第210話、リーダー


 仲間たちのもとへ戻った時、セラが安堵した表情で出迎えた。おかえりなさい、という彼女に慧太は「ただいま」と応える。

 馬車は街道わきに止まっていた。リアナは相変わらず馬車の天井に陣取っていて見張りを担当し、他の者たちは真っ暗な中、周囲を警戒していた。


「もう、火は点けていいぞ」


 慧太はユウラに言えば。


「終わったんですか?」

「まあな」


 答えた慧太に、青髪の魔術師は予め準備していただろう薪に火をつけた。辺りがポッと明るくなる。


「とりあえず、報告な。シャンピエンと話がついた。オレたちを見逃してくれるとさ」


 どさり、と慧太がその場に座り込むと、アルフォンソが枕とクッションを作って地面においてくれた。いかにも疲れたという態度で慧太はそれらにもたれて横になる。


「はあ? 見逃すだっ!?」


 カーフマンが慌てて、慧太のそばに駆け寄ると地面に手を付いて聞いてくる。


「あのシャンピエンだぞ!? どうやって話がつくんだよ!?」

「連中、思ったより損害がでかくてな。これ以上、オレたちと戦っても割に合わねえってんで、手打ちを持ちかけてきた」

「どんな!?」

「オレたちを見逃す代わりに、今回の事はなかったことにしろってさ」

「なかった、こと?」


 カーフマンが首を傾げる。セラが、慧太の隣に座ろうとすると、アルフォンソがやはりクッションを作った。……やたら気が利いている。


「オレたちはシャンピエンと戦わなかった。もっといえば、オレたちは連中に襲われていない」

「襲われたよな!?」


 理解できなかったようだった。ユウラが焚き火のそばに座りながら言った。


「要するに、今回生じた損害のことを誰にも言うな、ということでしょう」

「へ?」

「わずか数人の傭兵に負けたなんて醜態、周囲に与える影響は大きいですからね。こちらを見逃す代わりに、あちらの面子も立てろ、ということですよ」


 ユウラは右目を閉じ、左目で慧太を見やる。まるで慧太のお話が作り話であることを知ってますよ、と言わんばかりに。……まあ、おそらく察しているだろう。交渉など最初からなく、シェイプシフターたちがシャンピエンを喰い散らかしたということを。


「そういうことですから、カーフマン氏。あなたもこのことを町に戻っても誰にも言わないように。口外したら、たぶん消されますよ」


 ゴクリ、とカーフマンはつばを飲み込んだ。言葉で圧力をかけたユウラは、そこでニコリと笑った。


「では、火も起こしましたし、食事にしましょうか。いい加減、こちらもお腹がすいてしまって――」


「アスモディア」と、ユウラが頷けば、赤毛のシスターが、すでに適度な大きさに切られた肉を並べた鉄板を持ってやってきた。

 サターナが口を開く。


「その肉は……あの太ったトカゲの?」

「ドラウと言います」


 ユウラは首肯する。

 昼間、慧太とキアハが相手にしたトカゲ頭の魔獣――そのうち状態がよさそうだったものをさばいたものだった。

 慧太は言った。


「裁いたのはリアナか」

「もちろん」


 降りてきた狐娘が頷いた。

 ドラウ肉のステーキ。……焼肉のタレがあったら、どれだけ美味かっただろうな――慧太はここにはない、かつての故郷の味を想像し、肉を噛み締めた。

 微妙に塩で味付けがされていた。誰かが塩を使ったのだが……おそらく、調理をこなした狐娘だろう。――塩を持っていたのか。



 ・  ・  ・



 一晩の野宿。

 まだ日が昇る前、だが空は白み、明るくなりつつあった。もうじき、東の地平線から日が昇り、まばゆいばかりの光で草原を満たすだろう。

 早朝の冷めた空気を感じながら、慧太は身を起こす。すっかり眠っていたようで、昨夜の食事のあとの記憶がほとんどなかった。


「おはようございます、慧太くん」


 ユウラが焚き火の前で適当な岩を椅子代わりにして座っていた。どうやら今は彼が見張り番だったようだ。


「おはよう、ユウラ」


 毛布代わりにかけられていた外套を見やり、はて、いったい誰がかけてくれたんだろうと考える。セラか、リアナ……サターナだったりするんだろうか?

 そのセラは慧太のすぐ横で外套に包まっていた。穏やかな寝顔をさらしている。

 慧太は思わず微笑んでしまう。彼女の身体の下にはアルフォンソが敷布団みたく広がっていて、地面にも関わらず寝心地のよさを提供している。


 カーフマンは御者台で横になっていた。何かあった時、すぐに逃げられるようにだろうか。

 馬車の後ろにはアスモディアが座りながら寝ていて、リアナは屋根の上で寝ていた。……気に入ったのだろうか、そこが。

 キアハとサターナの姿が見えないが、馬車の中で休んでいるのだろうか。


「目覚めの珈琲コーヒーはいかがですか?」

「コーヒーだって?」


 慧太が驚きながら、焚き火の前に座れば、ユウラは湯気の立つカップを渡してきた。


「トィアーテ村で見かけたので買いました。高かったですよ」

「だろうな」


 この世界に来てから、コーヒーなんて飲んだことがない。


「お金はどうした?」

「あなたの娘さんから小遣いだと」

「オレはもらってないぞ」


 サターナの金ということは、城塞都市ヌンフトから奪った、いや慰謝料だろう。

 ユウラはコーヒーのカップを持ちながら、口もとを緩めた。


「あなたは彼女の親でしょう? 親が子供から小遣いをもらうのですか」


 閉口である。あつあつのコーヒーを流し込み――それ自体に、慧太にはあまり意味のない行動だったが、少なくとも人間らしく『飲んでいる』という気分にはなれた。


「少し気になっていることがあるのですが」


 ユウラは世間話をするように言った。


「この旅が終わったら、あなたはどうするつもりですか?」

「……この旅とは?」

「セラ姫をライガネン王国に送り届けた後の話です」


 ユウラは視線を、寝息を立てている銀髪のお姫様に向ける。


「僕らは、というかあなたは彼女を助けたいと言った。……この旅自体、色々ありましたが、そろそろライガネンについた後のことを考えてもいいのではないでしょうか」


 これからのこと――慧太はコーヒーを口にした。少し間が欲しかったのだ。


「まだ、旅は終わってない」

「ええ。ですが、いずれは終わる」


 ユウラは事実を突きつける。


「旅に出るまでは、終わったらハイマト傭兵団のアジトへ帰る――それで済んでいた。ですが、今その獣人傭兵団はありません。あなたにとって家族も同然だった仲間たちは、すでになく、いまここにいる者たちが、あなたにとっての全てと言ってもいい」


 ドラウト団長や傭兵団の獣人たち――彼らは死んだと聞かされている。

 だが本当にそうなのか。

 というか実感がない。死の場面を実際に見ていないせいかもしれない。


「これを機会に、傭兵を辞めるという選択肢もあります」


 ユウラは言った。


「もちろん、傭兵を続けて、あなたをリーダーにした新しい団を作ってもいい」

「オレがリーダー?」


 冗談だろ――慧太は首を横に振ったが、ユウラは苦笑した。


「何をいまさら。……ここまで皆を引っ張ってきたのはあなたですよ。何をするにしても、あなたの意思が旅の方針に影響している」

「そりゃ、あんたがここからどうするか、いつもオレに聞くからな」

「それはそうでしょう。この旅は、あなたがセラ姫を助けたいと始めた旅なんですから」


 ユウラは皮肉っぽく言った。


「仮に僕が『もう無理だから帰りましょう』と言ったら、あなたは頷きましたか?」


 それはないでしょう、と青髪の魔術師は言った。


「じゃあ、セラをライガネンまで送り届けたら、そこからはあんたに委ねるというのは?」


 慧太は提案した。実際、ユウラは年長で、この世界のことは慧太以上に知っている。何をするにしてもユウラの知識は必要で、そんな彼がリーダーとなれば皆を路頭に迷わすこともないはずだ。


「僕は自分本位な人間なので、あまりリーダーには向いていないと思います」


 ユウラは苦笑した。


「魔術研究ばかりの退屈な生活に、あなたやリアナさんが耐えられるとは思いません。それに僕、部下には案外厳しいですよ」

「そうなのか?」

「本音を言えば、リアナさんは、あなたの方針には異を挟みません。キアハさんも、あなたのことを信頼している。ですが、僕にはそういうのがありません。多少の信用はありますが、その程度です。それなら、誰がリーダーにふさわしいかなど比べるまでもないでしょう?」


 慧太は押し黙る。ユウラはこれまでも助言役に徹してきた。彼の言うとおり、この旅はセラのものであり、同時に慧太の言い出したことだ。傭兵団としての決定権は慧太にある。だがその後は? セラを送り届けたらどうするのか――


「考えてもなかったな」


 ぽつり、と慧太は漏らした。


「送り届けることばかり考えて、セラを守ることだけを考えていた」


 送り届けたら、この旅が終わったら。それを言葉にした途端、胸の中が冷え込むのを感じた。

 じっと焚き火を見やり、黙ってしまう慧太に、ユウラは小さく笑った。


「いまは、それでいいでしょう。……ただライガネン王国にセラ姫を送り届けるまでに、進路を考えておくといいと思いますよ」

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