二重螺旋と、愛。

及川 輝新

第1話:東陶子について

 身長、体重、血液型。

 学年、クラス、出席番号。

 目の色、髪の色、肌の色。

 誕生日、星座、両親の名前、父方の祖父母の名前、母方の祖父母の名前、実家の外観。


 好きな食べ物、嫌いな食べ物。

 セーラー服のスカーフの結び方、スカート丈の長さ、プリーツの種類。

 持っている私服の枚数、ズボンの本数、靴の数。

 先日の学年末テストの順位、得意科目、苦手科目。

 視力、握力、走力、投てき力。

 好きな色、好きな天気、好きな季節。

 スリーサイズ、入浴時間。


 爪を切る頻度、髪を切る頻度、行きつけの美容院、食事で手を付ける順番。

 携帯電話の機種、使っている財布のブランド、折り畳み傘の柄、いつもカバンに入れているチョコレートの銘柄、服用している睡眠薬。


 活字が苦手、漫画が苦手、要は本全般が苦手。

 朝食はパン派。カレーライスには豚肉。焼き餃子には酢とラー油。揚げ物全般に醤油。目玉焼きには塩コショウ。

 炭酸は苦手。ゼロカロリー飲料も苦手。緑茶は好き。ジャスミン茶は嫌い。紅茶よりコーヒー派。砂糖・ミルクともに無し。ただしアイスコーヒーにガムシロップは必ず入れる。インスタントはあまり飲まない。


 靴下は左から履く。着替える時は下から脱ぐ。歯磨きはまず前歯から。ブラシはやわらかめ。歯磨き粉はたっぷり使う。


 両親のことを父さん、母さんと呼ぶ。一人称は「私」。


 日直の時は、いつもより五分早く登校する。箸を持つ際はまず親指と人差し指で二本ともつまんでから持ち直す。家の鍵はポケットにしまう。スペアキーは表札の裏に張り付けてある。ハンドソープは必ず泡タイプを買う。唇を舐めた後に小指で拭う。外食ではメニュー表を下から順に読む。

 


 東陶子あずまとうこについて、赤の他人である僕が知っていることといえば、たったのこれくらいだ。

 表面的なことばかりで、彼女について、肝心なことは何一つ知らない。


 陶子の信条。

 陶子の情熱。

 陶子の理想。

 陶子の夢。


 こうして毎日、十メートル後ろから姿を追っているだけじゃ、きっと永遠にわからない。


 今日も十メートル先を歩く陶子を、下から順に見上げていく。黒タイツに浮き出た華奢な足首。引き締まった太もも。小ぶりなお尻。腰まで伸びた純黒の髪は、体が揺れるたびにウィンドチャイムのようにさらさらとなびく。


 曲がり角に差し掛かる。アスファルトからにょきにょきと生えた橙色のカーブミラーに、陶子の顔が映し出される。視力が良いのは僕の数少ない自慢だ。


 黒真珠のような艶やかな瞳、細くなだらかな眉、少し丸みを帯びた鼻、薄い桜色の唇、陶器のように白い首筋。儚げで、脆そうな体躯。それでいて、十分に栄養の届いた胸部。このアンバランスさは、何度見ても飽きることはない。むしろこの調律の悪さこそが、陶子の外見的な魅力なのだ。


 もっと深く、陶子のことを知りたい。それでも、これまで盗聴器に手を出していないのは、紳士を気取っているからでも、「電子ノイズの入った純度百パーセントでない声では認められない」というポリシーを持っているわけでもない。もし陶子の家に盗聴器を設置するとしたら、何度も付けたり外したりするのは面倒だし危険なので、コンセントで自動的に充電するAC電源式になる。僕の貧しい所持金で購入できるものでは、半径数メートル程度までしか盗聴できない、粗悪な安物になってしまう。そうなれば、一度設置してしまえば僕は東家の半径五メートルから離れることはできなくなる。陶子の息遣い、陶子の生活音、陶子の独り言。ひとつたりとも聞き逃したくないのだ。


 これでも僕は一応、家や学校ではまじめな男子高校生と認識されているので、おめおめ家出や不登校に踏み出すわけにもいかない。


 陶子より学年が一つ上である僕は受験生だ。来年も再来年も、陶子を見守り続けるためには、勉強をおろそかにはできない。陶子のためならいつだって簡単に人生を投げ出すことができる。でもきっと、そのタイミングは今じゃない。それに万が一にも、僕が第一志望の有名大学に進学できたら、陶子の家庭教師をするチャンスが生まれるかもしれない。


 これだけは、あらかじめ言っておきたい。


 僕の生活は陶子を中心に回っているわけではない。


 陶子の生活こそが、僕の生活そのものなのだ。


 二重螺旋のように、二人の道は絡まり合う。しかし決して、交わることはない。


 僕と陶子は赤の他人だ。それでもあえて、特別性を見いだすとするならば、僕は陶子専属の「清掃員」といったところだろうか。別に、陶子に近づくどこの馬の骨かわからない低俗な男を山に埋めるとか海に沈めるとかという意味ではない。


 陶子のためなら、人を殺す覚悟くらいはあるけれど。

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