第182話、暗躍する者

 正直にいって、どうしてこうなったのか、キアハには理解できなかった。

 自分の隣にいるアスモディアという女性は、鎖に繋がれた格好であるのだが、全裸に剥かれている。

 だが彼女が嫌がっているかといえば、そんな風にも見えない。……はっきり言えば、あまり見たくはないのだが、看守たちはアスモディアの目を覗き込んで以降、何かに憑かれたように彼女の裸体にとりつき、撫で回したり、お尻を……お尻を――これ以上言えない。


 艶やかな声が室内に木霊する。ねっとりとした女の声に混ざる肉を叩くような音。それを生理的に忌避するような気持ちにキアハは陥る。

 本当なら酷いことをされているのだ。自由を奪われ身体を弄られて――だが、違うのだ。キアハがかつて受けてきた実験、それと同じ表現をしていても、ここで行われていることは、それとは別次元の意味合いがある。


 幸か不幸か、キアハは放置されている格好だ。アスモディアが気を引いているおかげで、今のところ危害は加えられていない。


 だが隣で暴行――という表現が正しいのか疑問符はあるが――されている仲間の女性がいるのは、やはり罪悪感がこみ上げる。


 時間だけが過ぎていく。外がわからないので、時間帯はさっぱりだが、いずれ夜がくる。そうなれば身体は魔人化し、言い逃れできない状態になる。


 半魔人だとバレたら――


 そうなる前に、脱出しないといけない。手首にかけられた鉄枷はさすがに引きちぎれないが、それに繋がる鎖は壁から引き抜くことができるだろう。……問題は手を封じられた状態で、それ以上の脱出ができるかどうかだ。

 結局捕まっては意味がない。だがこのままここにいれば、身の破滅は確実で――


 ――ケイタさんたちはどうしているだろう?


 キアハは思う。セラさんは? 引き離されてから、どうなったかまるでわからない。少なくともセラはお姫様だったというし、ケイタたちは魔人ではないから、こちらより悪くはならないだろうとは思うが……。助けを期待したらいけないだろうか、とも思うのだ。


 その時、扉が開いた。


「あらぁ、三人目ぇ?」


 嬌声交じりのアスモディアの声。顔を赤らめつつ、色情に満たされた表情はしかし、表れた漆黒ローブの男によって強張った。


「久しいな、キアハ」


 渋い男性声。忘れようがないその声は、トラハダスの魔術師、クルアスだ。


「……!」


 キアハの中で、恐れの感情がよぎる。だが同時に視界を真っ赤に染めるような怒りも。


「何故、お前がここに!」

「貴様を迎えに来たのだ」


 平然とした顔でクルアスは言った。

 彼はそこで視線をスライドさせる。隣で歪な交わり方をしている赤毛の巨乳女と、やはり服を脱いでいる尋問官らの姿を、無感動に見やる。


「……なるほど、尻で行為を擬似的に行うのは宗教的な理由か」


 分析するように淡々というクルアスだが、尋問官らを見る目には侮蔑が浮かんだ。


「だが、魔人とするのは獣とするが如く。……聖教会の教えに反していると思うのだが、如何なものか?」


 冷や水を浴びせられたように、尋問官らは行為をやめて背筋を伸ばした。


「服を着ろ」


 クルアスが言えば、尋問官らはてきぱきと自ら脱ぎ散らかした服を着込む。


「その魔人は魔眼をもっているのだろう。……貴様たちが惑わされたのはその目を覗き込んだせいだ。目を塞げ。そして本来の尋問に戻りたまえ。そうだ、貴様たちは何も悪くない」


 その言葉に、アスモディアが表情を険しくさせた。まさに、そのとおりだった。彼女は自らの修道服を脱がせた後、身体を触らせつつ、自らの魅了の目を使って尋問官らを支配したのだ。

 そして適当に尋問官らを操って、外部からの助けを待つ。……ケイタやマスターであるユウラが必ず行動を起こすとわかっているからだ。

 そのまま時間を稼ぐつもりだったが、ついでに少し性欲解消を、と欲張ったのが、仇となった。


 現れるはずのない、トラハダスの魔術師によって。


 たちまちアスモディアは目隠しによって目を封じられた。そして尋問官らは、彼女を裸に剥いたのを幸いと、鞭を使って痛めつけ始めたのである。何の遠慮もない暴力は、彼女の玉のような肌を傷つけ、出血を強いた。

 アスモディアの悲鳴が響き、キアハは耳を塞ぎたくなるが、両手を頭の上に拘束された格好ではそれは無理だった。


「さて、キアハ」


 クルアスが眼前に立っていた。近すぎて、思わず引いてしまう。


「貴様を引き取りに来たわけだが……実は困ったことになってな」


 表情はピクリとも動かないので、本当に困っているのかどうか窺い知れない。


「ヌンフトに魔人のスパイが向かっている――そう通報したのは私なのだが、ここの領主が魔人は処刑すると言い出してな。……正直言えば誤算だった」


 息が吹きかかるくらいの距離まで詰めたクルアスは小声になった。


「ここは我がトラハダスの力が及んでいないのでな。強行策に出るには準備も配下も足りない。そこで貴様に頼みがあるのだが」


 頼み? ――キアハは疑いの目を向ける。


「これからここの領主殿が来るのだが、貴様の口から私の所有物であることを認めてもらえないだろうか?」

「は?」


 何を血迷ったことを言っているのだろうか。クルアスの提案は、キアハにとって問題外。考えるまでもなく、お断りだった。


「貴様が、自ら奴隷であり『物』であることを言えば、処刑は免れる。つまり、貴様は生きることができるのだ。悪い取り引きではあるまい?」


 こいつは正気だろうか。キアハは渋顔になる。


「その代わり、お前の所有物として扱われ、実験材料として生きろと? 馬鹿にするな! そんな生き方をするくらいなら処刑されるほうがマシだ!」


 言ってやった。思ったことを叩きつけてやった。キアハは心の奥底に巣食う恐怖を捻じ曲げ、とうとう憎い本人に本心を告げたのだ。

 すかっとした。……拘束された格好でなければ、最高だったのだが。


「そうか。やはり、頭の出来はよくなかったか」


 事務的に、しかし言葉だけは落胆した風にクルアスは言った。


「なら仕方ない。自らに差し伸べられた救いの機会を無にするとは……。あの傭兵どもに毒されてしまったと見える。反抗的な実験動物ペットなど必要ない。人の恨みと憎しみを全身に浴びて死ぬがいい」


 クルアスは踵を返し、さっさと部屋から出て行った。未練は欠片もなかった。彼は一度たりとも振り返ったりはしなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る