フレンドリー・フレンドの百合な人々
悠生ゆう
失うこともできない恋心
フレンドリー・フレンド株式会社。通称『フレ・フレ』は、ベッドタウンとして人気の高い郊外の街に本社および工場を持つ知育玩具メーカーである。
「本当にあのセクハラ課長どうにかならないかな」
私が言うと缶ビールをグビっと仰いだ魚住華も「マジ、それな!」と叫ぶように賛同した。
『セクハラ課長』とは私が在籍している顧客サービス部の生島課長のことだ。とにかくセクハラ発言が多いのだ。さらに最も問題なのは自分の発言がセクハラだという自覚がないところだ。
「アタシも言われたよー。『商品を開発するなら、早く子どもを産んで、生の声を活かせるようにならないとなっ』って。アタシはパッケージデザインだっつーの」
怒るところが微妙にずれているところが華らしい。
私と同期入社の華はデザイン系専門学校卒のため、私より二歳年下だ。
年齢も部署も違うけれど、はじめて顔を合わせたときからなんとなく気が合って、五年経った今でも時折二人で酒を酌み交わして仕事の愚痴をこぼし合っている。
『フレンドリー・フレンド』は働きやすい会社だと思う。自由な社風も開発している玩具も気に入っている。
それでも働いていれば愚痴のひとつやふたつは出てくるものだ。
それを月に一度から二度吐き出してスッキリさせるのが私たちの習慣になっていた。
居酒屋でかなり飲んだ後、一人暮らしをしてる華のマンションに場所を移してさらに飲み続けている。
華の目はすっかり座っているし体は常にフラフラと揺れている。若干ろれつも回らなくなっているが会話はまだ成立していた。
愚痴を話し尽くすと、話題はなぜか学生時代の思い出になっていた。
「あ! 私、華の学生時代の写真が見たい!」
私が言うと、華は「あるよー」と言いながら立ち上がり、フラフラとクローゼットまで歩いていった。そしてその奥からどっさりとアルバムを引っ張り出す。
「んーと、これが中学のとき!」
華が広げたアルバムの中で少し硬い笑顔を浮かべている幼い少女の顔には、確かに華の面影がある。
「うわっ、髪長い! かわいい! でも今の髪型もスキー」
私の言葉を聞いて、華はうれしそうに目を細める。私はそんな華の方に手を伸ばして、刈上げられた右側頭部を撫でた。何とも心地よい手触りだ。
でも中学時代の清楚なロングヘアも新鮮な感じがするし似合ってたと思うけれど、私は今の華の髪型の方が好きだ。
片側だけ短く刈った髪型はいかにもアーティストっぽい雰囲気で華によく似合っていると思う。
頭をなでられて猫のようにゴロゴロと喉を鳴らさんばかりの華は気分が良くなったのか「これが高校の修学旅行でしょ」「あ、これは体育祭だよ。変なダンス踊ったの」と次々と写真の説明をはじめた。
そして何枚目かの写真で「この子が高一のときに好きだった子」と指したのは華の隣でピースをする女の子だった。
「トモダチだったんだけどね、かわいかったんだー。すっごいいい子なの」
何を思い出したのか、華はニヘラーとだらしない笑みを浮かべる。
「あっ、こっちの子がはじめて付き合った子ね」
髪の長い華とメガネの掛けた女の子とが頬を寄せ合っている。緊張していたのかやや不自然に見えるところが微笑ましい。
そこから好きだった子、付き合った子、かわいかった子と次々の女の子たちの写真を示していく。
「ねえ、華ってレズなの?」
お酒の勢いもあって私は直球の質問をした。
華は気にする様子もなく「あー、そーだよー。知らなかったー?」と答える。
もちろん初耳だった。そもそもその可能性を考えたことがない。
というか友だちに対して「この子は異性愛者かな? 同性愛者かな?」と考えることなんてないだろう。
「りみー、レズだと、気持ち悪い?」
華が首を大きくかしげて、私の顔を覗き込むようにして聞く。もしかしたら、これまでにそう言われたことがあるのかもしれない。
私は首を横に振って「気持ち悪くないよ」とはっきりと答えた。これは嘘偽りない気持ちだ。
「まあ、びっくりはしたけどね」
「これからも友だちでいてくれる?」
「当然だよ」
私の返事を聞くと華は本当にうれしそうにニッコリと笑った。
「ありがとー。うれしーよー」
そしてダイブするような勢いで私にギュッと抱き着いた。
私は子どもをあやすように華の背中をポンポンと叩く。
「今は付き合っている人、いるの?」
「うんにゃ。今はいにゃい。でも好きな人はいるのにゃ」
なぜ突然語尾に「にゃ」が付くようになったのかは不明だが、酔っ払いの言動に意味を求めてはいけない。
「へー、誰? 私の知ってる人?」
「うふふ、ヒミツなのにゃ」
その後すぐに華は寝落ちしてしまい好きな人の名前を聞き出すことはできなかった。
そして私は華の好きな相手が誰なのか気になって、なかなか寝付くことができなかった。
華の好きな相手は社内の人間なんだろうか。だが華が私以外とプライベートで仲良くしているという姿は見ない。
だったら社外の人だろうか。
そう考えているとき、ひとつの推測が私の胸をざわめかせる。
もしも華が好きだという相手が私だったらどうしよう。
華はいい友だちだ。親友といってもいい。入社してから五年、ずっと一緒に頑張ってきた。
華のことは大好きだ。それは間違いない。だがそれは、残念ながら恋愛ではない。
すっかりダウンして、少しいびきをかきながら眠る華の寝顔を見る。
私は「どうか、私に告白をしないで」とつぶやいた。
翌朝、部屋中に広げられたアルバムを見て「うわ、何? この状況」と華がこぼした。
「華が自分で出してきたんだよ」
「マジで? 全然覚えてない」
華の顔がみるみる青ざめていく。開かれているアルバムのページに共通点を見つけたのだろう。
「あ、あのー、アタシ、何言った?」
恐る恐る尋ねる華に、私は一つひとつ丁寧に昨夜の話をリピートして見せた。
「まず、この子のことが好きだったって。それから、この子がはじめて付き合った子で……。あと、この子に片思いをしていたでしょう。それでこの子は……」
「ぎゃあああ! ストップ、ストップ! ごめんなさい。マジやめてください。オネガイシマス」
慌てふためく華が面白い。
「マジかー。何カムアウトしてるんだ、アタシ」
「あと、今、好きな人がいるとも言ってたよ」
私は何食わぬ顔で言う。
「おぉっ、そんなことまで言ったの」
華は盛大に打ちひしがれた様子でうずくまる。
「名前までは聞いてないよ。安心して」
「本当に? 本当に言ってない?」
私は笑って頷く。それに少しホッとした様子で華はモタモタと散らかったアルバムを片付けはじめた。
そして背中越しに私に問う。
「私が、レズビアンだって知って、どう思った?」
「んー、びっくりした、かな。だって、全然知らなかったもん」
「気持ち悪いとか、ない?」
「それ、ゆうべも聞いてたよ?気持ち悪いはずないじゃん。だって、華は華でしょう?」
私は笑って言う。それは本心だ。華の恋愛対象が男だろうと女だろうと、それは私たちの友情に何の影響もない。
ただ私のことを好きだと言われるのだけは困る。好かれるのはうれしい。だけど私は応えられない。
できればずっと告白しないでほしい。でも、もしも告白されたら私はなんと答えればいいのだろう。
華を傷つけず、今のまま友だちでいられる答えはあるのだろうか。
どれだけ考えてもその答えが見つからない。
ずっと友だちでいるために、ずっと気持ちを打ち明けないでほしい。
私はそんな身勝手なことを考える自分に少し嫌気がさした。
それから一カ月が経ったある日、華から「今日の夜、時間ある?」といつもの誘いがあった。
華のカミングアウトを聞いてから初めて開催する飲み会だ。この一カ月間、仕事上はこれまでと変わらず接することができた。
だがお酒が入るプライベートな時間はどうだろう。
私は少し緊張しながら行きつけの居酒屋に向かった。
居酒屋に入るとすぐに華を見つけることができた。すでにビールを飲みはじめている。
相手を待つことなく早く来た方から晩酌をはじめる。これはいつものルールだ。
だがいつもと違うことがあった。
四人掛けのテーブルに座る華の隣に、私たちより二年後輩の女の子が座っていたのだ。
私が席に着くと、華は「お疲れー」と笑顔を見せた。
「総務部の惣領さんだよね?」
私が聞くと、惣領さんは少し椅子から体を浮かせて「お疲れ様です」と頭を下げた。
それほど大きな会社ではないが、すべての社員の顔と名前を憶えているわけではない。だが惣領さんのことは知っていた。
総務課(と名付けられているが、内情は経理も人事も事務系の仕事が集まった部署だ)で主に社員の経費精算を担当している。
前下がりのグラデーションボブが似合う中性的な印象の女性で、どちらかといえば大人しいタイプなのだ。しかし仕事に対しての厳しさには一目置かれている。小さなミスも見逃さずバサバサ切り捨てていく姿から『モノノフ』という異名まである。
社歴としては二年後輩になるが、専門学校卒の華とは同じ年齢のはずだ。
私の頼んだビールが届くと三人で「お疲れ様」と乾杯をした。
そして視線を華に送り惣領さんが同席している理由を催促する。
いやな予感がしていた。
「あのね。この間、私、色々カムアウトしちゃったでしょ? アタシは覚えてないけど」
華は恥ずかしそうに口を開く。
「で、あの時言ってた好きな人っていうのが、惣領さんなの」
惣領さんを見ると少し頬を赤らめて下を向いている。
「この間、惣領さんに打ち明けたの。で、お付き合いすることになりました」
そこまで言うと華は照れ隠しのようにビールをグビグビと飲みお代わりを頼んだ。
「惣領さんとは……、ちょっと予想外だった」
私は魂の抜けたような声でつぶやいた。
ちょっとではない。だいぶ予想外だ。
アルバムで見せてもらった華の好みのタイプと惣領さんはどう考えても一致しない。
アルバムで見た華の好みは、髪が長い女の子っぽいタイプだった。
いかにも男請けが良さそうな、そう、私のようなタイプだったはずだ。
「あのとき梨美が『華は華だ』って言ってくれたの、本当にうれしかったんだ。だから、梨美にはちゃんと報告しようと思って」
「そっかー、そっかー」
私は言葉を探す。だが何も思いつかない。
私は両手で顔を覆って下を向いた。
おかしい。なんで胸が痛いんだろう。
もしも華に告白されたら困ると思っていたのに。
どうやって断ろうか、ずっと考えていたのに。
華の好きな人が別にいて、しかも付き合いはじめた。これで円満解決じゃないか。
華が私のことを好きかもしれない? なんという思い上がりだろう。
勝手に勘違いしてフラれた気分になるなんて。
「あれ、梨美? ど、どうしたの?」
様子のおかしい私を心配して華が声を掛ける。
「ブッ、ブァハハハハハハッ」
私は盛大に吹き出した。こんなに爆笑するのはどれくらいぶりだろう。
自分の馬鹿さ加減に笑しか出てこない。
「な、なに? 一体?」
華と惣領さんは目を見合わせて戸惑っている。
「ご、ごめん。華の好きな人って誰だろうってずっと考えてたから。それがまったくの見当違いだったからおかしくて」
笑いが止まらない。笑い過ぎて目に涙が溜まる。
「おめでとう。仲良くやるんだよ」
私は、笑いながら二人を激励した。
私は華に失恋したわけではない。
だってまだ、恋心さえ生まれてはいなかったのだから。
おわり
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