第201話 飛ぶ斬撃を見せましょう

「演出凝り過ぎだっつーの。てゆーかスポットライトの集中砲火で暑いわ」


 周囲にかき消される程度の小ささで俺はため息をついた。


 準備室に連れていかれたと思ったらいきなりコロセウムの従業員に服を脱がされ、コロセウムの備品であるらしい大量の衣装で着せ替え人間にさせられた挙句にどことなく騎士っぽい意匠の服を宛がわれ、そこから更にアレもコレもと鎧や装飾を押し付けられては突っぱねたり妥協したりを繰り返した。

 最終的に兜とサーコートは試合開始前に脱がせろと言うと、ああいった演出に変更されて今に至るという訳だ。


 普段の任務での簡素な装備からは考えられない上等な衣装なのがまた憎い。外見は装飾優先のようでいて、実際には関節の柔軟性などに拘り抜かれた設計になっている。アストラエの婚約者騒動で貰った戦闘礼服といい勝負である。


 鎧は正直全て外したかったのだが、相手が思わぬ強敵であれば役立つこともあるだろうと最低限着けたらシアリーズと殆ど同じ鎧構成になってしまった。つくづく彼女と俺は同類らしい。


「そのサーコートはともかく兜は外して良かったのか?」

「重りにしかならない。特に貴方みたいな武器の使い手相手では完全に邪魔だ」

「成程、その程度は弁えていたか」


 渋い声で不敵な笑みを崩さないサヴァー。驕りではなく、自らの実力に対する絶対的な自信から来るものだろう。しかしこの人を見ていると何となく顔つきや服が同僚と似ている気がする。


「もしかしてンジャ先輩と同じ部族の方ですか?」

「……! 同じではないが、近しい部族に嘗てンジャという名の短刀使いがいたと聞く。貴様、知っているのか?」

「うちの騎士団で新人育成やってますよ」

「そうか……そうなのだな……」


 瞬間、サヴァーの体から気迫が溢れ出でてコロセウムの熱気を呑み込む圧を放った。口元に浮かべる笑みは不敵を通り越して壮絶なまでのものと化している。

 彼の中で、何かのスイッチが入ってしまったらしい。


「嘗て砂漠最強の傭兵と謳われた『蛇咬じゃこうのンジャ』の薫陶を受けたとあらば、全力を通り越して死力を尽くさねばなるない……!!」


 確かに海外の高名な戦士だとは聞いていたが、彼の様子から見るにあのセネガ先輩としょうもない言い合いをするンジャ先輩は若かりし頃、大陸で相当ブイブイ言わせていたようだ。


「許せよ少年、新人に勝ちを譲るも一興だったがこうなれば腕の一本二本は覚悟せよッ!!」

「………」

「俺を前にして笑うかッ!! 少年と言ったのは訂正しよう、若き戦士よッ!」

「俺が、笑ってる……?」


 咄嗟に頬に指を当てると、知らぬうちに口角が釣り上がっていた。

 騎士の戦いは常に誰かを守る為の戦いだ。今回のこれのように、ほぼ自分の為の戦いとなるコロセウムで戦うという経験は初めてで、自分では緊張していると思っていた。


 だが、事実は異なったらしい。

 俺は今、一人の武人として目の前の猛者と対等に戦えることに歓びを感じてる。今となっては気兼ねなく手合わせできる相手や手心を加えなくてよい相手が殆ど居なくなってしまっている中で、俺の心の中に燻っていた闘争心が燃え上がっていた。


「そうか……俺は楽しい。楽しんでいい訳だ、ここでは!」

『試合開始五秒前ッ!! 三……二……一……!!』


 俺は剣を抜き放ち、大地を踏みしめた。

 今はこの一瞬さえも惜しく、体が一秒でも早く戦いを求めている。


『ゼロッ!!』


 カウントが終了すると同時、蛇のようにしなるサヴァーの手から矢のような速度で分銅が飛来した。剣の腹でそれをいなして踏み込む。と、サヴァーの手首がくるんと回り、弾いた分銅と鎖が生物のように軌道を変えて背後から襲い掛かる。


『出たぁぁぁーーーッ!! サヴァーの初見殺し、ボーラの軌道変化だぁぁぁーーーッ!! 早くも騎士ヴァルナ、一撃を受けてしま――』


 実況が喋っている間、俺は鎖の軌道を無視してそのまま奥へと踏み込んだ。分銅よりも速く、そして深く。その動きに咄嗟に気付いたサヴァーが腰を落として牽制の分銅を回しながら位置をずらす。


『――とぉ!? サヴァーが攻撃を中断したぞッ!?』


 別れた分銅はサヴァーの手に戻り、俺はサヴァーから目を離さずゆっくりと姿勢を戻す。

 ボーラは破壊力もリーチもあるようだ。そしてあの素早い手首の動きで軌道を変化して拘束にも使える。面白い武器だとは思うが、同時にあれは間合いを詰められると意味を為さなくなる。

 対策は当然、しているようだが。


「使わなくていいのかい、懐のそいつ」

「……戯言を。抜かせて見せろ」


 瞬間、今度は分銅が二つ、左右からアーチを描いて接近。横には躱せないが前に出れば鎖に絡め捕られ、そして後退すれば追撃が待っている。間合いを計算し尽くした絶技だ。

 ならば、と鎖を狙って断ち切ろうとし、その瞬間に再び鎖が軌道を変える。


「たわけッ、『刀剣殺しソードブレイカー』の二つ名を忘れたかッ!!」


 まさに一瞬、鎖が剣に絡みつく。鎖という形状故に斬ることもままならない一手によって剣を囚われた俺は、それを振ることも抜くことも容易に出来ない。加えて二発放った分銅に加え、サヴァーにはもう一つの分銅が残っている。


 と、いう算段だったのだろう。


「六の型、紅雀ッ!!」

「な――」

『さ、鞘ぁッ!?』


 俺は剣を手放して再び踏み込み、腰から剣のように引き抜いた鞘で瞬速の刺突を放つ。完全に不意を突かれてもなおサヴァーは鎖でそれを防ごうとするが、実剣ならばオークの心臓を一撃で破壊する一点集中の威力を殺せず胸元のプレートに直撃した。


「ガハァッ!?」


 真芯を捉えたつもりだったが、すんでのところで身を逸らされたのかサヴァーは数メートル後方に吹き飛ぶ程度で済んだ。距離を詰めようかとも思ったが、吹っ飛ぶ途中に鎖を絡めてくる可能性を考慮して敢えて見逃し、鎖の合間から剣だけ取り返す。


『何と言うことでしょう! 先に一撃を入れたのは王国筆頭騎士ヴァルナッ!! 意表を突く戦法を得意とする筈のサヴァーが逆に手痛い一撃を受けましたッ!! 『刀剣殺しソードブレイカー』の面目躍如になるかと思いきや、まさか鞘で突き放すとは……この男やはり只者ではないのかぁッ!?』


 一瞬の攻防に興奮したか、観客たちがざわめいたり歓声を上げたりしている。


「マジかよ、あのサヴァーがよりにもよって剣士に追い詰められるってのか!? 畜生、今日はお前に賭けてんだぞ! 負けんなサヴァー!! 年季の違い見せてやれーッ!!」

「くぅー、見たかよあのシビれる反撃ッ!! やっぱ王国最強は格がちげーわ!!」

「クシュー団長を二度打ち破ったって本当に本当なんだな……」

「こりゃいい!! 剣術大会すっぽかして来たってのにさっそくジャイアントキリングとはツイてらぁ!!」

「バーロー、こっからがサヴァーの本領よッ!!」

『……いま確認しましたが、騎士ヴァルナは持ち込み武器について鞘をしっかり書き込んでいます!! 普段から鞘で相手を殴っているのかこの男はぁぁぁーーーッ!?』


 そんな訳ないだろ。剣が足りない時だけだ――と言いたいのだが、相当声を張り上げないと伝わらなそうなので仕方なく鞘を腰に戻す。目の前には息を荒げながらも決して隙を見せないサヴァーの鋭い視線がある。


「さあ、次はどう来る?」


 この戦いから少しでも多くのものを得たい。

 戦いはまだ始まったばかりなのだから。




 ◇ ◆




 恐ろしい若人だ、とサヴァーは荒い息を整えながら目の前で不敵に笑うヴァルナを必死に睨む。目の中に汗の一滴が垂れただけの気の緩みで敗北しそうな緊張感がサヴァーにいつもの笑みを許してくれなかった。


 最初の攻防では死角を突いたつもりだったが、彼――ヴァルナの察知能力の高さを侮っていた。『蛇咬じゃこうのンジャ』を差し置いて騎士団最強とやらを名乗っている時点で、そんな余裕がない事を理解しておくべきだった。


(いや――違うな。俺は自分が憧れたンジャを基準に考え過ぎていた。だからこうも無様を晒す……!)


 ぎり、と歯噛みする。

 『蛇咬のンジャ』はディジャーヤ伝説の戦士だ。魔物を飼いならし民に圧政を敷いた邪悪な者たちの砦を一夜で陥落させたなど、傭兵時代の伝説には事欠かない。若き日のサヴァーはそれに憧れ己を磨いたものだ。

 ある時、彼が突然身元の知れない赤子を抱えて現役を退き砂漠を去った理由は謎に包まれている。だが、王国で騎士を指導しているのならばまだ剣を捨てていないということだ。


 だからこそ、今なら自分はンジャに勝てるのではないかと思っていた。

 目の前の若き戦士を倒すことでその資格を得る、と心のどこかで勘違いしていた。

 吐き気がするほど甘い考えだった。


(目の前のこの男がンジャを凌駕する戦士である可能性を、何故見落としたッ!!)


 試合開始からまだ一分も経過していないのに、サヴァーは既に胸部のプレートが凹み息を荒げている。対し、ヴァルナは始終冷静に攻撃を捌き、突ける隙を突き、ボーラの特性を分析し続けている。若い戦士ほど焦って前に出ようとするが、彼には全くそのような若さが動きから感じられない。


 近接戦闘を想定して懐に短刀も忍ばせていたが、接近してきた瞬間に理解した。こちらが抜くよりあちらが切る方が絶対的に速く、今のサヴァーではそれを覆せない。


 何より、あの目だ。

 こちらの手の内を全て暴こうとする探求心と、獲物を確実に仕留めようとする闘争心、そしてそのために愚を冒さない警戒心。全て揃って一流と呼ばれる戦士の素養がなければ、視線を受けただけでサヴァーがこうも総毛立つ筈がない。


 学習し、対策し、実行する。それを実戦の中でやってのける。

 生まれながらの、生粋の戦士――いや、或いはそうなるべく己を磨き上げたのか。だとするならば、天晴としか言いようがない。


 彼を超えるには、文字通り己の戦士としての全てを出し切らねばならない――!


「うゥ雄雄雄オオオオォォォォォォォォォッッ!!!」


 手に持ったボーラを両手で掴み、サヴァーはそれを全力で回転させた。

 ボーラの分銅の先端は中心部から三メートル近く。これを振り回せばそれだけで周囲の敵を薙ぎ倒すことができるが、サヴァーは鎖を回転させながら指先でそれを操り、ヴァルナに向けて走り出す。


 弾く、弾く、弾く。

 そのたびに鎖がたわみ、たわみは軌道を変化させ、回転しながら殺人級の威力となった分銅が連続で放たれる。ヴァルナが躱す前までいた足元に分銅が命中し、床が砕ける。そしてヴァルナが着地する先に次々と、回るボーラからまるで大量の攻撃が飛来するように降り注ぐ。


 息も止まらぬ連続攻撃。これを維持しコントロールする絶技を習得するまでにサヴァーは十年以上の月日を費やした。今サヴァーが出来る最も強い必殺の戦法だ。


 だが止まらない。騎士ヴァルナはその軌道を読みながら地面を擦るほど低いステップで躱してゆく。それでもサヴァーは全霊で前に進み、攻め続けた。


『何と言う連撃!! ここまで激しいサヴァーを見たのはいつ以来でしょうかッ!! 騎士ヴァルナ、余りの猛攻に反撃の糸口が見つからないかッ!?』


 解説の言葉が耳に心地よいが、それは違うな、とサヴァーは内心苦笑した。

 ヴァルナの表情には迷いも焦りも苛立ちもない。

 ただ純粋に、この時を楽しんでいた。

 好い、とても好い戦士である。


「――そこだッ!! 十の型……鷲爪わしづめェッ!!」


 攻撃の合間、一瞬のことだった。着地と同時に既に構え終わっていた騎士ヴァルナは、逆手に持ち換えた剣を握る右手を曲がる限界まで後方に逸らせ、ダガンッ!! と闘技場のパネルを踏み割る震脚と同時に、己が剣を投げ飛ばした。


 人生で初めてお目にかかる、どんなに引き絞られた矢よりも速い一閃。

 バヒュッ、と虚空を切り裂いたそれは鎖を躱し、分銅をすり抜け、サヴァーが上に掲げる両手の隙間にある鎖だけを狙いすまして切断してみせた。

 ボーラは全てが一繋がりだからこそ強力な武器。継ぎ目を破壊されれば真価を発揮することは出来ない。剣の投擲という無謀の極みを飛び道具の技術として昇華させた、それもまた神懸かり的な絶技であった。


「……おん美事みごとッ」


 それでも勝利を諦めきれずに鎖を掴んで振るおうとしたその時には、既にヴァルナの体がサヴァーの懐に入っていた。


ぇぇいッ!!」


 肩の側面を押し付けるような見たこともない態勢から放たれる衝撃を感じ、気が付いた時にはサヴァーの全身を浮遊感が支配していた。


 サヴァーの体がステージ場外に叩きつけられ、彼の手に持っていた鎖がジャリリリ、と音を立ててヴァルナの近くに蜷局を巻いて落ちる。


 その瞬間、会場が一瞬だけ静寂に包まれた。

 誰もが信じられなかったのだ。まるで騎士という職種からは想像できない技の二連発という不意打ちと、それを受けて呆気なく吹き飛ばされたコロセウムの勇士の姿が。


 しかし一秒経っても二秒経っても、現実は目の前にあるがままだった。


『勝者――騎士ヴァルナッ!! 勝者ヴァルナァァァーーーーッ!! しん、信じられません!! あのサヴァー相手に一度も攻撃を受けることなく完全勝利ッ!! 剣なくば鞘で突き、更には剣をブン投げ素手で勝つとやりたい放題ッ!! 本当に騎士かッ!? アンタいったい何なんだぁぁぁぁぁーーーーーーッ!!?』


 爆発的な歓声とサヴァーの勝利を信じた者たちの無価値になった投票券がコロセウムに降り注ぐ中、ヴァルナはそれを気にせずサヴァーの下に歩いていき、しゃがみこんで顔を見た。


「一応確認するが、無事か?」

「無論。貴様の手心のおかげで、今夜バーで一杯飲める程度には」

「おう。んじゃ、優勝賞金で俺がその一杯奢るよ」

「ならば、酒のつまみにお前の話でも聞かせてくれ……ふふ、こうまで美事に負けると恨み言も出てこぬよ」


 サヴァーはヴァルナから伸ばされた手を握り、起き上がる。

 戦いの後の友情もまた、コロセウムの醍醐味だ。

 損した人も得した人も、素晴らしい試合を繰り広げた二人に止むことのない拍手を降り注がせた。


 ――なお、ヴァルナが投擲した剣がコロセウムの外壁に突き刺さった痕は修復されずに残され、後に尾ひれがついて『騎士ヴァルナが剣を振った余波で斬られた痕』と伝わることになる。これを知ったヴァルナが勘違いを正すより前に「どうにか物理以外で斬撃を飛ばせないか」と頭を悩ますことになるのは、かなり未来の話である。

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