第100話 たぶん妥当な判断です

 無事に一回戦を突破できたアマルであったが、その内容はかなり消化不良と言うか、素直に「何だったんだろう」という感想しか抱かないぐらい微妙な内容だった。これでも実力をつけたつもりなので正々堂々の戦いというのには人並みに高揚感を覚えていたが、かなり調子が狂う。


 何でこんなことになってしまったのか。

 アマルは自分の記憶を振り返った。


「ええっと、私の中のもう一人の私がそうしろって囁いたんだっけ?」


 全然違うし二重人格でもない事に数秒後に気付いた彼女は、調子の狂った頭でそもそもの原因を改めて思い出した。


『――え? 次の試合は相手の行動を待つ?』

『ええ、シモーヌさんは奥義は使えますがあまり強くないそうです。なのでシモーヌさんが動くのをのんびり待って、相手が動き始めてから反撃を開始してくださいまし。気を抜きすぎてうっかり一撃喰らうのだけはお気をつけて。それで勝てますわ』


 そう、確かトーナメント発表直後に何故か急にロザリンドが近づいてきて、試合前にとストレッチをしていたアマルにこのようなアドバイスをしてきたのだ。


『えーっと……まず先手を譲る。のんびりする。攻撃は喰らわないようにする。以上?』

『素晴らしい理解力ですわ。付け加えるなら、隙が出来たらきっちり反撃することも忘れずに』


 で、実行した結果がさっきの試合である。

 最初にアドバイスを受けた時は「そんな分析まで出来るんだー。ロザリーすごーい」と内心でアホみたいに感心したのだが、今になって思うと少し変な気もする。


 普段のロザリンドならば、正々堂々の戦いだからここは自分の力で切り抜けなさい、とか発破をかけるに留める気がする。或いは、「本来ならば片方に肩入れするというのは騎士を志す者として些か相応しくないのですが……」などと一言添える筈だ。なのに言わなかった。


 つまり、どういう事だろう。

 ロザリンドは基本的に対等、平等を重んじる。

 現在も肩入れはされているのだが、肩入れしている分の努力と成果を求めてくるのでそこで帳尻が合っているという認識らしい。そんな彼女が自分に無条件とも言える手助けをしているというのは……。


「……あ、試合終わったら他の事には脇目も振らずにもう一回来いってロザリーに言われてたんだった。早く行かないと指定時刻ないのに『遅刻ですわっ!!』とか言われそう」


 ……と、言われたことを思い出して散歩歩いた瞬間にアマルはロザリンドの不可解な行動を疑う事をすっぽり忘れてしまった。複数の仕事を同時に任せてはいけない典型的なタイプなアマルであった。


 なお、ロザリンドの下に向かう途中にゴートの手下の一人である男のヨコヲヲが何故かクッキーや飲み物を執拗に渡そうと歩み寄ってきたのだが、アマルは断腸の想いでこれを断った。


「ようアマル! 一回戦突破の記念にこれをや……え? あれ、何で無視して進んじゃうの?」

「いやーごめんごめん。一刻も早くロザリーの所に向かわないといけないからさ! ホントは食べたいんだけどゴメンね!」

「お、おい!! ……ど、どうなってんだ。あの食い意地の張ったアマルがタダで手に入るモノを無視するとか! おかげで飲むと暫く屁の止まらなくなる毒薬仕込みが無駄になっちまったじゃねえか!」


 タダより怖いのはタダなのを良い事に極限まで毟り取ろうとするアマル、というジョークまで生み出した彼女の予想外の行動に、ゴート腹心の部下である肥満体系のヨコヲヲは困った顔でクッキーと水筒に目を落とす。


「どうしよう、ゴート様は滅茶苦茶高い薬だったから成功させろって言ってたけど、これ無理強いするとロザリンドさんにバレる流れだよなぁ……あの人に目ぇ付けられるのは御免だよ?」


 しばしの逡巡の末、ヨコヲヲは「渡した瞬間に地面にひっくり返されて全部駄目にされたって事にしとけば恨みはアマルに向くかな」と考え、クッキーと水筒を後で処分することにした。彼は言う事は聞くが、言い訳と隠し事をしろという自分の心の声にもよく耳を貸す男だった。




 ◇ ◆




 アマルがロザリンドの下に向かっていたその頃、ロザリンドの方は彼女を待ちながら精神統一をしていた。準備運動は既に済ませているし、自分がこの試験で勝ち上がるという絶対の自信もある。既に士官学校の頂点であるロザリンドにとってこの試験は半ば茶番とも言えるが、そのような慢心を抱く事は彼女の求める剣の道にはそぐわない。


 故に、精神を極限まで収斂する事で勝利をより完璧なものとする。

 それがロザリンドにとっての、今回の試験の意味だった。

 と――ロザリンドの目が静かに見開かれる。


「何か御用ですか? 乙女の寝室に忍び込んだ変質者さん?」

「間違いとは言えないけど辛辣すぎないか……? いや、確かに今になって思えばもっと別の方法を取るべきだったと後悔してるけど……」


 しかめっ面をぶらさけて彼女に近づくのは、今朝に不審な犯罪者扱いされたコーニアだった。外見からは普段と余り変わりないように思えるが、実際にはロザリンドの本気の拳を胴体に数発受けている為服を脱げば酷い青痣がくっきり浮かんでいる。


 あの後、ボコボコにされそうになりながらも不屈の精神で意識を繋ぎ止めたコーニアは先日に自分が聴いたあくどい計画の話を彼女に話したのだ。それでもロザリンドは半信半疑だったが、そんな彼女にコーニアはこう提案した。


「自分の聞いた計画が本当なら、一回戦でアマルはシモーヌと当たる。そして次の試合ではゴートとカミールが当たる筈………貴方の発言は今のところ、当たっています。なのでアマルには少しばかりアドバイスをしてあげました」

「うっ……まだ疑ってるのか」

「友人の寝室に不法侵入した男を簡単に信用するほど私は楽観的にはなれません。まだ貴方が自分で言うその計画に加担していないという確証もありませんし、昨日にトーナメント表を見る機会のあった貴方が適当なでっちあげでアマルに近づこうとしてる可能性も十分あります」

「そんな都合よくトーナメント表なんて覗き見できるか!」

「アマルの部屋の合い鍵を取りに学校に侵入した貴方が出来ないとは言わせませんわよ」


 コーニアは反論できず、ぐっと唸る。

 淡々とした口調のロザリンドだが、その言葉は不当な疑いと呼ぶには無理がある程度に理に適っている。結果だけ見れば怪しいのは断然コーニアだ。むしろロザリンドが一応ながら彼が無実であるという可能性を捨てきってはいないだけ幾分かマシなのかもしれない。


「ま、まぁいい。ゴートの思い通りに事が運ばなけりゃ俺としては満足だ」

「ゴートさんを嫌う気持ちは分からないでもないですが……剣術の腕は一応上位であるものの、こちらを見てニヤついているあの嫌らしそうな視線がどうにも気味の悪い方ですわ」

(俺とアンタが奴を嫌いな理由は絶対に一緒じゃないと思うな)


 ゴートは特権階級限定のフェミニストだ。

 特にロザリンドに対しては、本人は隠しきれているつもりのようだが半分くらい彼女への一方的な好意が顔に出ている。彼女はそれを気味悪がっているのだ。コーニアもあの鼻の下が伸びた顔は素直に気持ち悪いと思う。

 だが、コーニアが彼を嫌う理由は、自分が平民より上の立場であるという事を叫んで憚らないその鼻につく性格だ。それでいて、平民は金か立場をちらつかせれば靡くのが当たり前と言わんばかりの言動も忘れない。


「あいつは俺とアマルを含めて買収しようとしてたんだよ。王立外来危険種対策騎士団に入った後も、恐らく恩を盾に内情を流してもらおうって腹だったんだろう。だが俺はあいつに従うのが嫌だから断った。そうしたら、唯一対等だった平民組が一人を除いて一斉に俺を離れたよ。あいつらは買収を飲んだから、俺とつるむメリットがなかったんだ」

「……それが本当なら、彼は貴族の恥晒しですわね」

「ちなみにアマルは奴の買収話に、何を勘違いしたかお金が貰える話だと思って金だけ分捕ってアイツの事はなおざりにしてたが。流石のゴートもアマルは馬鹿過ぎて買収の意味がないと悟ったのか、以降まんまと金だけ取られた恨みが消えないみたいだな」

「……それが本当なら、我が友人として恥ずかしいばかりですわね」


 ロザリンドは目頭を押さえて小さく唸った。

 ゴートも最初にそれを知ったときには腰砕けになったと聞いている。

 ちなみに分捕ったお金は彼女の以前の彼氏につぎ込んであぶく銭と消えたのだが、彼らがそれを知る由もない。


「ところで、アマルは自分が嵌められそうになった割には平気そうな面してたな」

「当然ですわ。そのことは教えていませんもの。教えたのは今回の試合の勝ち方だけですわ」

「……え、教えてないのか!?」


 思わずコーニアは狼狽える。彼としてはそこが一番伝えて欲しかった部分だったのだが、教えてないという事はそんなにこちらの発言が信用ならなかったのだろうか。同じ反骨心を抱いて欲しいという潜在的な彼の期待は、別の意味で裏切られた。


「な、何で教えない? 彼女自身の事だろう?」

「まったく、これだから変質者は……いいですか、アマルは目の前の事態には対処できますが先の事は考えられない人間です。そんな裏事情を教えて知恵熱を出したアマルが試合でミスしたら、貴方どう責任を取るおつもりで? ……それとも、動揺を誘うのが狙いかしら」

「うう……っ!」


 微かな疑いの視線にコーニアは再び狼狽える。

 どうにも彼女の視線には、他の特権階級にもない強烈な圧を感じる。

 それが貴族としてなのか、女としてなのか、或いは友人としてなのかは不明だが、ともかくそれだけ彼女がアマルの事を真摯に考えているのだという事だけは伝わる。


(そこまで仲良くなってたって事かよ……少し前まで俺の方がアマルに近かったのに)


 彼女の言う事は、恐らく正しい。

 アマルに腹芸など絶対に無理だし、一度に三つ以上の事を考えるとあっという間にどれかが抜け落ちる彼女にはどちらにせよ伝えても無駄なのだろう。自分とてアマルの為に行動した筈なのに、ロザリンドは更にその一歩先を行っている。

 それが、コーニアにはどうにも悔しかった。

 何故自分でもこれほど歯がゆいのかと疑問に思う程に、だ。


 と――。


「おーい、ロザリ~! 言われた通り一直線にここに来たよー!」

「お待ちどう様ですわ。さて、わたくしも次の試合があるのでそれ程時間は取れませんが、次の試合からが本番ですわよ?」

「そうなんだぁ。だよねぇー! 一回戦のあの試合だと始まってすらない感が……ってあれ? コーニアだ」


 ふいっと彼女の視線がこちらに向く。相も変わらずなんにも考えていなさそうな顔だ。

 これ以上いても邪魔か――そう思ったコーニアは踵を返す。結局、次の作戦の説明もロザリンドがした方が彼女にとっては分かりやすくなってしまうのだろう。コーニアの浅知恵と浅い人間関係では、きっと駄目なのだ。


「じゃあ、俺は失礼して――」


 自分の試合も近い。ロザリンドに朝に喰らった分も、痣だけで済んでいるので戦いに支障はあまりない。アマルの事など忘れて自分の事に集中しよう……と思ったのだが、アマルは全然そうは思っていなかったようだ。


「コーニアさぁ、この前もそうだったけど今日もなんか雰囲気違くない? どしたの? 便秘? 風邪?」

「うおっ、いきなり目の前に来んな! 俺はずっと健康体だ!」

「もしかしてなんか怒ってる? 最近あんま話しかけてくんないからちょっとサビシイよ?」

「お、お前の事情なんか知るかっ!!」

 

 アマルは空気も読まず、心も物理的にもずけずけとコーニアの目の前に迫ってくる。

 コーニアはこれが嫌だった。馬鹿だし、空気も読めないし、図々しいし、止めろと言っても止めない。なのに、アマルと縁を切ってしまおうとまで思いきれずにまたこれだ。おまけにその様子をロザリンドが瞬き一つせずにじぃっと観察しているのが精神的に辛かった。

 もういっそ走ってでもこの場から逃げ出そうかと思った刹那――ロザリンドが口を開いた。


「……アマル。実は先程の試合のアドバイスはコーニアが齎してくれたものなのです」

「え?そうなの!? やだ、そうならそうと言ってくれればいいのに~! いやいや私は分かってたよ? コーニアが本当は優しい人なんだって事は!」

「いや、あの……ち、違うからな! 誰がお前の為になんか動くか! 俺はただ……その、一時期でも面倒見たお前が無様に負けるのも後味が悪いって思っただけだ!!」

「そんな照れなくてもぉ~♪」

「照れてねぇ!! お、おい腕掴むな! お前の貧相な体にすり寄られたって嬉しくはねぇよッ!!」

「で、で? 次の試合はどうすればいい系ですかねぇ、コーニア先生殿!?」

「言う! 言うから離れろこのっ! ……ったく、いいか! 次の試合相手はゴートだ! あいつはなぁ……」

(成程これは、そういう事でしたのね)


 必死にゴートへの対策を、彼と教官の仕組んだ計画については敢えて触れずにまくしたて始めたコーニアと、それを全部ではないにしろ理解しようとするアマル。

 二人の姿を見ていて、ロザリンドは一つの推論を立てた。


(もしかして彼、自分でも自覚がないだけでアマルの事が好きなのでは?)


 恋は盲目、という言葉を本で読んだだけで恋愛した事がないロザリンドでも分かる程度に、コーニアの頬は赤く染まっていた。彼が部屋に侵入と言う暴挙を行ったのも、もしかしたら彼女が関わったせいで無意識に――。


(いや、そうだとすると余計に危ない男の気もしますね。その人の為だとルールを破って寝室に侵入など、下手をするとストーカーですわよ?)


 やっぱり暫くは変質者扱いが妥当だと思い直すロザリンドであった。


 一方、カミールと八百長試合を繰り広げていたゴートはというと……。


(こら、カミール! もっと我が剣技に耐えなさい!ロザリンドさんが席を外している所で勝っても彼女に我が華麗さをアピールできないではないですかッ!!)

(そんな無茶なッ!! だいたい戻って来なかったらどうする気でやんすか!? 逆にダンナの体力が削られたら折角の八百長が台無しでやんすよ!?)

(ぐぐぐ……あと一分! せめてあと一分耐えなさい!!)


 一番試合の様子を見て欲しかった人が会場にいないという予想外の事態に歯を食いしばりながらカミールに自称華麗な剣術を叩きつけていた。


 ……これは余談だが、剣術成績三位だったゴートの無茶ぶりに付き合わされて全力で応戦したカミールは結局一分後に敗北したものの、予想外の健闘をしたとして成績は少しだけ良くなったそうだ。

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