第212話、異郷の日本人
その男は
シアードの町の大通り沿いにある食事処、その屋外の席で、慧太は三十半ばと思しき日本人男性とテーブルを挟んで向かい合っていた。
ちなみに、ユウラとアスモディアは大図書館に赴き、残りの女性陣は、慧太たちの近くのテーブルに陣取って食事を取っていた。昼の日差しを遮る屋根があるとはいえ、吹き抜けの屋外席には、心地よい風が吹いてきた。
「……気づいたら異世界だろ? あれには面を喰らったよ」
倉井はぶどう酒の入ったカップを手に取る。
「光がはじけて、気づけば薄暗い教会みたいなところだ。漫画やライトノベルみたいなことあるんだなぁって。……まあ、今でこそそう思ってるけど、あの時はほんとふざけるなって感じ」
「まぁ、そうですよね」
慧太は日本語で答える。だから自然と、ここでの口調は年上相手を意識したものになっている。
「言葉は通じないし、俺を召喚したのがヘボい魔術師でさ。難儀したよ」
「わかります」
慧太のときは、きちんと日本語が喋れる通訳兼魔術師がいた。もっとも、だからと言って得をしたわけでもなく、召喚直後にすぐに魔人軍と戦う羽目になり、クラスメイト共々皆殺しにされた。
「倉井さんは、どうして
「それがよくわからないんだ」
ぶどう酒を口にしながら、倉井は顔をしかめた。
「さっきも言ったとおり、言葉が通じない。ようやく覚え始めた頃に、騒動に巻き込まれてなぁ。そこから逃げ出す羽目になった。……いや物騒だよ、この世界は。日本が恋しい」
「そうですね」
慧太もカップのぶどう酒を煽る。倉井は悪戯っ子のような顔になった。
「いい飲みっぷりだな。……慧太君は未成年だろう?」
「日本では酒が飲めない年齢ですが、ここではお酒を飲むのに年齢制限はありませんから」
もっともシェイプシフター体である今、ほとんど酔えないのだが。慧太にとっては酒も単なる液体に過ぎない。
「おっと、この国の法に触れてましたか?」
「いや、ガキでも飲んでるよ。水は腐るからな、しょうがない」
倉井は、背もたれに身体を預ける。
「慧太君、君のその格好……旅人、というより戦士のようだけど」
「傭兵をしています。いちおう」
どこか自嘲めいた笑みが浮かぶ。倉井は眉をひそめた。
「君は学生だよな。若いのに、傭兵とか――」
「日本では考えられない話ですね、たしかに」
慧太はさばさばとした態度だった。
「でもほら、僕らの世界だって、中東だかアフリカには少年兵とかって、僕よりも若い子供が銃を手にとって戦ってるって話も聞きますし。世界的に見れば、なくはない話ですよ」
「君もここではその当事者だけど、自覚はある?」
慧太は酒を飲み込む。そして間を取ると、話を変えた。
「倉井さんは、この町に住んでるんですか? お仕事は何をされているんです?」
「いちおう商人」
あごひげをかきながら、にこやかに笑う。
「まあ、正直に言えば銭勘定だな。計算ができるから。ほら、この世界の連中って基本的に俺たちより教育とか知識、遅れてるから」
「そもそも学校、見ないですからね」
慧太は首を小さく振った。
「小さな集落だと大人でも字が読めないなんて、ざらです」
「きちんとした教育機関と制度があることのありがたみがわかるってものだな」
倉井は、席から見える大通りを行く人々を眺める。
「俺も言葉で苦労したが、君も苦労しただろう、慧太君」
「ええ、まあ」
捕食して得た知識ゆえ、実は苦労というほど苦労はしていなかったりする。もちろん、そんなことをこの日本人には言えないのだが。……自分がすでに人間ではないことも含めて。
「教わった相手がお行儀がよくない人たちだったので、西方語だと乱暴な言葉遣いになるようです」
「俺もまわりから、ひどい訛りだって言われるよ」
倉井は苦笑した。
「結構、面倒なんだよな。ここらなら西方語を覚えればだいたい通じるとはいえ、獣人の――ああ、もちろん獣人の喋る
「あー、確かに」
慧太は同意した。
獣人傭兵団にいた頃、全員がベーシックと呼ばれる人間の言葉を喋っていたわけではない。各種族にはそれぞれの言葉があり、中には自らの種族言語しか操れないものもいた。……もちろんそれを責めるつもりはない。慧太だって日本にいた頃は、学校で学んだ英語が少しと、日本語しか使えなかった。
それが今では――
「さすがに僕も獣人言語はある程度わかるのですが、種族によっては真似るのが難しいのもありますね」
「わかるのか?」
倉井が驚いた。多少は、と答える慧太に、倉井は身を乗り出した。
「慧太君、いますぐうちの職場に来てくれ。獣人の言葉がわかる人間は希少だ。ボスに話せば即採用だぞ」
「あー、それはいい話なんでしょうが」
正直に言えば困ってしまう。慧太は今は傭兵であり、さらに言えば、セラをライガネン王国に届けるという仕事を遂行中だ。職に困っているならいざ知らず、今はやることがあるのだ。
「せっかくのお誘いですが、こっちにも都合があるので。もしもの時はよろしく、とだけ」
「傭兵ってのは危ない家業だろう?」
倉井は腕を組んだ。
「周囲からもあまりよく思われていないアウトローだ」
「世間様はそう言うんでしょうが、僕にとっては家族みたいなものなので」
誘われて困惑しているというのが本音である。
倉井は酒のおかわりを注文し、それが注がれたカップを持つと、唇を湿らせながら、視線を慧太の連れである女性陣を見やる。
「……綺麗な娘ばかりだな」
「男もいますよ、うちの団は」
一瞬、団長のドラウトを思い出したが、彼はすでにこの世にいない。他にも多くの仲間たちがいた。そのわずかながらの微妙な間を、倉井は見逃さなかった。
「充実してる?」
「危険と隣あわせなのは仕事柄。それでもまあ、何とかやってます」
「日本へ帰りたいと思うことは?」
「ないといえば、嘘になるでしょう」
慧太は皮肉げに返した。
「あなただって、そうでしょう、倉井さん」
「ああ、帰りたい」
穏やかだった倉井の表情に影がよぎる。
「この不潔で、ネットもテレビも――おおよそ娯楽がない世界にはうんざりしてる」
物取りは物騒だし、命の危険だってある――倉井の目は正直だった。
「帰りたい。安全な日本へ」
「……」
慧太はぶどう酒を飲もうとして、カップが空になっているのに気づいた。西方語でおかわりを頼むと、しばし言葉もなく黙り込む。
帰れるなら帰りたい。それは偽らざる本音だろう。故郷から切り離され、この世界に召喚された。頼んだわけでもなく、半ばこの世界の誰かの何かのためにつき合わされているのだ。これを理不尽といわなくて、何が理不尽だというのか。
「慧太君、君とここで出会えたのは、何かの
倉井は真面目ぶる。
「実は、日本に帰る方法がある、と言ったら……君は手伝ってくれるか?」
「日本に帰る……!」
慧太は大きく目を見開いた。それは心の奥にくすぶっていた想いを呼び起こすに充分だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます