした屋敷より管理費の安いこうした家を利用する人が出始めているそうだ。見栄えより実益の時代が着実に近づいているのだろう。


 突然のアポなし訪問なのでせめて菓子折りは用意した。

 前にアストラエとセドナが勝手に開いた王都お得なお菓子グランプリで優勝を飾った薄焼きパイだ。今では人気店になってしまったが、俺の顔を覚えていてくれたのか融通してくれた。もちろん代金は支払っているが。


 かすかな緊張を胸に呼び鈴を鳴らすと、家から女性が出てくる。


「はい、どなたでしょうか……騎士の方?」

「どうも、いつもローニー副団長のお世話になっています。部下のヴァルナと申します。あ、こちらどうぞ」

「まぁ、これはどうもご丁寧に。申し遅れました、マチ・ショルドアと申します」


 家族の写真を見たことは幾度もあるので、彼女がマチさんなのは間違いない。

 とても華奢な大人の女性で、副団長は何かと任務が長引くとしきりに謝罪している。マチさんは突然の訪問にも嫌な顔一つせず微笑む。その所作に育ちの良さを感じた。


「突然の訪問で申し訳ないんですが、ローニー副団長はいらっしゃいますか?」

「いえ、丁度息子と出かけていまして……急ぎですか?」


 顔色は変わっていないが、空気で分かる。

 仕事で休暇がぶち壊しになりそうだと思っている。

 何かとよく怒られるらしい息子さんとの貴重な時間を奪う訳にはいかないと考えた俺は、安心させるためにその予想が杞憂であることを伝える。


「仕事関連ではありません。ちょっと個人的に話が出来ればと思ったんですが、そうですか……」

「今日は一日息子のリベリーに付き合うと朝から出掛けてまして……あと一時間もすれば恐らく戻ってくると思いますが、宜しければ家に上がりますか? 騎士ヴァルナの話は夫から聞き及んでいますし、それくらいはおもてなしさせてください」


 少しだけ申し訳ないから断ろうかと思ったが、俺も時間がない。

 むしろ、マチさんにそれとなく結婚観を聞き出せるチャンスかもしれない。旦那のいない奥方の言葉だ。どこまで喋ってくれるかは分からないが、個人的にマチさんがどんな人なのかも気になりはする。


「了解しました。ではお邪魔させていただきます」

「どうぞ、こちらへ……」


 夫が出張で外に行きがちな妻の家に上がり込む若い男。

 今更ながら、これ世間体的にどうなのだろうか。

 

 最初は少々気まずい空気を予想して身構えたが、お茶をごちそうしてくれるマチさんは思いのほかフレンドリーに接してくれた。


「夫はお酒が入るとよく貴方の名前を口にしますよ? 頼りになるとも迷惑をかけているとも言いますし」

「俺の方が世話になりっぱなしですよ。騎士団の仲間はみんなそうです。あの人なくして騎士団はまともに機能しませんよ。いや本当によくあれだけアクの強い面子の手綱を握れてるものです」

「うふふ……貴方の手綱だけはいつも気付いたら紐が切れてるって夫は言ってましたけど?」

「それはまぁ、申し訳ありませんが俺も時には譲れないときがありましてですね……いや、本当に申し訳ないと思ってるんですよ?」


 くすくすと笑うマチさんからかわれて、少々恥じらってしまう。

 ただ、マチさんは職場での副団長の様子を興味深そうに聞いてくれるので、俺も少し喋るのが楽しくなってしまった。気付いたら十数分は他愛もない会話に費やしていた。

 マチさん、ヴァルナくんと呼び合うほど打ち解けた頃になって、不意にマチさんが俺の目をじっと見つめた来た。


「……ところでヴァルナくん。貴方、もしかして主人に相談したいことがあったんじゃない?」

「ええ、まぁ。私的なことなのでどうかとも思いましたが、うちの騎士団でも副団長は人生経験が豊富ですからね」

「そしてその相談は、そんなに時間に余裕があるわけじゃないんじゃない?」


 鋭い予想に俺は驚きつつ、素直に答える。


「……正解です。どうしてそう思ったんですか?」

「主人がね、ヴァルナくんは突拍子もないことはするけど、それはいつもどこかの誰かを助けるためだし、周囲にも可能な限り気を遣ってるって言ってたの。そんな貴方が休暇中だとわかっていて態々訪問したってことは、それだけ喫緊のことじゃないかなって。最初は騎士団の緊急の仕事かとも思ったけど、違うならそうかなと……どう?」

「降参です、まったくその通りで」


 俺はマチさんの察しの鋭さに、隠し事を早々に諦めた。

 マチさんはあっさり白状した俺を見て、満悦そうににっこり笑う。年上とはいえ、その笑顔は少し可愛らしかった。そして俺は自分が政略結婚を迫られていることを端的に喋った。詳しい事情までは言わない。言えばそれがローニー副団長に伝わり、彼の胃痛を加速させそうだからだ。


「――という訳で、いろんな人の意見を聞いて自分で結果を決めたいんです。良ければマチさんのときどうだったのか、聞かせて貰えますか?」

「……これは、主人には内緒でお願いね」


 悪戯っぽくウィンクしたマチさんは、思い出すように天井を見上げる。


「私と主人は実質的には政略結婚だった。主人が上司の紹介でお見合い相手をセッティングして、お見合いして、そのまま何事もなく私はあの人の妻になった。正直に言うけど、結婚式が終わって初夜を終えても、私はあの人に愛情は抱いてなかったの」

「それは……副団長はそのことは?」

「多分だけど、知らないんじゃないかな? 貞淑な妻を演じたつもりだし。あの人は私のことを一目惚れ的に好きになってたと思うけど、私にとってはいずれ結婚させられる誰かという条件に当てはまる人、ってだけだったの」


 今、猛烈に聞いてはいけないことを聞いている気がしている。

 しかし、マチさんの話はまだ続く。


「ショルドア家は聖靴派の中でも中堅より少し上くらいで、あの人の家柄はそれより下だった。ああ、この人の成り上がりのために私は家系図に組み込まれるんだなって……もちろんあの人は沢山気を遣ってくれたし、嫌いだったわけじゃない。私も邪険に思ったことはないのよ? でも、それは惰性で受け入れてるだけ。子供を授かった時は、流石に自分は母親になるんだっていう嬉しさが少しあったけどね」

「……でも、副団長への思いは今は違うんでしょう?」


 何とも口を出しづらい、俺にとっては重い話だった。

 俺の質問は、正直文脈的に口にしたというよりはそうあって欲しいという願望が含まれていた。幸い、マチさんはそれに頷いた。


「ある日ね……いつもより遅く帰ってきた主人の様子がおかしかった。それで、どうしたのって聞いたら……剣神クシューと意見の相違で揉めて、飛ばされることになったって」

「……詳しく何があったのかは知りませんが、そうらしいですね」

「ボロボロ涙流して、今まで一度も見せたことがないほど弱々しい顔で、力が足りなくてごめん、これから迷惑かけるけどごめんって何度も何度も……」


 ローニー副団長が島送り組だというのは騎士団内ではあまりにも有名な話だ。そのせいで彼は副団長として現場に赴かなければならなくなったことも。その詳細については噂話が多く、ローニー副団長自身も余り多くは語らない。

 ただ、彼は特権階級ではあるが人に対する思いやりと良識のある人物だ。騎士団の誰も、彼が悪事を働いて島流しになったとは思っていない。


「私ね、それならお父様に掛け合いましょうかって聞いたの。お父様を通して謝罪すれば取り消して貰えるかもしれないからって。そしたら主人は、それは出来ないって。今まで私の勧めを否定したり断ったことは殆どなかったのに、その時の主人だけは違った。あれは悪事だ、悪事にだけは加担できないって絶対に頷かなかった」


 俺にとっての騎士道と同じように、誰にでも信念の一つくらいはある。

 謝りにいけば家族に辛い思いをさせず、恥を被るだけで済むかもしれない。真に家族を想うならローニー副団長は謝罪して許しを請うべきだったという人もいるだろう。

 でも、ローニー副団長はそれでも我儘を通したのだ。

 きっと、あの人自身の内に宿る騎士道の為に。


 マチさんはそこでため息をついた。


「私、そのときになってやっと自分が騎士の妻になったんだなって気付いた。主人は大望も何もなくただなんとなく出世したい人だってだけだと思ってたのに、あの人の根っこは騎士だったの。主人のこと何も知らなかった自分が恥ずかしくなったわ」

「……ちょっと安心しました。やっぱりローニー副団長は俺たちが命を預けられる人です」

「私は大変だったけどね? 急に口を聞いてくれなくなるご近所さんは出るし、実家からは色々と文句を言われるし、小さかったリベリーの世話焼きも……私は自分の方が結婚ってものを分かってる気になってたけど、本当はずっと温室の中にいたことを思い知らされたわ」


 その辺の苦労は俺からは何とも言えない苦労だ。

 強いて言えば士官学校入りたて時代の心が折れそうな俺だろうか。

 でも、マチさんはそこで気持ちを切り替えた。


「だから、私は決めたの。主人に添い遂げる道を選ぶって。誰よりも覚悟を決めていたあの人が間違ってなかったことを、妻である私も証明しなきゃならないって。だから口を聞いてくれなくなった隣人とも五月蠅い実家とも関係を断って、私は王立外来危険種対策騎士団の側に完全に着いた」


 信念を持つ夫に恥じない妻であるべき。

 それが、マチさんの選択。

 まぁ実際のところ、ローニー副団長の心も何度も折れかけたことはある筈だ。でもあの副団長はいつもギリギリスレスレの所で我を取り戻し、自分の筋を通してきた。そんな信念の男だからこそ、皆が着いてくる。

 結婚は、時として人を強くする。

 片方だけでなく、きっと両方を。


「でも皮肉よね。もっと主人のことを知りたいと思った頃には、あの人は忙しくて会いにくくなってるんだもの。それに、息子のリベリーを親の事情に巻き込んだのは恨まれても仕方のないことよ」

「いつか分かってもらえるといいですね。俺ももし手伝えるなら声をかけてください」

「ふふ、お世辞でも嬉しいわ。どう、何か参考になった?」

「十分すぎるくらいです」


 少なくともマチさんは、自分の選択に後悔はない。

 ローニー副団長はいいお嫁さんを持ったということだろう。

 話は十分聞けたので、俺は副団長を待たず家を後にした。


 結局、夫婦やカップルの数だけ答えがあった。

 俺の心にすとんと落ちる、これだという答えは見つからなかった。

 でも、別に構わない。

 元々答えは自分で出すものだ。


 空を見上げ、かすかに雲が増えて湿度が増したことに気付きながら、俺は誰に言うでもなく呟く。


「今夜までに決めるか。結婚するかどうか」


 きっとこの問いに答えなどない。

 ならばせめて、どちらを選んでも後悔しないよう覚悟を決めるだけだ。





 ――その話を、これまた物陰から聞いていた人物が一人。


(こ、今夜!? 今夜って言った!? 明日とかじゃなくて!?)


 驚愕の一言に戦慄するのは、彼を追跡していたセドナ・スクーディア。

 彼女は大混乱に次ぐ大混乱に見舞われていた。


 既に彼女はあらゆる伝手を辿ってヴァルナが既婚者やカップルの同僚に結婚についての話を聞いていたという情報を得ており、もうヴァルナの結婚話が自分の勘違いではないことは確定的になっていた。

 そのついでに夫婦カップルの惚気話や思い出を若干知ることが出来たのはセドナ的にも貴重な時間だったが、それにしたって自分のいないところで何故ここまで急転直下の出来事が起きてるのか理解が及ばない。


 セドナは凡そ何故ヴァルナが結婚することになったのかを割り出していた。

 朝まで様子が普通だったヴァルナはイセガミ家に手紙を持って赴き、おかしくなったのはそれ以降。つまり婚約話はそこで発生し、交換条件に『情報』とやらを突き付けられ、相手はイセガミ家当主の娘マモリの可能性が極めて高い。

 そして婚約を断るかどうか彼が悩んでいる理由は、おそらくイセガミ家と大会参加者バジョウのイッテキ家の繋がりが関連した『情報』。それがクルーズの最後の事件と絡んでいるというのがセドナの予想する理由第一候補だ。


 とにかく、あまりにも突然過ぎる。

 大会でコルカの告白を断って、そういうのはヴァルナにはまだだと勝手に過信していた。恐らくヴァルナにとっても予想だにしない不意打ちだったのだろうが、クルーズの事件調査を仕事の片手間で進めていたセドナもまた完全に不意を突かれた。


(どうしよう、どうしよう……ヴァルナくん、誰かの為にって屈しちゃうかも!!)


 このままではいけない。条件を突き付けて結婚を迫るなど、そんなヴァルナの弱点を突いた方法は納得できない。何か手を打ってヴァルナに今一度結婚の是非を問いたい。

 しかし、同時にセドナは自分が余り冷静ではないことをどこか自覚していた。彼に出会って話をしようにもテンパってきちんと順序だてて言葉が出てこなさそうだと思うほど、セドナの心は大地震だった。


 ヴァルナがいなくなってしまうのを、何もできず見送るのは嫌だ。

 頼れるのは家族? いいや、父アイギアはヴァルナとセドナの付き合いに否定的だった時期があるから信用できない。他の家族は今夜までに都合がつかない。友達についても同様で、アストラエはそもそもこの手の話では戦力外な気がする。


 誰か、誰かいないだろうか。

 セドナの心理を代弁してくれそうで、話に乗ってくれそうな人物は。

 必死に考えて、考えて、考え抜いた末にセドナは一つの結論を下す。


「こないだ会ったときはだいぶマシになってたし、もう背に腹は代えられない……!! こうなったら一番この手の問題でズバっと言ってくれそうなネメシアに手伝ってもらうしかいないっ!! 待っててねヴァルナくん、絶対間に合わせるから!!」


 こうして、導火線セドナは一直線に爆薬ネメシアへと誘引されていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る