第203話 持ち方に気を付けてください

 コロセウム・クルーズの三つの闘技場のうち最も変則的な競技が行われる場所――『ベガ』に一際大きな歓声が沸き上がる。


『――惜しい! 非常に惜しい勝負でした!! 可憐なる新人射手カルメ、決勝で惜しくも敗れるぅぅぅーーーーッ!!』

「そ、そんな……!」


 弓を番える手が下がり、カルメはがっくりと項垂れる。

 緊張で的を数度外しながらも、周囲に比べればかなりの安定感でカルメは大会決勝まで勝ち上がってきた。しかし、この手の大会では最後になると腕前よりも精神力が物を言う。

 万全の状態ならカルメは勝てただろう。しかし今日の彼は数多の大衆に見つめられながら、仲間もいないなかで、久しぶりの弓を使うという不安があった。

 その小さな不安の重なりが、この土壇場でカルメの手元を二度も狂わせてしまった。


 的当て大会はより中心の模様に近い場所に当てた方が高得点となる。中心を射抜いた数で言えばカルメが上だったが、外した二発の分を相手にきっちり手堅く当てられ、その安定感の差が決定打となってしまった。


『勝利のガッツポーズを掲げるのは列国の若武者、バジョウ! 勝利のガッツポーズにコロセウムの女性客が一斉に湧き上がるーーーッ!!』

「「「きゃぁぁぁぁーーーー!! バジョウ様ぁ~~~~!!!」」」


 ――実のところ、この黄色い歓声もカルメの弓を鈍らせた。


 この歓声の主である『バジョウ様ファンクラブ』たち、ありていに言ってマナーが悪い。今回遠方からはるばるやってきたらしいバジョウを応援するために遥々やってきたまではいいのだが、競技中は静かにというマナーを破ってバジョウの対戦相手が弓を射る瞬間にブーイングや罵詈雑言をぶつけてミスを誘おうとするのである。

 余りにも悪質な人は数名コロセウムを追い出されたようだが、あれではファンクラブ全員を追い出さねば効果はなさそうである。


「ふんっ、いい気味よあのヒョロヒョロ弓女」

「いや、さっき放送で男って言ってたけど」

「バジョウ様相手じゃ美しさ、逞しさ、弓の腕の何もかもが見劣りするのよ!」

「見てよあれ! 競技で負けたなら勝った相手を称賛するのが戦人の礼儀でしょ!? あんな礼儀知らず負けて当然よっ!!」

『バジョウ様ファンクラブから辛辣な言葉が降り注ぐ~~~っ! 大丈夫だカルメくん、あのお姉さんたちどんな対戦相手に対してもだいたいあんな感じだからっ!! 私もバジョウ氏に様をつけ忘れただけでごみを投げつけられましたッ!!』


 バジョウという男は確かに容姿も実力も優れている。王国や大陸ではあまり見かけない漆黒の長髪をポニーテールのようにまとめ、敢えて上半身の半分を露出させるような独特の着物の着方も男の色香が感じられた。


 ただ、女に甘い性格なのか、ファンクラブメンバーをやんわり注意することはあっても対戦相手への礼儀は随分あっさりとしたもの。既に会場の男性客の半数以上がこのバジョウといういけ好かない男に嫉妬の炎を燃やしている。


「はははっ、そうカッカしちゃあせっかくの綺麗な顔が台無しだ! 笑っておくれ、美しき花たちよ!!」

「「「きゃぁぁぁぁーーーー!! バジョウ様ぁ~~~~!!!」」」

『幾度となく繰り返された不毛なやり取り! 飽きないのでしょうかファンの方々はっ!!』

「……センパイ、ごめんなさい。僕……やっぱり――」


 二発だけ中心を大きく逸れてしまった矢を見る目がじわりと滲む。期待を背負い、やると宣言したにも拘らず無様な結果を知らした自分自身が、カルメはただただ情けなかった。


 ――その涙が止まる言葉が投げかけられるまでは。


「王立ナントカ騎士団ってのも程度が知れるわよね~!」

「あの騎士ヴァルナとかいうのもきっとバジョウ様の足元にも及ばない田舎者に違いないわ!」


 その言葉は、喧噪渦巻くコロセウムの中で不思議と聞き間違いなくしっかりと耳に入ってきた。その言葉を聞いたカルメは一瞬表情が消え、やがてじわじわと体の内を焼く熱が沸き起こってくるのを感じた。


 ――悔しい。


 拳に力が籠り、歯を食いしばる

 自分が負けたことが悔しい。あんなちゃらちゃらした男に差をつけられたのが悔しい。あんな騎士団の事を何も知らない人たちに馬鹿にされ、先輩であるヴァルナまで貶されたのに、敗北したせいで言い返せないことが悔しい。


 カルメは人生で怒ったことや嫉妬したこと、理不尽な目に遭ったことがない訳ではない。それでも、カルメの怒りはそれまでの人生の中で一番大きく熱い炎となって弱気な自分を焼き尽くしていった。


 バジョウがファンへのサービスを止め、思い出したようにカルメに手を差し向ける。戦いの後の握手を求めるもので、拒否する相手が多かろうと彼が必ず通している礼儀だった。


「遅れて失礼。君もナイスファイトだったよカルメくん! 今回は偶然相手が悪かっ――」


 カルメはその手を払いのけ、競技用の予備としてステージ端に置いてあった五本の矢を掴み取って矢筒に放り込んだ。たとえ勝敗が覆らないとしても、見せるべき意地を見せつけてやりたいと思ったカルメは、目を見開いて弓に矢を番える。


「僕はッ!!」


 番えた位置は競技の所定位置より更に遠い場所だったが、カルメにとってこの程度の距離の差など本来ならば何の意味もない。怒りに駆られているというのに驚くほどクリアに映る視界の奥の、自分の的のど真ん中を撃ち抜く。


 まさかのスーパーショットと見た観客がざわめくが、カルメの怒りは全く払拭されない。そのまま文字通り矢継ぎ早に構え、もう一撃を隣のバジョウの的の中心に放つ。


「馬鹿にされたっていいけどッ!!」


 放った矢が的の中心を射抜いたかすら確認せずに、カルメは残り三本の矢を纏めて掴んで視界の更に奥――的当て大会の看板に描かれた的に矢を連続で解き放った。


「センパイやッ、皆を馬鹿にするのはッ、許さないッッ!!」


 カルメの人生で一番大きく勇ましい声と共に、放たれた矢が果てしない遠くの的の中心を射抜き、射抜いた矢尻を貫いて更に矢が刺さり、その矢尻を更にもう一本の矢が貫いた。


 ステージから競技用の的までの距離はおよそ三十メートル、カルメの位置からでは四十メートル、そして看板の的までの距離はゆうに二百メートル。その距離を連射で寸分狂わず射抜く彼の眼は、狩りをする鷹のように獰猛だった。


 そこまでしてやっと少しは剣呑が下がったカルメは振り向き、唖然とするバジョウとそのファンたちを睨みつけて叫ぶ。


「次の試合からは二度と貴方には負けませんッ!!」


 これは願望ではなく、勝利宣告だ。

 二度とこんな屈辱を受けない為に、カルメは的に当てるのではなく相手を倒す覚悟を決めた。


『……な、な……何だぁッ!? この少年は一体いま何をやったぁぁぁーーーーーッ!? 我々はそれを知ってるのに、まず言葉に出るのは『何が起きた』ッ!! そう、目の前の現実が信じられない時に人はその言葉を口にしますッ!! 的当て大会が始まって以来、的の中心を射抜くルールは変わってませんが、相手の的に当てた選手がいたでしょうか!? 看板の的に当てた選手が一人でもいたでしょうかッ!? 王国騎士とてこの程度と高を括ったその瞬間、彼らはその予想をすぐさま突き抜けていきますッ!!』


 カルメは解説の大声に内心で思いっきりあっかんべーをしながら控室へ帰っていった。気は済んだから、棄権扱いでも厳重注意でも何にでもすればいいと思ったからだ。


 ――この後、相手の的と看板の的も有効な的であるという特例を受けて、公平を期すためにバジョウはカルメと同じく五本の矢を所定の距離から放つ。これは距離的にはバジョウが有利だ。しかし緊張からか実力のせいか、二本が中心を僅かにずれて点差が逆転する。


 カルメは当人が知らないうちに的当て大会の優勝を果たすことになるのであった。


 のちに、王国にこの人ありと謳われる『鷹眼ようがんのカルメ』誕生の瞬間である。




 ◇ ◆




 驚愕の展開にアリーナ席で狂乱染みた声が上がるなか、結果を見届けた俺ことヴァルナは昼飯のホットドッグを齧りながら会場を後にする。共に来ていた男――先ほどの試合で戦ったサヴァーがそれに続きながら声をかけてくる。


「祝いに行ってやらなくてよかったのか? 後輩なのだろう?」

「どうせ夜に会うからいいさ。それにあいつもたまには一人で勝ち取った勝利を噛み締めるべきだ」

「あれほどの気性を見せつけておいて普段は気弱というのも不思議だな。女は怒った方が強いと聞くが……」

「それ絶対本人には言うなよ。気にしてるんだからよ」


 サヴァーはおどけたように肩をすくめる。

 試合終了後、司会に握手を求められたり受付嬢に感激のメッセージをぶつけられたりした俺は選手出口に向かったのだが、そこには既にたった一日で出来たらしい俺のファンたちが猛烈に押し寄せていた。ここを正面突破するのは躊躇われるな、と思っていたところで声をかけてくれたのがサヴァーである。


「選手だけが知ってる裏道でな。ファンが多すぎる時や急ぎのときは皆こちらの従業員用通路を通るのだ。抜けた先にあるホットドッグ屋には俺も世話になっている」

「成程なぁ。いや、助かったよ。ファンってあんなに集まるものなんだな」

「新人でいきなり優勝すればな。それに王国の民の英雄なのだろう? 戦い方も奇抜だ。普段より多くなるのは自明の理よ」

「よしてくれ恥ずかしい。世間様にはあんまり顔を晒してないから、ああいうのは反応に困る」

「つくづく変わった男だ……故に気になる」


 面白いものを見るような目で笑いながら、サヴァーはケバブを齧る。それもホットドッグの店で売っていたものだ。この手のファーストフードを様々な種類揃えているらしいその店では、他にも何人かの選手に会った。きっとセドナがここに来たら三食全部ここで買ってメニュー制覇を狙うだろうな。


 因縁を吹っ掛けるような顔で睨んできた人もいたが、隣にサヴァーがいるのを見てすぐに身を引いた。それだけ実力を認められている男なのだろう、サヴァーという戦士は。彼と友好関係を持てたのは幸運だったと思いながら、予定表を眺める。


 俺が出る前に既にロザリンドとシアリーズの試合は終了し、カルメの分も終わったのでこれから闘技場は昼休みの時間に入る。この時間にも野良試合が行われることがあるらしく、コロセウムから人が途絶えることはない。


「そろそろ一般客もいる場所に出る。ローブをしっかり被っておいた方がいい」

「優勝者に進呈されるローブか……」


 優勝のトロフィーや賞金とは別に、コロセウム内を歩くときは着用するようにと渡されたローブは、多少の装飾はあれど非常に質素なデザインをしている。これがいわばユニフォームらしく、大会出場選手はこれを着ることになっているらしい。

 同時にこれは余り選手の行く手を阻んではいけないという暗黙のルールにより、しつこく絡んではいけないと周囲が察してくれるものだそうだ。そういう伝統を積み重ねてきたからそのルールが通じるのだろう。それでも周囲はそれなりに視線を浴びせてくるが、あのままファンの群れに突っ込むよりは遥かにマシだろう。


「お前は確か午後からも試合に出るのだったな? あまり無理をして本大会に響かせるなよ。それは会場の客たちも俺も望む所ではない」

「当然。これでも優勝狙ってるんだからな……うぉっと!?」

「むっ」


 歩いていると、雑踏の中を通る人物が持っていた槍らしきものの先端がいきなり目の前に突き出る。何事かと思えば、どうやら持ち主の槍の固定の仕方が緩かったらしく、当人は人にぶつかりかけたことにも気付かず大会トロフィーを弄んで鼻歌を歌っている。


「おいアンタ、自分の槍は自分でちゃんと管理してくれ。そんなに突き出してると通行人の邪魔だぞ」

「うむ。それにコロセウムでは時折手癖の悪い者が武器を窃盗することがある。うっかり選手にぶつかれば因縁を付けられても知らぬぞ」

「え……ああ、悪ぃ悪ぃ!! 生憎とここは初めてなもんでよ!」


 すぐにこちらに気付いた男は気さくな声で素直に謝る。ローブを着てはいるが着崩しており、顔は堂々と曝け出していた。だからこそだろうか、その声に聞き覚えがあった俺は驚いた。


「あれ? お前、ナギじゃん!!」

「え? ……おいおいヴァルナかよ!! 超久しぶりだな!!」


 そこにいたのは紛れもなく、嘗てクリフィアのひと悶着で共に行動したガーモン班長の弟。人懐っこい笑みを浮かべる彼は、間違いなくヴァルナの友人のナギだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る