第199話、トラウマ


 アルフォンソが牽く馬車は、元がシェイプシフターであり大変疲れにくく、ほとんど休むことなく進み続けることができた。

 だが、いま再び徒歩での移動を強いられている。折を見て小休止とたまに挟む大休止をとらざるを得ず、その移動距離は大幅に短くなった。


 慧太、サターナ、アルフォンソにアスモディア。すでに人間でない組は一日二日歩き続けても平気だが、セラやユウラ、キアハはそうはいかない。狐人であるリアナは……どちらかと言えば、こちら側か。


「村が見えてきた」


 匂いがすると、先導のリアナが報告してから少し。

 小高い丘を登りきると、街道の両側に接する形で建物が並ぶ村が見えた。

 日が山陰に落ち、空は紫から黒へとなっていく。道に沿ってポツポツと炊かれた明かりが、闇に包まれて肌寒さを増しつつある空の下、またたいていた。


「温かいものが食べられますかね」


 ユウラが言えば、リアナは、くんくんと鼻をひくつかせた。


「うん。期待できそう」


 まだまだ距離があるが、狐人フェネックの嗅覚を刺激するのなら問題ないだろう。


「暗くなる前に寝るところはあるのかしら?」


 サターナが、実はさほど疲れていないはずなのに、うんと伸びをした。慧太の視線を感じ、黒髪に黒ドレスの少女は目を細めた。


「これでもワタシ、お姫様なのよ? 地べたに寝るなんてないわー」

「お前がベッドになるってのもありじゃないか?」 


 シェイプシフターだから。その寝心地は経験者は皆保障してくれている。


「それならアルフォンソのベッドで寝るわ」


 そうそう――サターナは腰に手をあて、赤髪のシスターを見た。


「アスモディアをベッド代わりにするのもいいかも」

「!」


 突然のご指名にびっくりするアスモディア。慧太は冗談めかす。


「ほら、ベッドにしてくれるってさ。喜べよ」

「え、ええ……」


 つつー、と視線を逸らす赤毛の女魔人。……おや、いつもだったら、もう少しM気質を感じさせる反応を返すところだが。

 セラもそれが気になったのか、慧太のそばにきて耳打ちするように言った。


「彼女、サターナと仲がよくないのかしら?」

「……? あー、うん」


 アスモディアの反応を見て、セラはそう解釈したらしい。

 仲がよいか悪いかと言えば、レリエンディール内での双方の立場を考えれば、正直よくないのかもしれない。


「魔人同士って言っても色々あるんだろう。人間同士だって同じだ」

「そうなんだ」


 セラは小さく頷いた。村へと伸びる緩やかな斜面を下る――その時だった。


「あ、あの!」


 キアハの声が後方からした。

 見れば、黒髪をショートカットにした大柄な少女は、皆の一番後ろで立ち止まっていた。


「私……これ以上行けません!」


 ――え?


 突然の言葉に、皆が硬直した。

 視線が集まる中、キアハは俯き気味に視線を逸らした。その素肌は灰色に変色しはじめ、額には小さな角が二つ。


「私の姿――魔人化している私が行ったら、ヌンフトの町の時みたいに、皆さんのご迷惑をかけてしまう……」 


 魔人は敵。

 多くの人間にとって、魔人化しつつあるキアハは忌むべき存在と認識されるだろう。そんなものが彼らのテリトリーに入れば追い出そうとする可能性が高い。


 ヌンフトの町での一件で、キアハはそれを嫌と言うほど思い知らされた。……いや、トラハダスから逃げた時、遭遇した人間たちから受けた仕打ちを、改めて思い出したというべきか。


 トラウマだ。


 アイレスの町の時は、夜は部屋にいたり、極力ひと目につかないようにしていたが、さすがにそれだけでは、キアハの不安を払拭するには足りないようである。アイレスの町だって、気づかれなかったから無事だっただけで、もし住人たちに感づかれたら、やはり攻撃されていたのではないか。


「だから、私はここにいます。皆さんは私のことは気にせずに……。もし私が邪魔なら、このまま置いていっても」

「なに言ってるんだ?」


 慧太は、やや冷たさを感じさせる声を出した。

 マラフ村を失ったキアハを誘った時も、最初はあまり乗り気ではなかった。トラハダスに襲われた時も、迷惑がかかるからと距離をとろうとした。

 外の世界に脅えていたキアハ。最近ではようやく慣れてきたかと思えば、やはりそう簡単に心の傷を埋めることはできないようだ。ヌンフトで処刑寸前まで追い込まれたわけだから無理もないが。


 ――オレたちが一緒にいるのに、彼女の不安を取り払うことができていないんだなぁ。


 どうすれば、彼女は自分に自信が持てる? 

 しかし、こればっかりは周囲の反応もある。人間たちがヌンフトの時のように、キアハの姿を見て敵意を見せれば、こちらがどれほど努力したところで無駄になってしまう。フードで顔や肌を隠して、というのは根本的な解決とは程遠い。


「ねえ、ケイタ。キアハのいうことも一理ある」


 セラがキアハの肩をもつように、俯いている彼女のそばに寄った。


「私たちはキアハを仲間だと認めていても、他の人たちはそうじゃないわ」

「そうかな?」


 リアナが珍しく口を挟んだ。


「獣人の立場から言うなら、キアハの姿を見ていきなり襲い掛かってくるような奴は、そういないと思う」

「むしろ、返り討ちに合いそうだ」


 ユウラは皮肉げに言った。


「人間たちの方がビビって手を出さないのでは?」

「いや、それ違いますよね」


 セラは眉をひそめた。


「周りから恐れられるってことは、やはり受け入れられていないってことですし」

「その必要がある?」


 リアナは、つまらなさそうに自身のふさふさ尻尾に手をやった。


「人間たちの集落を移動する以上、差別や敵意は当然ある。獣人お断りの店や宿だってこれまでもあった。必ずしも受け入れられる必要はない」


 でも大丈夫――リアナは尻尾から手を放した。


「キアハがお断りされるようなところなら、多分わたしもお断りされるから、その時は一緒にいる」

「リアナさん……」


 キアハが思わず胸に手を当てた。少し恥ずかしいような嬉しいような、複雑な表情。


「とはいえ」


 サターナがやってきた。


「さすがに角二本生えていると鬼――魔人の類に見えるわね」


 羊や牛の角だったら、まだ誤魔化しようがあったかも、というサターナ。だが牛人や羊人は、人間顔ではないから無理があるのでは、と慧太は思った。


「要するに、ありのままの姿で人間たちの前を歩いても襲われないようにすればいいんでしょう?」

「何か方法が?」

「ひとつあるわ」


 サターナは、キアハの前で立ち止まると、彼女の手を取った。


「ちょっと不名誉ではあるけれど、間違っても問答無用で斬りかかられることはないと思うわ。もちろん完全に敵意を消せはしないけれど……まあ、そういうのは魔人に限らず、どこにでもあるものだけど」


「獣人というだけで」


 リアナが言えば、慧太も続いた。


「傭兵というだけで、白い目で見られることがある」


 差別はどこにでもあるのだ。珍しくもない。

 サターナは頷いた。


「どう、キアハ? 試してみる? ちょっと不便かもしれないけれど」

「……」


 キアハは迷うように視線を彷徨わせる。サターナはその肩に手を置いた。


「ワタシは道を示した。進むか逃げるかは、あなた次第。でも少しは胸を張って生きたいなら、一歩前に出るべきだとワタシは思うわ」


 大丈夫、周りがあなたを守ってくれるわ――そう告げたサターナは、視線をシスター服姿のアスモディアに向ける。


「あなたには、ひと肌脱いでもらうわよ」


 含みのあるその声に、当のアスモディアは引きつった表情を浮かべた。


「ひ、ひと肌……?」

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