第213話、異世界の壁を越える方法
慧太と倉井が話し合っている頃、その様子を近くのテーブル席でセラは見つめていた。
彼は召喚魔法で東の果ての国から、この大陸西方、リッケンシルト国に無理やり連れてこられた。
普通の方法では帰れない――慧太はそう言っていた。その話を聞かされたセラは、彼と星空を眺めながら、いつか帰れますように、と祈った。
その慧太と同じ国の人間がここにいる。セラが今まで聞いたことのない言葉で、会話する二人を見ていると、ああ、この人は遠い国から来た人なんだと強く思い知らされた。
どこか寂しい気持ちがこみ上げてくる。
どうしてだろうか。セラにはよくわからなかった。
食事処なのに、先ほどから酒しか注文していないのは気のせいではないだろう。セラのほか、リアナ、キアハ、サターナがいたが、彼女たちも先ほどからぶどう酒を舐め、呷っていた。
「で、結局何を話しているんです?」
キアハが聞けば、この中で唯一『ニホン語』を解するサターナが言った。
「故郷に帰れる方法があると、倉井という男は言ってる」
「故郷?」
キョトンとするキアハ。セラはカップをテーブルに置いた。
「ケイタは、高位の魔術師が使う魔法でニホンという国から召喚されたのだそうよ。とても遠い国で、簡単には帰れないと言っていたけど」
「その帰れる方法があった、ということかしら」
サターナは、つまらなそうに酒を飲む。
帰る――その言葉が、ズンとセラの心に沈み込む。
無理やり召喚されてしまった彼。その彼が、故郷に帰れるというのは、本当なら喜んでしかるべきではないか。そう、喜ばしいことなのだ。おめでとう、よかったね――そう声をかけてあげるべき事柄だ。
けれども――
セラは胸の奥が疼く。この痛みを伴うような、もやもやした感情。これは一体何なのだろう。
彼がいなくなる。そう思っただけで、明るかった道筋に急に影が差したような気分になった。
ライガネンまで。
彼はそこまでセラを守って送り届けると約束した。いまでは一緒にいることが自然で、むしろこれからもずっと一緒にいるものだと、心の中でそう思い込んでいた。
――ライガネンについたら、そこでお別れだというのに。
わかっていることなのに。
失念していた。
こんな当たり前のことさえ忘れていたなんて……!
――私は、彼なしではいることなんて、考えてもいなかった……!
いつから彼に頼りきりになっていたのだろう。そばにいて当たり前だと思うようになったのだろう。
アルゲナムを魔人たちから取り戻す。それはセラの心に課した使命。亡くなった父王や臣下たち、国の民たちへの誓いだ。ライガネンについて、王国の慈悲に縋った後は、セラは故郷奪還のために活動する。
だが、慧太たちは傭兵――アルゲナムは彼らの国ではなく、ライガネン行きの旅のあいだの警護だ。
しかも無報酬で。彼らの好意に甘えている格好だ。
もちろん、セラは慧太やその仲間たちのくれた恩に報いるつもりだ。たとえこの身に何があろうとも、彼らのために報酬を用意して、必要なことはしてあげようと思っている。すぐに返せるものでもないかもしれない。だが必ず。
セラがそんな状態だから、慧太たちに『アルゲナムを取り戻す戦いに加わって欲しい』とお願いするのは厚顔無恥だと思うのだ。まず恩返しをして、それからの話だ。
「寂しいの……?」
その声に、セラは顔をあげる。
リアナの碧眼が、じっと銀髪の姫を見つめていた。
「寂しい? 私が……」
セラは困惑する。そんなことないと笑みを浮かべようとして、ぎこちないものになる。これでは私が強がっているみたい――少し気恥ずかしさをおぼえた。
「故郷に――」
キアハが沈んだ声を出した。
「帰っちゃうんですか、ケイタさん。仲間だって迎えてくれたのは……嘘だったんですか」
「嘘ではないでしょう」
サターナが、たしなめる。
「ただ、慧太には慧太の都合があるわ。彼にも選ぶ権利はある」
「でも……! それだと私……」
またひとりになってしまいます――慧太とその傭兵団を新たな家と定め始めたキアハにとって、その大黒柱たる慧太がいなくなるというのは大問題だった。拾われたのに、すぐに捨てられてしまうような気分だ。
しょんぼりと肩を落とすキアハ。セラは同情的な視線を向けた後、その瞳を狐娘へと向けた。
「リアナは、平気なの?」
「うん……?」
カップのぶどう酒を口にしながら、リアナは視線を寄越した。
「ケイタの相棒なんでしょ? その彼がいなくなったら」
「……さあ、その時になったら考える」
さして気にしていないような口ぶりだった。
「まだそうと決まったわけじゃないでしょ。なら、考えても無駄」
「でも……」
彼は故郷に帰りたいのではないか。むしろ、セラが彼の立場だったなら帰りたいと思う。無理やり異郷の果てに飛ばされ、家族などからも引き離されたなら。
――家族……。そう、私と違って、家族もきっと心配しているはず。
そう考えるなら、慧太に無理強いはできない。それを頭ではわかっているのに――セラは思わず唇を噛んだ。
心が悲鳴を上げている。彼と別れたくないという声が、胸の奥で。
――私は、嫌なやつだ。
表面上は祝福しているふうを装いながら、心の底では、彼が傍にいてくれることを願っている。浅ましく、醜い心だ――それを自覚すると、セラは無性に悲しい気持ちになった。
サターナが机の上にカップを置いた。
「いま、ハイマト傭兵団――いえ、その残党と言うべきね。あなたたちの中心は、間違いなく慧太なのよね。その彼がいなくなるということになれば」
その長いまつげに縁取られた紅玉色の瞳を閉じる。
「問題よね……あなたたちにとって」
・ ・ ・
「いいか、慧太君。異世界の壁を越えるには、十二個の生贄と、それをつなぐ魔法陣。そして魔法起動の呪文、その詠唱が必要なんだ」
周囲を気にしてか、倉井は声を落としながらそう告げた。
生贄に、魔法陣、呪文とくればまるで――
「何だか悪魔召喚の儀式みたいですね」
慧太が思ったことを口にすれば、倉井は椅子にもたれた。
「当たらずとも遠からず……。召喚魔法というのだから、考え方としてはそれが近いんじゃないかな」
「本当にそれで、元の世界に?」
この世界で魔法の類は目にしたとはいえ、世界を越える魔法というのはさすがに――
「でも慧太君。俺たちはそうやってこの世界に呼ばれただろう?」
倉井は指摘した。
「逆もまた、然り、だと思うが」
「確かに」
実際に、呼ばれているのだ。できるできないで言えば『できる』と考えるべきだ。そうでなければ、今の状況を説明できないではないか。
「それで、十二の生贄とは……?」
疑問をぶつけてみれば、倉井は神妙な顔つきになった。
「文字通り、生贄さ。召喚の際に必要となる魔力、そのエネルギーの供給源と言ってもいい。十二の人間――あ、いや」
倉井は言い直した。
「十二の生き物の命を使うことで、異世界の壁を越える」
「いま人間と言いましたよね?」
「……ああ、言った。俺が召喚されたとき、この世界の人間の命が十二個、生贄として使われたと聞いた」
「……」
「もっとも、生き物であればいいらしい。必ずしも人間である必要はないとか」
「それを聞いて安心しました」
慧太は安堵してみせる。異世界に帰る方法があったとして、十二人ほど死んでもらわなければならないというのは、さすがに許容できなかった。
「それで、だ、慧太君」
倉井は、慧太が思案するのを遮るように言った。
「君、この世界の文字は読めるか? できれば古代魔法言語なんか読めると最高なんだが」
「いや、文字は――」
少しは読めるが、シェイプシフターとして取り込んだ者たちでも字の読み書きができるのはわずかだった。この世界の識字率の低さを考えると、逆にそちらのほうが珍しい。
とはいえ、字を書ける者もいたので、ちょっと記憶を漁ってみればもしかしたら……。
「そうか。いや、あとは呪文だけなんだよ」
倉井は言った。
「だが字が読めないんじゃ、詠唱なんてできない。どこかに、魔法言語に通じている知り合いとかいないか?」
「それなら――」
慧太は顔を上げた。
「うちの団に古代魔法の研究をしている魔術師がいます」
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