第183話、聖教会の司祭

 採掘場の地下を、看守に化けた慧太がユウラとリアナを前に出して歩かせていると、看守たちが慌しく駆け回っていたのが目に付いた。


 新人が一人逃げた、という慧太の嘘が全体に伝わった結果……にしては蜂の巣をつついたような大騒ぎになっているような……。


「たぶん、わたしのせい」


 ボソリと、リアナが言った。


「脱出の際、襲ってきた囚人を十人ほど殺したから」

「殺した?」


 慧太がぽかんとすれば、リアナは全く悪びれずに言った。


「やられるのは趣味じゃない」


 何となく察して、慧太は小さく呟いた。自分の身が最優先だ。リアナは戦闘狂な一面があるが、少なくとも殺す相手は選んでいる。


 完全武装した看守とすれ違う。……相当、リアナは派手にやらかしたらしい。そうでなければ盾に鎧と全身の守りを固めたりはしない。

 ふと、広い地下空間の奥の壁面に、鋼鉄の巨人じみたシルエットが半分埋まっているのが見えた。外で掘り出されているものより形がよりはっきりしている。あれが動いたら――などと妄想がよぎったが、今はそれどころではないことを思い出し、視界の外へ追いやった。


 地下区が騒然とする中、慧太たちは外へ出た。日は傾き、夕暮れ空が広がっている。……そろそろキアハにとっては魔人化し始める時間帯か。

 採掘作業は中断されたままだった。脱走騒ぎのせいで、どうやら上の守備隊にも増援を頼んだらしい。表で整列していた十名単位の分隊が三つ、地下への入り口を下っていく。


 ユウラは手枷をかけられた腕を動かしながら言った。


「で、ここからどうします?」


 慧太は、視線だけ動かして周囲を観察する。数秒とかからず、とある一点を指差す。


「あれに乗せてもらおう」


 守備隊兵を乗せてきたと思われる馬車が数台止まっていた。上の町へと戻ろうとしているところだ。

 慧太は、ユウラとリアナを連れて馬車へと近づく。すでに車列は出発をはじめており、間もなく最後の馬車が動き出す順番を待っているところだった。


「すまない。ちょっと待ってくれ!」


 慧太が呼びかける。馬車を誘導していた兵が最後尾の馬車の移動を止めると振り返った。同時に眉をひそめる。


「そいつらをどこへ連れて行くつもりだ?」

「上だよ」


 看守の姿で慧太は答えた。


「どうやら脱走騒ぎを起こしている奴の仲間らしい。上に連れてこいという命令だ」

「そりゃまた何故?」

「オレが知るかよ。上の連中の考えることなんて」


 苛立ったように振る舞いながら看守慧太は続けた。


「ま、今日入ったばかりの新顔だから、色々聞きだそうってことだろうよ」

「あー」


 誘導していた兵士が何となく理解したような顔で頷くと、慧太は最後尾の馬車を顎で指した。


「迎えが来ているはずなんだが、見当たらないんだ。早く連れて来いと言われてる。便乗させてもらっていいか?」

「ああ、そういうことな。……構わないな?」


 馬車の御者台にいる兵は頷いて答えた。慧太はユウラとリアナの背中を押した。


「ほら、さっさと歩け」


 誘導担当の兵が馬車の乗り口を開ける。囚人二人を乗せて、慧太も馬車に乗り込む。


「ありがとう」


 礼を言っておく。誘導兵は軽い敬礼で応えると、乗り口の戸を閉めて、馬車に移動するよう指示を出した。ゆっくりと動き出す馬車。ユウラとリアナの手枷がドロリと解け、慧太の身体へと戻っていく。


「お見事」


 ユウラは小声で呟いた。ああ、と慧太は応じ、ついでリアナを見た。


「御者台の奴をやれ。……殺すなよ。守備隊連中に無用に恨まれたくないからな」

「始末したほうが、後々面倒がないと思うけど?」

「正論だが、どうせ採掘場のほうで騒ぎになってる」


 慧太が変身したのを目撃した連中がどうしたものかと考えを巡らせているのも限度がある。その中で、看守にチクる奴が出てきてもおかしくない。そもそも昏倒させたボスや取り巻きたちは、意識を取り戻せば慧太たちのことを報告するだろうし。

 遅かれ早かれ追手はかかるのだから、無意味な殺人は避ける。

 リアナが馬車内を移動し、こちらに背を向けて馬を操っている守備隊兵に後ろから抱きつくように襲い掛かった。あっという間に気絶させた兵士を後ろに倒し、馬車の制御を引き継ぐ。


「ケイタ、どこへ行く?」


 リアナが聞いてくる。慧太はそんな狐娘の傍に寄る。


「このままセラたちが連れていかれた守備隊の拠点に殴り込む……と、言いたいところだが」

「それは賛成できませんね」


 ユウラが口を挟んだ。慧太は視線を寄越す。


「ああ、行き当たりばったりで行動するのは無謀だな」


 目先の救出行為に気をとられ、脱出ルートはどうするのか? 城塞都市の出入りに利用する門、あれは今開いているのか閉まっているのか。閉まっていたらどうするのか? それが前もってわかっているのとそうでないのとでは、取るべき行動も変わってくる。


「まずは情報を集めるべきだろうな。オレたちはこの町のことを知らなさ過ぎる」


 それに――慧太は溜息をついた。


「オレたちをはめた奴の存在。……そいつを突き止めないとな。これ以上妨害されてたまるか」

「ですね」


 ユウラは、かすかに表情を曇らせる。


「気がかりなのは、囚われのお姫様たちが無事でいてくれるか、ですが」

「オレもそれが気になってる」


 慧太の身体から、黒い塊――分身体が次々に分離し、移動する馬車から降りていく。


「もし、彼女たちの身に危険が迫っているなら」


 その目に自然と、怒りの色が浮かんでいく。


「行き当たりばったりだろうが、すぐにでも助けないといけないからな」



 ・  ・  ・


 

 領主の屋敷、その一角。来客が寝泊りする部屋にセラはいた。

 アンティーク調の家具が品よく揃えられ、床に敷かれた赤い絨毯(じゅうたん)は、さも高級感が漂う。室内は清掃が行き届いていて、観葉植物まで置かれていては、贅沢さえ感じた。


「セラフィナ姫様、おかわりはいかがです?」


 丸テーブルを挟んで座る司祭服の少年ディリーが、陶器製のカップをソーサーの上に置いた。ブルータンという名の紅茶だという。爽やかな香りに加え、苦味が少なく飲みやすかった。


「ええ、結構です、ありがとう」


 先ほどから、セラは聖教会の若き司祭と、こうして午後の紅茶の時間を過ごしていた。

 というより、いつまでこうなのだろうと内心焦りにも近い感情がこみ上げる。

 窓の外を見やれば、日が傾いて、ヌンフトの町並みを真っ赤に染めている。空は紫に変わり、星々が点々と輝き始めていて、日が沈むと共に闇が訪れるだろう。


 ――早くしないと、キアハの身体が……。


 半魔人の少女の身を危ぶむ。


「綺麗な夕日ですね」


 ディリー少年司祭が、セラの視線を追って窓の外を眺める。この妙に落ち着き払った少年に、セラは少し苛立ちを向けた。


「司祭様、私の仲間のことですが――」

「ディリー、と呼んでもらって結構ですよ、セラフィナ姫様」


 にっこりと微笑む少年。その笑みは、絵画などに描かれる天使のように穏やかだった。その害のない表情に、本来なら癒しさえ感じるだろうが、生憎と今のセラはそれどころではない。


「ディリー、いつ仲間たちと会えるでしょうか?」

「……その件でしたら、私の仲間がヌンフトの領主と交渉を行っております」


 少年司祭は事務的に告げた。笑みが消えるだけで、少年らしからぬ冷静さが現れる。カップをとり、紅茶を口にする姿など、歳相応の愛らしさよりも、どこか優雅さのほうが先行した。

 この人、本当は何歳なのだろう?

 セラは目の前の司祭が、外見通りの歳には見えなかった。


「セラフィナ姫様の同行者の解放には、我ら聖教会も力を尽くしておりますが……時間がかかっているところから見て、難儀しているようですね」


 無理もない――と、ディリーは言った。セラは小首を傾げる。


「どういう意味でしょう?」

「あなたの同行者の中に、魔人がいた」


 じっと、ディリーはセラを見つめた。


「本来、我らが人類の敵である魔人がいる――これは如何に取り繕うとも、見逃すことができない重要問題。聖教会ではこれは処罰の対象であり、例え貴族や王族であろうとも、手引きする者には制裁を下さなくてはなりません」


 例え――ディリー司祭の声は氷のように冷たかった。


「貴族や王族でも、ね」

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