第202話、案ずるより産むが易し
結論から言えば、アスモディアは挑戦者全員を返り討ちにした。
魔力の構成体である召喚奴隷だから酔わない……なんてことはなく、彼女もしまいにはべろんべろんに酔っていた。……その点、シェイプシフターとは違い、楽しめるようで羨ましく思ったりする。
「ざまぁみろ、サターナ。おまえの奢りだから酒のみ尽くしてやったわー!」
「あなたがワタシのことを内心どう思っているか、よーくわかったわ」
魔人同士、七大貴族同士といえど、開戦を巡っての対立同様、色々思うところがあるようだった。普段『様』付けで呼んでいる相手でも、その心のうちは別ということか。
これはお仕置きものね――サターナが真顔で慧太に言うのである。
「こいつ裸で縛り上げて、さらし者にしましょうか? それとも――」
さらに聞くに堪えない酷いことを口走ったので、やめておけとだけ言っておく慧太だった。
席を離れ、カウンターの主人のもとへ行く。
「騒がせて済まないな」
「代金はもらってる。商売だからな」
マスターは新しいマグに一杯ビールを注いだ。奢りだと言う。
「で、あんたらは傭兵かい?」
「あー、まあな」
奢りのビールを飲みつつ答える。
「随分と変わってるな、あんたら。……依頼の途中か」
「まあ、そんなところだ」
適当な返事。マスターは自分もビールを飲み始める。
「見たところ、あの黒いドレスのお嬢ちゃんの護衛ってところか?」
「……」
「聞くなって言うなら、これ以上は聞かない。職業柄だと思ってくれ」
「酒場の主人ってのは、情報通だからな」
慧太は小さく口もとに笑みをたたえた。客層を見れば、だいたい旅人や傭兵、アウトローじみた連中ばかりだ。丸腰の奴はほとんどいない。そしてその手の連中はただ酒を飲むだけでなく、情報を求めていたりすることもある。
「何が聞きたい?」
「ありがとう。……あの角生えた姉ちゃんのことを少し聞いてもいいか?」
キアハのことか。角を二本生やした灰色肌の大女。やはり初めて見る種族だから、職業柄気になるのだろう。
さて、半魔人であるという本当のことは告げる必要はないだろう。少なくとも『魔人』などといえば、いくら奴隷の首輪をつけていても変に警戒する奴が増えるだけだ。
「東方の果てにいる『鬼』の亜人だ。このあたりじゃ、よく魔人と間違えられて本人も迷惑しているんだが」
「亜人ね」
「角があって肌の色が違うほかに、特に動物的特徴がないからな。獣人ではない」
オーガ――鬼という意味でよかったか。適当なゲーム知識ゆえ、本当のことは知らないが。
「オーガ人ね」
マスターは、慧太の言葉を聞いて頷いた。
「オーガ人ってどんな感じなんだ?」
「力が強い」
慧太はビールで唇を湿らせた。
「怪力だ。ドアとか家具なんか、あの金棒で一撃粉砕さ。この前、ベッドを吹き飛ばすところを見た」
「そいつはすげぇな」
「間違っても腕相撲なんて挑んだら、腕をへし折られるんじゃないかな」
マスターは一瞬ビクリと身体を奮わせた。そんなオーガが店の中で暴れたら、と思ったら縮こまっても仕方がない。
「でも、あの姉ちゃんは大人しいよな。……あ、奴隷だからってのもあるんだろうか?」
「まあ、怒らせたら手が付けられないんじゃないか」
奴隷――そう見えるようにしているから仕方のない評価であるが。慧太は心持ち眉をひそめた。
「彼女は大人しいほうだよ。優しい子だ」
慧太は目を細める。席を見れば、当のキアハは、ぼうっとした表情で椅子にもたれて座っていた。何を考えているのか窺い知れないが、疲れているのかもしれない。
ユウラはテーブルに肘をつき、程よく酔ったのかうとうとしている。セラは腕を枕にすやすやと寝息を立てていた。
リアナは相変わらず淡々と酒を飲み続けている。……この期に及んでも、表情に変化がなく、酔っているのか怪しい。
アスモディアは眠ってしまったのか床に座り込んでいて、サターナはその背中を退屈そうに足蹴にしていた。
慧太は席に戻る。酒場では半分以上が酔いつぶれているが、まだまだ食事や酒を口にしている者たちがいた。それでもかなり静かになっている。
「調子はどうだ?」
「悪くないですよ」
控えめな笑みを浮かべるキアハ。角を持つ半魔人の少女は目だけを動かした。
「私のこの姿を見ても、誰も何も言いませんでした」
「うん」
「こういうのは初めてで。……世の中には、私の肌を見ても何も言わない人たちもいるんだなって思いました」
「……あまり油断はするなよ。こういう店に酒を飲みに来るやつは血の気が多い」
慧太はテーブルに肘を乗せた。
「正直いうと、オレは君がらみで荒事になるかもって思った、馬鹿な奴が酔って喧嘩を吹っかけてくるような……」
ただ――色気丸出しの女魔人が、場の注意をほとんど持って行きやがった。そのアスモディアの背を足置き代わりに使っていたサターナは、首を捻ってこちらを見た。
「まあ、仮に喧嘩になってもどうってことないわよ、キアハ。そういう時は遠慮なくぶちのめしちゃえばいいのよ。たぶん、あなたのほうが強いわ」
「同感」
リアナが給仕に合図し、酒のおかわりを要求する。……まだ飲むのかこの狐娘。
「亜人や獣人、そういうのを気にしない人もいる。一方で、キアハが嫌うような連中もいる。そういう連中は漏れなく獣人たちも嫌っている。何が言いたいかと言うと――」
給仕がもってきたビールを、リアナはグビリ。
「あなたは一人じゃない」
「……リアナ、酔ってる?」
慧太が眉をひそめれば、リアナは首を横に振ると、目を閉じて酒を呷った。キアハは狐人の少女を見やり、小さく微笑む。
「一人じゃない、か。……すいません、私にもおかわりください!」
彼女の声に、明るさが戻った。
・ ・ ・
酒場を出て、犬顔の獣人はすぐ脇の路地へと入り込んだ。
明かりの届かない薄暗さ。街道が横断する村から数軒ぶん奥へ行けば、そこはもう村の外だった。
「よう」
人間が二人と狐人が一人、犬人の男を待っていた。
「何か収穫が?」
「ああ、おかしな連中がいた」
犬人は懐から酒入りの瓶を取り出すと、待っていた仲間に渡した。
「酒場いた連中全員に酒を振る舞う金持ちの娘と、それを護衛する傭兵が少々」
「……うっは、金持ち」
酒を回し飲みしつつ、男たちは顔を見合わせる。
「奴隷が二人? が、一人は用心棒を兼ねてそうな女で、オーガとかいう亜人らしい」
「聞いたことないな」
「何でも東方にいる種族らしい。角が二本で肌は灰色、えらく力が強いらしい。だがあとは狐人がいたけどガキだし女だし。パッと見、そこまで腕が立つようには見えなかった」
襲わない手はないっしょ――犬人の男が言えば、男たちは頷いた。
彼らは『シャンピエン』。ここらを縄張りにする大盗賊団。街道に面したトィアーテ村などの集落を見張り、めぼしい商人や旅人を狙う『悪党』であった。
・ ・ ・
男は、じっとスープをすすりながら、酒場の客の代金を立て替え、奢った奇妙な一団を見つめていた。
三十代後半――丸顔の男はギョロっとした目をもち、お世辞にも顔がいいとは言えない。彼は黙って、こちらに背を向けている銀髪の若い娘を眺める。そして、酒の飲み比べをはじめた赤い髪の、肌も露な美女を眺め、次に漆黒のドレス姿の黒髪の少女を見た。
周囲が盛り上がっている中、仲間がいないこともあって一人、傍観者に徹する。
やがて夜も深まり、酒場の喧騒も納まってきた頃、男は席を立った。
表通りも閑散としていて、明かりもまばらになっていた。彼は黙々と街道を西へと歩く。トィアーテ村から離れ、小高い斜面を登る頃には、彼は猫背になり妙な走り方で移動していた。
どれほど進んだか。村が見えなくなってしばらく。街道をそれた男は、とある林に入り込んだ。闇の中、進んだ彼の顔は緑色の肌も露な、トカゲにも似た顔になる。
魔人だ。
「首尾は?」
暗がりの中、声がした。トカゲ顔になった魔人は立ち止まる。傍目には暗くて見えないが、彼の目には、きちんとそこにいる一団が見えていた。
「見つけました。アルゲナムの姫です」
トカゲ顔の魔人は、歪に口の端を広げてそう告げた。
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