第176話 きちんと返事を寄越しなさい
プレセペ村の王立魔法研究院の水産実験場の所長室に、ことん、と小気味の良い音が響く。
「とんでもない事になりましたねぇ」
「とんでもない事になっちゃったねぇ」
言葉の割には緊張感のない声。
同僚の研究者、ノノカとアマナは向かい合いながらチェスをしていた。互いに研究院上位である教授であり、畑違いながら己の研究に邁進し続ける二人は、年齢には差があるが同志と呼んで差し支えない間柄だ。
なお、アマナは長身でかなりのわがままボディをしているが、ノノカは胸以外すべて子供という落差がある。これでノノカの方が十歳以上年上だというのだから年齢詐欺にもほどがある。ルヴォクル族の年齢を見分けるために鑑定資格が必要だ、というのは冗談交じりに酒場で語られている鉄板トークである。
ヴァルナたちの帰還後にすぐさま報告会が開かれたのだが、事態が急に動き出したせいで各組織ともに足並みや予定が揃わず、現在の二人はその空白期間で遊びに興じている。既に情報共有から書類の作成まで終了済みなのは、流石は王国指折りの才女たちといった所だろう。
「ふふっ、ノノちゃんなんだか楽しそう」
「アマナちゃんだってそうじゃん。気になるんじゃない? ヤヤテツェプのしょ・う・た・い♪」
「それはノノちゃんだってそうじゃないの」
「確かに気にはなりますけど、あくまで本命はオークですので悪しからず!」
会話しながらもチェス盤は目まぐるしく戦況を変化させてゆく。
ことん、ことん、盤上の駒は大忙しだ。それはまるで彼女たち以外のメンバーを揶揄しているようでもあるが、二人とてこの目まぐるしい状況の中では事件を解決する駒の一つでしかない。
「相変わらずオークばっかりねぇ。研究し尽くしたら次は何を研究するのかしら?」
「どうですかねー。オーク研究ってなかなか終わりが見えないんで、下手すると一生やってるかもしれませんよ?」
「勿体ないなぁ。ノノちゃんくらいの人なら私と違ってスゴい魔物研究者になれそうなのに」
「なにをおっしゃいますやら。魚類研究者の中でアマナちゃん以上の子なんて、ノノカ見たことも会ったこともありません」
「隣の芝生だったかな?」
「そーゆーコトですね」
アマナは内心、それは少し違うと思った。
互いに皇国学会では冷や飯食らいの類だった二人だが、ノノカは周囲には可愛がられていた方だ。しかも論文などで実績を残してからの、周囲を振り払っての王国入り。残っていれば出世の目はあった筈だ。
アマナは違う。研究内容が女神の教えに抵触するなどと屁理屈のような理屈で研究そのものを潰されたアマナは、縋る思いで王国に来た。教授職にもノノカほど早くはなれなかった。
しかし、続くノノカの一言に何も言い返せなくなる。
「なんだかんだ今が一番楽しいでしょ?」
「……うん」
その言い方は卑怯だよ、とアマナは苦笑いする。
皇国では見向きもされなかった研究者だった自分が理論と知識を認められて教授に任命された日は、興奮で眠れない夜を過ごした。
しかも今では水産実験場の所長。
皇国では絶対にありえなかった大抜擢である。
設立当初は村とネイチャーデイと色々あったが、今では相互理解が進んで研究の手伝いもしてくれる。こんなにも充実した日々を過ごしているのに、更にここに至って未知の水生生物と来たものだ。研究者としての本能が疼いてしょうがない。
「でもこの件はどうかなぁ。話を聞いた感じ、生け捕りは難しそうだったじゃない?」
「これまでに犠牲者を出している可能性があれば、騎士団の判断が優先ですからねー。一応ヴァルナ君に物欲しそうな視線を送っておきますけど、無理なら死体で妥協でしょ」
「仲いいのね……あっ」
「ちぇーっく!」
こつん、とノノカのナイトが急襲を仕掛けてきて、アマナのキングはお手上げ状態だ。アマナもチェスは嗜んでいるしノノカとの戦いではこれまで勝ち越していたのだが、こうも呆気なく負けたのは初めてである。
「びっくりした。普段のノノちゃんの指し方じゃないわ」
「豚狩り騎士団の戦法を真似てみました! 後詰できっちりフィニッシュを決めるヴァルナくんをナイトで再現です!」
「なんだかすごくお気に入りみたいね、ヴァルナ君のこと」
「理想のビジネスパートナーですよぉ、ヴァルナくんは! 心臓残して殺してって頼んだら心臓残してくれますし、心臓破壊してから死ぬまでの時間数えといてって言われたら報告してくれますし、たまに解剖にも付き合ってくれますし!!」
「言葉だけ聞いたらサイコな犯罪者の片棒にしか聞こえないよノノちゃん!?」
首狩りヴァルナ、平民の希望ヴァルナ、剣皇ヴァルナ。
そのどの側面からも見えない新たな面、共犯者ヴァルナのイメージ誕生の瞬間であった。
◆ ◇
本来は昼食を楽しんでいる筈の昼であったが、当然というか無視しかねる報告を自ら挙げた以上は会議に無関係ではいられない。これでも一応権限だけは班長より上だし、何より目撃者だし。ということで会議に参加するのは当たり前の俺だったが、参加者のテンションには落差がある。
ネイチャーデイ組はミケ老、コメットさん、マモリさんの三人だが、マモリさんの眼が怖い。しかし憎しみによる怖さなのか、怖い思いをしたせいで目が怖くなっちゃっているのか判別が付かない。さっきからコメットさんに甘えるように側に体を傾け、肩と肩が密着状態にある。コメットさんは特段気にしてはいないのを見る限り、割とよくあることなのかもしれない。
そしてミケ老はヤヤテツェプ発見の知らせでも聞いたのかウッヒョイ度50%前後を推移しているように見受けられる。お願いだから会議中にウッヒョイしないでくれ。
村代表のオルレアさんの顔色は優れない。
伝説は伝説でしかないと思っていた怪魚伝説なのに、目撃したのがあの巨躯だ。自分が食べられていた時の事を想像せずにはいられないのかもしれない。
研究院からはアマナさんとノノカさん。
今回は院の人間としてノノカさんは専門家席に移動しているようだが、さっきからノノカさんが物欲しそうな視線を送ってきている。ははぁん、さてはヤヤテツェプをなるだけ綺麗な姿で手に入れたいんだな? 生け捕りは難しいだろうが死体回収はきっちりしておこう。
そして騎士団側だが……俺と三兄弟が出ているものの、三兄弟のうちトロイヤ・オスマン両先輩には発言を許さない旨のバツ印マスクが装着されている。曰く、アキナ班長の最も偉大なる発明の一つらしい。わかる。
あと、ローニー副団長の眼が死んでる。
「確かにオークについては見つからないままよりははっきり存在が確認できた方が今後の計画も立てやすくなりますが、怪魚も含めて二つ見つけてくるとは……優秀な部下を持って感涙ものですよヴァルナくん」
「心なしか責めてません?」
「いいえそんなことはありません。全然ありません。胃薬増やしてません」
「心なしか責めてますよね!?」
余計なもの見つけてきやがってと言わんばかりの態度かと思ったが、実際には「こんなことなら去年にヴァルナを無理にでも連れて来ていれば一年早く対処できたのに」という事らしい。どうやら俺の持つ並外れた運命力がオークと怪物を呼び寄せたと思われているようだが、残念ながらそれは関係ないと思う。俺より運のヤバい人を俺は既に何人か知っている。
「過ぎたことも起こったことも、今更論じてもしょうがありません。単刀直入に報告をしましょう。ではヴァルナくん」
「はい……えー、今朝より私は騎士団の部下三名、ネイチャーデイより協力者のマモリさん、研究院よりノノカさん、そして船頭にプレセペ村代表のオルレアさんを連れてイッペタム盆の調査に向かいました」
今まで部下としてこの手の報告を行ったことはあるが、上の立場の人間として報告するのは変な気分だ。俺はつい先ほどのように感じるとても濃密な、しかし余りにも短い体験とそこから得られた情報を並べていく。細かい部分は確認を込めて当事者とも言葉を交わすが、これといって齟齬もなく進む。
「……なお、オークのサイズは環境の割に二メートル級とそこまで大きくなり切っていません。位置関係やはぐれオークの特性からも考えて、オークの群れがイッペタム盆付近に存在する可能性はかなり高まったとみてよろしいかと」
そう、あのオークの大きさや健康状態も重要な情報だった。
はぐれオークには二種類が存在する。
そのうち死ぬオークと、放っておけば強くなって他の群れと合流するオークだ。あの時に目撃されたオークは屈強と呼ぶにはまだ若く、しかし栄養状態は良かった。そしてオスオークはメスオークのフェロモンを本能的に追いかけ、時には考えられない程の遠方から正確にメスオークの方へと向かっていく。
そこから導き出される結論は、あのオークははぐれではなくコロニーの一員である可能性が高いということだ。
現状、オークは王国のほぼ全土に広がっている。ましてシャルメシア湿地の周辺はオーク発見例の多い場所な上、湿地自体が餌は豊富だが決して住みやすい足場ではない。湿地を突っ切った先のメスオークに合流しようとするとは考え難い以上は、湿地の内部にメスオークが存在し、既に繁殖している可能性の方が断然高い。
――という話なのだが、ネイチャーデイの方々とオルレアさんが明らかに話に着いて来られていない。
「オークって二メートルで小さいほうなのか?」
「さぁ……儂、オークとか描かぬしのぉ。コメットくん知っとるか?」
「そんな皆様にこちら! 王立外来危険種対策騎士団のOBが出版した『サルでもわかるオークの生態』! これをお勧めします! なんとこちらは初版本! オークの皮で作られたブックカバー付きでお値段なんとっ!!」
「……コメット。それ、売り物じゃなくてネイチャーデイの備品だったんじゃ」
「というかお前、読んでるんなら教えてくれりゃいいんじゃねーの?」
「あっ、えー……ごめんなさい。ざっとしか読んでいないので分かりません」
オルレアさんの尤も過ぎる意見にコメットさんは申し訳なさそうに項垂れる。
その気色悪いブックカバーがまだ現存していたのも驚嘆に値するが、彼女の飽くなきセールス魂にも驚嘆する。自分も内容知らないものを売るって詐欺の始まりな気がするのは俺だけか。オルレアさんもこりゃ駄目だと目頭を押さえて首を横に振る。
「自分で読んでないのを人に売ろうとすんなっての……」
「は、はい……つい癖で」
「前にも似たようなことあったよな。鳥図鑑売りつけてきたけど、買ってみたら海鳥専門で湿地の野鳥が一羽たりとも載ってなかったやつ」
「あっ、あれは返品可って言ったけどオルくんがいいって!!」
「そういう問題じゃねー!! あの時は見識を広めるためと思って無理やり自分を納得させたけど、やっぱ冷静に考えたらありえねーだろ!!」
「……コメットを虐めるの、許さないから」
「えっ、あっ、ごめん……」
「マモちゃん……! 私の為に……!」
「そこ、話が進まないからちょっと黙ってなさい。後でオーク講座開くから」
オルレアさんとコメットさんはハッとしてすぐに聞く姿勢に戻ったが。マモリさんだけオルレアさんをスゴイ目つきで睨んだままである。何とはなしに三人のパワーバランスを垣間見た気がするが、このままでは報告に身が入らないと思い、口を挟む
「マモリさん。後にして」
「……」
「返事はっ!」
無視されても困るので後輩を叱る感じで声を張ると、そこで初めて俺の声に気づいたようにビクッとしたマモリさんは「あ、あい!」と狼狽えながら慌てて姿勢を正した。素直でよろしい。
と、今度はくすくすと控えめな笑い声が聞こえる。
声の主はアマナ教授。何がおかしかったのか口元を抑えながら彼女は頭を下げた。
「ごめんなさい、でもおかしくって……マモリちゃんってあんまり人の話を聞かない子なのに、初対面でこんな風に言う事聞かせちゃうんだもの。ノノちゃんのお気に入りは伊達じゃないわね。ごめんなさい、続けて?」
「はぁ……じゃ、続けますよ?」
少しばかりの停滞はあったが、報告は無事終わった。
シャルメシア湿地、その中心部であるイッペタム盆にはオークコロニーが存在する可能性が極めて大であること。そして、そのオークを丸呑みする程の埒外に巨大な「何か」がイッペタム盆に生息している可能性が高いこと。
後は、このオークも怪魚も相手にしなければならないというスケジュールに於いてどんな計画を立て、何から着手するかである。
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