第176話、殺し屋 『K』
リアナは当時十五歳だった。一族を追放されてしばらくの間、フリーの傭兵――実質、殺し屋家業で生計を立てていた。
『殺人人形』
それが、まだ若い狐人の娘でありながら、ずば抜けた殺人技術を持つリアナに対して裏社会がつけたあだ名だった。
そんなある日、リアナは当時、その名を轟かせつつあった『K』の話を、ギャングの口から聞くことになる。
「殺し屋……?」
反射的に訊いたリアナに、ギャング『赤い天秤』のリーダーであるタオザが答えた。
「ケーだかケイだかって名前の殺し屋だ。その正体はわからねえが、始末した相手の傍らにこんなマークを残している」
そういうとタオザは、『K』の字の書かれた紙を見せた。顎の尖った、偏屈な爺という風体のタオザは、その三白眼を向ける。
「お前、同業者だろう? 知らないか?」
「知らない」
リアナはそっけない。実際、聞いたこともなかった。タオザは鼻を鳴らした。
「最近、現れるようになった奴で、主に裏社会の人間を標的にしてるらしい」
「ふうん」
興味なかった。
「それで、そのケイだかを殺せばいいの?」
「できるか?」
タオザは真顔で言った。この、四倍以上歳の離れた大人に対して、狐少女は礼儀もなく淡々と返した。
「愚問」
「ふん……お前でなかったら教育してやるところだが」
小娘め――と老人は背中に手を回し、歩き出した。
「ま、お前の腕は当てにしておる。殺し屋が今夜の会合に現れたら、お前はワシを守り、そいつを殺せ」
・ ・ ・
「その、マークというのは?」
セラが聞いてきたので、リアナは向かいに座る慧太に手を伸ばした。
「書くもの」
慧太は腰のポーチから紙と筆を出す。シェイプシフターの分身体である。書いてもゴミにならない優れもの、というのは心の中で呟いた皮肉。
リアナは、揺れる荷台の床に紙を置くと、ささっと文字を一つ書いた。紙には『K』と書いてある。
慧太はあからさまに視線を逸らした。この世界に、このような文字はない。だから、それを見たセラは首を捻った。
「これが、その殺し屋のマークですか?」
「……正確には異国の文字らしい」
すっと、リアナが慧太を直視した。無言だが、質問に答えろという意味がこもっている。
「アルファベットだ」
聞いたことのない単語に、セラはもちろん、キアハ、アスモディアも揃って首を傾げた。
「Aから始まって十一番目の文字がK」
「ケー……? それって」
キアハが言えば、リアナは頷いた。
「そう、暗殺者の名前でもある」
狐人の少女は続ける。
「その正体はまったく謎に包まれていた」
「全然わからなかったの……?」
セラが聞けば、リアナは「そう」と答えた。
「Kにやられた奴の死体はごまんとあるけれど、目撃情報は皆無だった。だから『Kに遭ったことがある奴は、死んだ奴だ』なんて、ブラックなジョークにもなってた」
・ ・ ・
その日、ギャング『赤い天秤』に雇われたリアナは、タオザとその部下たちと行動を共にした。
夜遅く、とある美術商の屋敷に、リッケンシルト国近辺の犯罪組織の代表者らが集まった。
リアナはタオザの身辺警護の一人として、彼の背後についていた。護衛につく大の男たちの中に、小柄な狐娘の姿は目立つことこの上なかった。
「なんだ、狐のガキか? こんな悪党の集まりで、メスガキ連れてくる酔狂なのはどこの連中だ?」
リアナを見て、いかにもチンピラといった風袋の若い男が絡んできた。
「あー、あんたら『赤い天秤』かー。で、ご老体はタオザ師匠! あー、どうもお初にお目にかかりますー」
真面目ぶっているが、小馬鹿にしているのが見え見えである。タオザはピクリと口もとをゆがめた。
「どけ、若造。死にたくなければな」
「あ?」
男はきょとんとする。タオザはすでに「どけ」と命じたにも関わらず、理解できなかった間抜けである。……リアナは、腰の短刀を抜いた。
間抜けで世間知らずの男は、喉元を一閃され、膝をついて倒れた。
タオザは、リアナが目の前で殺人を犯しても何も言わなかった。それどころか、すでに死んだ間抜けなど見ていなかった。彼は雑魚の挑発や罵倒には相応のお礼をしなければ気が済まない性質である。
周囲も別段とがめなかった。彼らは『世間知らず』には冷淡だったのだ。名のある組織の者たちの中では、すでにリアナは殺し屋として一定の評価を得ていたからだ。そして、その程度の情報も持っていない雑魚組織など、お呼びでないと突き放したのだった。
会合の場に続々と幹部たちが現れ、円卓についた。
タオザの赤い天秤をはじめ、傭兵団フリーゲ、グロルハント、ヘルシャート商会などなど。
「おや」
タオザは、ゆったりと席に座っているところ、隣の席についた身長二
「生きておったか、ブラド。お前のところ、噂の暗殺者に襲われたと聞いたが」
「相変わらず耳が早いな、タオザの爺さん」
ブラド――密輸業者である彼は、四角く角ばった顔に大柄の体躯を持つ。仕事柄、赤い天秤と絡むことが多く、タオザは密かに気にかけていたのだ。
「お前さん、一人か?」
「ああ、オレは運良く難を逃れたが、仲間たちはやられた。……まあ、被害者代表だな、オレは」
「ふん。奴がここに現れたら、ワシのそばにおれ。うちの護衛がお前も守ってくれよう」
「貸しを作っても、いまは返せないぜ爺さん」
ブラドは皮肉げに唇の端を吊り上げた。タオザはわざとらしく笑った後、声を落とした。
「で、お前は例の殺し屋を見たか?」
「いや」
「どういう殺しをやる? 武器か、毒殺か――」
「武器だ」
ブラドは答えた。
「ただ、その体格がまったく想像できない。やられた部下は、切り傷、刺し傷、切断……手口が多彩過ぎて得物がはっきりしない。ナイフ、剣、斧……飛び道具も使うが、痕跡はあっても凶器自体は残っていない」
「様々な武器を使う、ということか?」
「何より不気味なのは――」
ブラドは顔を曇らせた。
「どこから入ってきたのかわからない。気配もなければ、いつの間にか侵入してやがることだ」
「神出鬼没で正体不明か」
タオザは机に肘をつき、思案する。
「獣人か……?」
「わからん。痕跡の中に、獣人の毛などはなかったが」
ふむ――黙り込むタオザ。その時、部屋の外が騒がしくなった。
「何事だ?」
いかにもギャングと言った姿のグロルハントの代表が声を荒らげた。直後、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「報告しやす! 表に、ケーと思しき暗殺者が現れたようです!」
来たか――ガタっ、と代表者たちは席を立つ。だがグロルハントの代表は苦虫を噛んだような顔になり、報告に現れた手下に怒鳴った。
「現れたようです、とは何だ! 現れたんじゃねえのか! はっきりしろ!」
「すいやせん! あっしは、ケーを見ていないので。ただ交戦しているのは間違いありやせん。助っ人をよこすように言われて――」
「わかった!」
グロルハントの代表は机を叩くと、警備についている者たちを見回した。
「お前ら、ちょっと手を貸してやれ!」
「あい、ボス!」
他の組織連中も連れてきた用心棒たちを向かわせる。リアナはタオザの手招きに前に進み出た。
「……お前も行け」
「傍にいなくても?」
「構わん。ケーは手ごわい。腕利きが揃っているうちに、まとめてかかったほうがよいやもしれん」
見ず知らずの相手と連携などとれるか。
傭兵や殺し屋にはそれぞれのやり方があるから、人数がいれば有利というわけでもない――リアナは思ったが黙っていた。依頼主はタオザである。死ねと命じない限りは、極力聞いてやる。
リアナは場を後にした。
殺し屋ケー、どんな奴だろう?
武器を使うとしかわからず、得物が何なのかすら情報がないので対策も何もない相手である。だが強いらしい。その点については楽しみだ。
無表情の仮面を被ったリアナであるが、口もとにかすかな笑みが浮かんだのに気づいた者はいなかった。
「……」
出て行く警護の者たちを見送ったブラドを除いて。
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