第240話、戦乙女の危機


 狙いは白銀の戦乙女。


 ヴェーアヴォルフの指揮官オルドルが直卒する分隊は、アルゲナムの戦姫セラと交戦していた。


「側面に回りこめ!」


 自身もクロスボウを携帯しながら、部下に指示を飛ばす。

 狼魔人の部下らが獣化した姿で、セラに飛び掛る。狼型ではあるが、その大きさは獅子にも勝るほど逞しい。

 白銀の戦乙女は、飛び掛る狼魔人、その鋭利な爪をかわすと、光を帯びた銀魔剣を構え――


 オルドルはクロスボウを構える。狙いをつけるのに一秒。次の瞬間にはレバーを押し込み、矢が射出される。

 魔獣を狙うセラの側面を狙い――しかし彼女は瞬時に後方へと飛び退いた。オルドルの放った矢は空を切る。


 ――まだ視界に入っていたか……!


 極力、相手の見えない位置からの狙撃を試みたのだが、オルドルの動きは察知されていた。

 前衛の狼魔人が二人、銀髪姫の相手をしつつ、オルドルと他の射手は彼女の視界からはずれるように機動しながら隙を窺っていた。


 多数で一人の相手を囲み、倒す。そのことに何のためらいもない。目的を果たすための手段、ヴェーアヴォルフの基本戦闘術だ。

 一人が囮に、他の者が敵の隙をつく。そのパターンはあらゆる場面で活用される。


 だが、その得意パターンに持ち込んでも、アルゲナムの戦姫はなかなか仕留められない。彼女もまた、前衛の攻撃を凌いでいるが、反撃までには至っていない。もし反撃していれば、隙をつく攻撃に長けた魔人兵らがすでに彼女を仕留めていたはずだ。


 しかし、手傷は負わせている。セラは左腕に矢が刺さり、その行動は特に攻撃面で大きく能力を減じていた。激しい動きで痛みを感じ、その顔に苦痛の色を浮かべている。


 彼女がバテるのが先か、こちらの矢弾が尽きるのが先か――オルドルと部下たちは、じわじわとセラを追い詰めていく。

 矢を再装填。そのあいだに部下の射手が反対側からセラの側面を突こうと移動している。


 前衛の狼魔人が再度、セラに飛びかかった。オルドルは、彼らの動きを注視する。――次で、白銀の乙女を仕留めるのだ……!


 だが、ここでセラは魔人兵らの予想外の行動に出た。傷を負った左腕をあげる。いまさら魔法か? しかし、光の槍を形成したところで、クロスボウを持つ射手たちの絶好の獲物である。


 次の瞬間、あたりを眩いばかりの光に包まれた。


 ――くそったれめっ!


 視界が真っ白に染まり、オルドルは目を閉じ顔をそらした。


 閃光で周囲の視界を潰したのだ。飛び掛った兵はもちろん、クロスボウで狙いをつけていた兵もその光を直視してしまい、全員が怯んでしまった。


 白銀の戦乙女はその隙を見逃さなかった。

 光の力を与えられた銀魔剣は、狼魔人ふたりを瞬く間に切り捨てると、弓持ちの兵のもとへ突進。ようやく目をしばたかせていた彼らの間近に肉薄し、やはり光剣で切り裂いた。

 たった数秒で、セラは自力で窮地を脱した。


 見事だ――!


 オルドルは、伝説の勇者の末裔に恥じない機転と力で活路を見い出した白銀の乙女を賞賛した。

 視界が晴れた時、分隊はオルドルを残し全滅していた。最後の射手が切り倒された時、装填が終わったクロスボウを構え、オルドルは撃った。


 矢はセラの右ひとももに刺さった。


「ああっ!」


 銀髪の戦乙女が、短くも痛ましい苦悶の声を上げた。


 ――残るは俺ひとり!


 オルドルはクロスボウを捨て、一気に距離を詰める。腰に下げていた爪剣と呼ばれる、やや刀身の短い魔人軍正式採用の軍刀を抜刀。足に怪我を負い、さらに行動に制限が加わった銀髪の乙女の側面、背後にまわるように走る。


「これで、終わりだ――!」


 セラがオルドルを凝視する。脅えはない。だが迫り来る凶刃に、憤怒にも似た感情を秘めた目を向けてくる。己を殺そうとする敵に対する怒り、それは戦士の顔であり、同時に獲物を食い殺さんとする獣にも似た顔だった。


 いまから剣を振ろうが間に合わない。魔法など使う間もない。

 殺れる――オルドルが爪剣で貫かんと突き出そうとした時、彼の右目の視界を黒い何かが遮った。 



 ・  ・  ・



 死を覚悟した。

 セラは迫り来る魔人の剣、その刀身の先を見ていた。

 本能的にかわせないとわかった。だがそれを認識した瞬間、時間の経過がひどくゆったりとしたものになったような錯覚をおぼえた。目と鼻の先なのに、わずか一、二秒のはずなのに、その数倍の長さのように感じたのだ。


 だが、迫る魔人の顔を、横合いから飛んできた小物体が切りつけた。

 黒い、小さな塊だ。人型だが、わずか六〇センチテグルほどの高さしかない。

 しかしセラにはそれが何かわかった。シェイプシフターだ。


「アルフォンソ!?」


 奇襲を受けて炎に焼かれたと思われた彼に違いない。随分とサイズダウンしているが、セラには予感があった。

 彼が魔人を切りつけたことで、その魔人は完全に視界を失った。もとより片目がなかったのに、残る目も潰されれば、もはや抵抗のしようがない。寸前まで死をもたらそうとした敵、その立場は完全に入れ替わった。


 セラは銀魔剣を振るった。右足で地面を踏みしめた時、激痛が走ったが、恐るべきアルガ・ソラスの一撃は、魔人の身体を溶断し、絶対の死を与えた。


 呼吸が荒らぶる。右足に左腕に刺さった矢が痛みをセラに与え、先ほどまでの激しい運動の連続に心臓ははちきれんばかりに鼓動を繰り返していた。


 敵はいない。今ので襲ってきた魔人は全滅した。傍らで、ちょこんと立っている小柄なシェイプシフターを見やり、セラは安堵の笑みを浮かべた。


「生きていたのね、アルフォンソ。……よく、無事で」


 じんわりと、目に涙がたまった。慧太の相棒のひとりにして、これまで共に戦ってくれた怪物シェイプシフター。この黒い塊に対して、セラは戦友意識を持っていた。

 だから彼が燃え上がった時は悲しかったし、同時に助からないと思った。……セラは知らなかったが、アルフォンソを構成する身体の大半は燃えたが、無事な部位を早期に切り離したことで、全消失を防いだ。結果がこのサイズダウンである。


「ありがとう」


 助けてくれて。そして、生きていてくれて。

 セラは視線を転じる。戦っているうちに、キアハからだいぶ離れてしまった。

 右太ももに刺さっている矢に触れる。ズキンと痛みが走るが、セラは構わず矢を掴み、引き抜いた。悲鳴が漏れたが、何とか大声はあげずに済んだ。

 血が流れ、あまりの痛さに卒倒しそうになるのをこらえた。

 いまは、キアハのもとに戻らないと。彼女の治療はまだ途中――


 グサリと左のわき腹に、えぐるような異物が入った。


「……えっ……?」


 何が――じんわりと、しかし痛烈な痛みとなったそれにセラの表情が歪む。

 涙がたまったその青い目を向けると、わき腹にダガーのようなものが刺さっていて、さらにすぐそばに、いままで『見えてなかった』それが、ゆっくりと姿を現した。


 トカゲ顔の魔人だ。セラは知らなかったが、それはカラドレザン人――背景に自らの表皮の色を溶け込ませて、姿を消す種族だ。


「……油断したな、戦乙女」


 魔人は西方語で言った。ダガーが引き抜かれ、セラの身体から鮮血がほとばしった。ガクリと力が抜け、セラは雪の積もりつつある地面に倒れる。


「隙をつくのが、おれたちの戦い方だ……!」


 隊長の仇――カラドレザン兵がトドメを刺そうと屈もうとした瞬間、小型アルフォンソが間に割り込んだ。手をトゲのように伸ばすと、魔人兵に何度も突きを放ち、血祭りに上げる。

 アルフォンソは怒っていた。セラを守れず傷を負わせたことに。


 シェイプシフターが魔人兵に復讐しているあいだ、地面に横たわったセラは目をしばたかせていた。

 赤黒い血が傷口から流れ、雪を染めていく――

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