第245話、将来の話

 ライガネン王国王都、フェルムランケア。


 周囲を城塞に囲まれた強固な町。立ち並ぶ民家は傾斜のきつい三角屋根。石畳に舗装された通りは清潔に保たれている。雪が降ったのか、民家の間の影に白いものが山になっているのが見えた。初冬の空気の中、町行く兵士や人々の動作は、実にきびきびとしていた。


 慧太はどこか重苦しさを感じた。冷たい空気は戦争の臭いを感じさせる。

 大通りを行く一行を乗せた馬車は、フェルムランケアの中央にそびえるノードゥス城、その城門前で止まった。


 いよいよ、ここまで来た――慧太は立ち上がった。馬車から降りるセラ。彼女のあとに続く。

 仲間たちは馬車の客車に座ったまま、セラを見送る。……降りて挨拶くらい――と慧太は思ったが、セラはずんずんと城のほうへと歩いていくので、慧太も声をかけるタイミングがつかめずついていく。


 離れていくセラと慧太の背中を見やる一行。アスモディアはキアハを軽くこずいた。


「いいの? これで」


 きちんと挨拶しないで、というアスモディアに、視線を銀髪の姫に向けたまま、キアハは答えた。


「セラさんのお願いですから」


 慧太と二人きりで話ができるようにとり計らって欲しい――王都を目指す道中で、唐突にセラに頼まれたこと。当人である慧太を除き、それとなく周囲にそのように伝言を伝えたキアハである。

 リアナは無言で二人を見つめ、サターナは荷台のふちに肘をついて言った。


「ま、セラにとっては正念場よね」


 御者台のユウラは、そんな黒髪の魔人女を見やる。彼女は呟いた。


「がんばりなさい」



 城門と馬車のほぼ中間で、唐突にセラは立ち止まった。くるりと振り返り、慧太を正面から見つめる。


「ここまでありがとう」

「ああ」


 淡白な返事になった。他に何を言えばいいのか、考えても浮かばなかったのだ。

 いままさに別れの時。彼女と交わす最後の会話――それなのに、気の利いた言葉のひとつも浮かばない。


「あなたと、みんなは約束どおり、私をここまで送ってくれた。そのお礼は必ずお返しします」

「うん……」


 これが最後の言葉でいいのか? 慧太はもの悲しくなる。何とも杓子定規なやりとり。苦楽を共にして、友情以上のものをお互いに抱いていたと思っていたが……。それとも、これが彼女なりの覚悟の形だろうか、と思った。


 好きだと言った相手に対して、別れること。あえて事務的に突き放すことで、自らの未練を断とうとしているのかもしれない。……生真面目な彼女らしいと、慧太は顔には出さず、心の中で呟いた。


「元気でな」


 慧太は言った。彼女がそういう覚悟なら、こちらも未練がましい振る舞いはなしだ。


「オレたちはしばらくライガネンにいる。傭兵団を再建しないといけないからな。もし仕事になりそうな話があったら、いつでも依頼してくれ。すぐに駆けつける」

「……ケイタ」


 すっと、セラは視線を下げた。……さながら、押さえていた感情が露になるのを隠すように。彼女が何も感じていないわけがないのだ。


「セラ……」


 とっさに手を伸ばしかける。この涙もろいお姫様の目に、うっすらと光るものが見えた気がしたからだ。だがすぐに、それは軽率ではないかと思い、その手を下げた。


「……私ね、あなたに言おうとして言えなかったことあるの」

「うん……?」


 セラは顔を上げた。


「私は、あなたのことが好き」

「うん、知ってる」


 慧太は応えた。銀髪のお姫様は自らの腕を胸もとに当てた。


「私は、アルゲナムを魔人の手から取り戻す。どれくらいかかるかわからないけれど、一日でも早く取り戻すために全力を尽くすつもり」


 ああ、前にも聞いた――慧太は黙って頷いた。


「だから――」


 セラはじっと、慧太の目を見つめる。


「私と一緒に、アルゲナム奪還に力を貸して欲しい!」

「……」

「私のそばにいて。このまま別れるなんて、私は嫌! あなたにはそばにいて欲しいし、私もあなたのそばにいたい!」


 セラは真剣だった。どこまでも真っ直ぐだった。


「勝手なお願いだってのはわかってる。あなたや皆にお礼もせず、一緒に戦って欲しいなんて、厚顔無恥な言葉なのはわかってる。でも、それでも――」


 あなたと一緒にいたい。


 白銀の姫君の言葉に、慧太は息を詰まらせる。セラは続けた。


「アルゲナムを取り戻した暁には……ケイタ、あなたに私をあげる!」

「!?」

「私をあなたの好きにしていいから! だから、お願い……私と、一緒に……いてください」


 最後はほとんど聞き取り難い声になっていた。

 うつむくセラ。それはまるで、悪いことをして親からお叱りを覚悟している幼い子供のようだった。震えている。戦場では凛々しく、勇ましい戦乙女が。


 ――オレは夢でも見ているのだろうか。


 随分と間の抜けた感想がよぎる。自身の頬をつねりたくなる衝動に駆られるが、夢ではないことは百も承知だ。

 私を、あげる――とは、オレに生殺与奪の権利を委ねるということか。いや、この場合はもっとシンプルだろう。


 つまり、好きです、将来を共に生きましょう、と言っているのだ。

 結婚前提のお付き合いの告白、それに等しい言葉である。


 ――馬鹿な。オレはシェイプシフターだぞ?


 何度も自分に言い聞かせてきた言葉。だが彼女はそれを知らないのだ。魔人を憎み、魔物も敵だと認識しているだろう彼女に告白して嫌われることを恐れて、ひた隠しにしてきた己の正体を。


 断るべきだ、という思いと、真剣に告白してきた彼女の願いをすっぱりと切り捨てるのかという思いが慧太の中でせめぎ合う。

 将来的な見方をするなら断るのが正しいと理性は告げた。だがセラの想いを踏みにじってしまうことを良心が拒否した。目先に感情に囚われて、彼女を悲しませたくないという思い。将来もっと悲しませることになったとしても……。


 慧太は嘆息した。


「……王様にでも治まれってことか?」


 セラが考える一緒にいたいというのは、当然、そういう家庭に対する想像も含まれているだろう。セラはお姫様。アルゲナムを再興したら、その身分も戻るだろう。

 慧太は首を横に振った。


「別にそういうのはいらない」


 お姫様は吃驚した。

 それはそうだ。王族になれると聞いてそれを見送ると言うのは、相当な覚悟か、考えがないとできない。普通ならそんな機会ありはしないから悩むものだ。即答できるような話ではない。

 慧太が悩まなかったのは、自分が人間ではないことをすでに受け入れていたからに他ならない。 


「だけど、セラがオレを必要としているなら……そばにいていいと言うのなら……オレも君のそばにいたい」


 国とか、身分とかそんなんじゃなくて――


「力になりたいって、思ったんだ……」


 慧太はそっとセラに手を伸ばした。


「それは、今でも変わらない」

「ケイタ……」


 セラが慧太の手をとった。愛しげにその手を包みこむように握る。慧太は目を細める。


「将来のことなんてわからない。だけど、もう少しだけ……君のそばにいる。君を守るよ。アルゲナムを取り戻して、平和になったら……その時に、改めて考えよう。オレたちの将来を」

「うん――」


 銀髪の姫君の目から涙がこぼれる。次の瞬間、セラは慧太の胸に飛び込んだ。


「ええ……ええ。少しでも一緒にいられるなら……」


 ぎゅっと慧太を抱きしめるセラ。慧太もまた彼女の背中に手を回し抱きしめ返す。


 ――ごめんな、セラ。


 心の中で詫びる。彼女に対する慧太の答えは、つまるところ結論を先延ばしにしただけに過ぎない。……この身体でなければ。素直に答えられたのに。

 恨めしくもある。

 だが、それは嘆いても仕方のないことだ。いまは――もっと正直に、彼女と一緒にいられることに感謝しよう。

 セラを守り、その望みを叶えたら――その時は責任をとろう。だがそのために――


「アルゲナムを取り戻そう、セラ」


 慧太の声に、銀髪のお姫様は静かに頷いた。




 第一部、了

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シェイプシフター転生記 変幻自在の化け物はやがて白銀の騎士姫と旅をする 柊遊馬 @umaufo

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