第175話、旅の再開
アイレスの町は、昨日到着した時同様、活気があった。
空を見上げれば、澄み渡る青空が広がる。日常にある町は、昨夜の邪神教団員との闘争や、そのアジトたる教会での騒ぎなど、まるでなかったような平穏の中にあった。
慧太は、宿の外にある馬車の駐車場にいた。仲間たちがチェックアウトを済ませるまで、アルフォンソの世話をするふりをしながら、サターナとお喋りしていた。
「結局、何の進展もなかったんでしょう?」
アルフォンソの背に横乗りの姿勢でサターナは座っている。その姿は、初遭遇や先日の戦闘に比べ幾分か若返っていて、十代半ば――慧太の妹といっても通じるくらいになっていた。
「ああ、アスモディアが魅了、だっけか……それで司教のまわりにいた女たちを探ったが、手がかりになるような情報は何もなかったよ」
慧太は、アルフォンソの背に肘をついて隣にいるサターナを見た。ゴスチックなフリル付きドレスは最近のお気に入りなのかもしれない。――最初に剣を交えた頃の猛々しさは、少なくとも感じられない。
「所詮、司教の性奴隷に過ぎなかったと言うことね」
サターナは黒馬の上に座りながら、子供っぽく足をぶらぶらさせた。
「教団の重要情報など持っているはずもない、か」
「ああ、手詰まりだ」
慧太は荒々しく鼻息をついた。
「他にも教団関連の施設があるらしいのはわかるが、それがどこにあるとか、他の幹部の名前とか、こちらが知っている情報以外はほとんどなかった」
「こちらが知っている情報?」
「ナルヒェン山で遭遇したクルアスって魔術師」
慧太は首を捻る。
「あの男が、あの地下施設の責任者だったってことくらいかな。そのクルアスとも結局遭わなかったし」
トラハダスの情報を手に入れ、こちらへの障害となる要素を排除したかったが、サターナの言うとおり、事は教会アジト殲滅以前と何も変わっていなかった。
キアハを狙っているクルアスは健在であり、他のトラハダス連中を辿る線もない。……当然、セラを狙った者の正体も。
「連中が次に仕掛けてくるのを待つしかない」
「でも、本音を言えば、関わりたくない。……そう思ってる?」
サターナが慧太の肩に手を置く。慧太は視線を上げた。
「当然だろ。面倒がないほうがいいに決まってるさ」
今回のことで、トラハダスはどう出るか? 拠点ひとつ潰されて報復に出るだろうか? あるいはこれ以上、関わって被害を出す前に放置を決め込むだろうか? どうせ連中がろくでもない邪神崇拝集団であることは周知の事実であり、今更口封じもないだろう。自らの組織の司教を処分したことで、機密情報の漏えいは防いだわけだし。
ただ――慧太は不満顔になる。
「いつどこで狙われるかもしれないって思うと、気分はよくない」
「そうね。気に入らない」
サターナは同意した。
「敵に主導権があるのは面白くないわ」
「気が合うな。オレもそう思ってる」
慧太が微笑した時、サターナがアルフォンソの中に引っ込んだ。宿の入り口から出たセラが階段を下りてくるのを見たのだろう。慧太は身体の向きを変え、アルフォンソを背に、やってきたセラを迎える。
「おはよう、ケイタ」
「……おはよう。もう昼だぞ」
「うん」とセラは少し照れたように、はにかんだ。
「ちょっとお寝ぼうさん」
「よく眠れたか?」
「ええ」とセラは頷いた。まだまだ旅が続くことを思えば、休める時にぐっすりと寝れるのはいいことだ。
「一緒に朝ごはんを、と思ったら、あなたはもう済ませてたみたいね」
「オレは君より早く起きたからな」
慧太は腕を組む。セラは表情をやや固くした。
「出発ね……」
「ああ。ライガネンに」
慧太は視線を町中央を走る大通りへと向ける。行きかう住人や馬車――
「遅れを取り戻さないとな」
「そう、ね」
神妙な調子でセラは首肯した。だがすぐに首をかしげる。
「トラハダスのこと、気にはなるけど」
「手がかりがないんじゃあな」
どうしようもない。慧太は続けた。
「それに、アルゲナム国のことも心配だ」
その言葉にセラは頷いた。故郷を気にかけてもらえたのが嬉しかったのか、表情は穏やかなものになる。
そこへキアハが歩いてくる。太陽の下、肌は人間のそれであり、誰が見ても鬼の魔人には見えない。
「おはようございます、ケイタさん」
「おはようキアハ。……元気そうだな」
「そうですか?」
少し不思議そうな顔をする黒髪の少女。セラは頷いた。
「声に張りがあるわ。少し、明るくなったように見える」
「まあ、少し、吹っ切れたかな、というのはあります」
キアハは照れたように頬をかいた。
「その、まだトラハダスのことを思い出すと怖いと感じますが……皆さんと一緒にいれば怖くない、かなと。……勝手な言い分かもしれませんが」
どうやら昨晩のトラハダスのアジトでの交戦は、キアハの中で変化をもたらしたようだ。彼女が抱えている苦痛や苦悩を和らげてやれたなら、大いに結構なことだった。
「なに、もうキアハはオレたちの仲間だからな。いいってことよ」
「はい!」
キアハは答えた。それは、彼女と出会ってからもっとも明るい笑顔だった。
・ ・ ・
前日、食糧調達を切り上げたために、町を離れる前に携帯食の補給を行った。それが終わった後、馬車はアイレスの町を離れて東進する。
穏やかな雰囲気。天気は快晴。涼しくもある風が吹き抜ける中、草原の間を走る道と呼ぶには頼りない道を進む。
御者台で進路を見ているのはユウラ。慧太は荷台で女子たちに囲まれつつ、手にしたサイコロを振った。
ころころと床の上を転がったサイコロが出た目は、『3』だった。
セラ、キアハの視線がサイコロから、リアナへと向く。
アスモディアもまた興味深げに狐娘を見やる。
当のリアナは淡々とサイコロの出目を見つめ、すっと顔を上げた。
「ズルしてない?」
「してない」
慧太は手をひらひらさせた。
彼女が慧太のズルを指摘するのは、サイコロがシェイプシフターの身体の一部から作られたものだからだ。……慧太が出目を操作したと疑ったのだろう。
「そもそも、オレひとりが振ったならともかく、皆がそれぞれ振った結果だろ?」
そういう意味ではない、とリアナは言いたげだったが、それは慧太がシェイプシフターであると知っているからだ。アスモディアは察したが、慧太の正体を知らないセラとキアハは、まったく疑わなかった。
ちなみに、何をしているかといえば、退屈しのぎのちょっとしたゲームである。
『誰かが何かお話する』ということになり、サイコロを順番に振って出目が一番低かった者が、その『何か』をお話する、というやつだ。
ちなみに、各人の出目は、セラが6、キアハが5、アスモディアと慧太が4、ユウラは御者台なので不参加である。
「さあ、何でもいいから話せよ」
無口な彼女に話を振るというのもレアなケースである。
ゲームとして成立してしまった以上、いまさら反故にはできない。寡黙なリアナが何を話すのか、周囲は皆興味津々だった。
無表情ながら、どこか非難めいた視線を放つリアナは、やがて口を開いた。
「なら……『K』という名の殺し屋の話をしましょうか」
殺し屋――周囲が息を呑む。慧太は背もたれからズルリと滑りかける。
「な、リアナ。その話は――」
「何でもいいと言った」
リアナは無表情ながらプレッシャーを押し出す。言質を取られた格好の慧太は、それ以上、口を挟めなかった。
「それで――」
セラが話しを促すと、リアナは遠い目になり、呟くように言った。
「当時、悪党たちを震え上がらせた殺し屋がいた。それが『K』。その正体や性別、年齢、その他体格などまったく謎に包まれていた」
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