第172話、肉と血
武器を捨てれば、命は助ける。そう言ったのに――セラは苦虫を噛んだような顔になる。
振るわれた銀魔剣は、最期まで抵抗した武装信者の血で塗れている。
キアハの気迫のこもった声。視線を向ければ、彼女の振るった金棒で武装信者が吹き飛び、壁に激突した。
あれは助からない。そんな飛び方だった。
キアハの目には迷いはなかった。教団に脅えるのをやめ、戦う決意が彼女の表情に溢れていた。相手がまだ人だからかもしれないが、少なくともフォローするまでもなさそうだった。
通路の部屋から飛び出してくる武装信者はリアナとアルフォンソが片付けた。教団の信者たちは司教を守ろうと、狂信的なまでに戦いを挑み、返り討ちにあっていた。
信じる神を間違えた者の末路――セラはそんな彼、彼女らを哀れに思った。
距離にしてさほど遠くないはずなのに、武装した信者らの防戦に時間をとられた。だがセラたちは怪我することもなく、宝物殿に繋がる司教祭室の前にたどり着いた。
リアナが木製の扉の前で、聞き耳を立てる。
「中にいる。……複数」
狐娘は小首を傾げた。
「……声……?」
「どうしたんです、リアナ?」
セラは問うた。狐娘は扉から離れた。
「いるにはいる。……入ってみればわかる」
要領を得ない。扉を開けようとするが、中から鍵が掛かっているようで開かなかった。
「当然、私たちをすんなり中には入れてくれないわね」
力技でいくにはこちらは非力。銀魔剣に魔力を注いで光剣にすることで溶断するか。
「セラさん、下がってください」
キアハが金棒を構えた。
「私が、破ります!」
忘れていた。ここに力の強い鬼娘が一人いたのだ。
「ふんっ!」
思い切り振りかぶったキアハは全身をバネに、渾身の一撃を扉に叩き込んだ。
すさまじい音と共に木製の扉が割れ、吹き飛んだ。中から聞こえたのは複数の女性の悲鳴。……女性?
扉を砕いたと同時にセラとリアナは部屋に飛び込んだ。
漂ってきたのは、なにやら香のようなものの匂い。床に描かれた白い魔法陣。壁に等間隔で並べられた燭台では、ろうそくの明かりが揺れていた。
部屋の中央には、裸の男が一人と複数の同じく裸の女、少女たち――
「な、何者だお前たち!」
裸の男――でっぷりと膨らんだ腹を持った中年男が叫んだ。裸の女たちは十代後半から二十代前半と言ったところか。男のまわりを身を寄せ、如何わしい行為の真っ最中だったのが見て取れた。
目の前にある肌色の光景に、セラは思わず目をそむけたくなった。自然が声と上ずる。
「あなたが、ここの指導者?」
汚らわしいものを見る目になるのは仕方のないことだった。
「如何にも、私がプレトゥ司教である!」
脂肪の塊のような中年男は、取り繕ったが、だらしなさが先行した。
「私の質問が先だぞ! お、お前たちは何だ! 聖教会か!」
「違う」
セラは即答した。裸の女たちが、こちらに怖がって司教と名乗る男に抱きついているさまは、何とも形容し難い気分にさせられた。
「違う……? よく見れば、なかなか美しい娘たちではないか……新しい入信者か?」
喜色を浮かべる司教。下心丸出し、自身がはべらす女たちを見る目と同じ視線を向けてくる。目で犯されたような寒気に、セラは嫌悪感を隠そうともしなかった。
『ふざけるな!』
声が重なった。セラだけでなく、キアハもまた声を荒らげる。
突然のことに、司教だけでなくセラもビクリとした。扉を壊した位置から、角を持つ灰色肌の少女が、つかつかと金棒を手に大股にやってくると、初めて人間ではないことに気づき、司教は顔を青ざめさえた。
「ば、化け物!」
バキ、と何かが砕けるような音がした気がした。キアハの顔は憤怒に染まる。
「お前が、言うなぁっー!」
金棒を振り上げ、突進しかける。明らかに殺意が浮かんでいる。セラは慌てた。司教を捕らえるのが目的であって、殺してはならない。
しかし止める前に、動きがあった。
司教のまわりにいた女たちの中から、数人が全裸のままキアハへと襲い掛かったのだ。意外な伏兵に、キアハは「邪魔をするな!」と声を荒らげた。
この隙に、司教は奥の部屋へと逃げようとする。セラは、すかさず左手を向ける。
「光の弾、貫け!」
「!?」
司教の眼前を通過する光の弾。足が止まる彼の前に、リアナが回り込む。狐娘の素早い動きに、プレトゥ司教の目は釘付けになる。
足払い。リアナの刈るような足の一撃は、肥満体の司教をあっさりと床へと倒した。
後ろでは、キアハが盾で女たちを弾き飛ばしていた。さすがに金棒を振るうのは躊躇われたのだろう。だが彼女の怪力は、例え手加減しても女たちを一撃で気絶させるだけの威力があった。
司教を確保……したのだが、セラは気分が悪かった。後味が悪い以前に、生理的嫌悪感がこみ上げる。できれば、こんなところ早く出たいし、この司教を視界に入れるのも嫌だった。
怒り心頭なキアハに、セラは声をかける。
「大丈夫……?」
「いえ……」
鬼化している少女は、伏し目がちに、脅えた様子でこちらを見ている女たちを見やる。
「……昔、知っていた子がいたので」
あの中に――セラも思わず、そちらを見た。
「たぶん、向こうは私だとわからないでしょう」
何とも悲しげにキアハは言う。
「……そういえば私も、彼女の名前知らないや」
セラは、それに答える言葉を持ち合わせていなかった。
・ ・ ・
廃教会地下。
翼を持つ半魔人が奇声を上げて、吹き抜けの地下施設を飛び上がる。
それを下から猛烈な勢いで突き上げてくるのは、赤い翼を展開したアスモディアだった。そのスタイルはシスター服ではなく、若干露出抑え目の黒のビキニアーマー的装備。
砲弾の如く勢いで突っ込んだアスモディアの赤槍が半魔人の身体を貫き、その身体を石つぶてのように落下させる。
――どうしてこうなる……。
地下三階部、慧太は襲い来る半魔人を次々に仕留めながら思う。
助けられるものなら助けるつもりだった。宿でユウラと半魔人らの避難先についても考えた。だが結果はどうだ? トラハダスによって心を潰され、獣並みの思考しか残っていない半魔人たちは、助けにきたはずの慧太たちを殺そうする。
「クソがっ!」
飛び込んできたトカゲ頭――いや、二足歩行の肉食恐竜じみたスタイルの魔獣。その頭を、変化させたハンマーをぶつけて潰した。
最下層にちらと目をやれば、そこでは魔獣同士が殺し合っている。戦いの最中、運悪く落ちた半魔人もまた、獲物とばかりに噛み付かれ、引き裂かれている。……最下層に落ちなければ相手にしなくてもいいが、後であれも始末しないといけないだろうなと思う。
「ユウラ! そっちは無事か!」
青髪の魔術師もまた地下三階へと降りていた。アスモディアが飛行する半魔人、魔獣を一手に引き受けている今、彼は単身で己の身を守る必要があったが、実は慧太はあまり心配していない。
障害物が多く、魔術師にとってあまりよろしくない戦場ではある。だが彼はリアナ同様、いや、彼女以上に『怪我をしない』ことで団では通っていた。
今また、実験器具の影から恐竜モドキがユウラに飛び掛る。普通ならあと二秒といわず噛み付かれてお仕舞いの近距離だ。
だがユウラが、はたくように右手を振るうと、まるで見えない拳に殴られたように、顔面を吹き飛ばされ魔獣の身体が飛んだ。爆砕、雷、炎、岩をも動かす多彩な魔法を駆使するユウラは、目に見えない大気すら武器とする。
彼が左手を握りこむと、固定されていた実験器具が床から引きちぎられ、空飛ぶ凶器となって半魔人の胴体を穿った。……それを涼しい顔でやってのけるのが、このユウラ・ワーベルタという魔術師青年の恐ろしいところである。
「あらかた、片付けましたか」
静かになりつつある場、ユウラは言った。慧太は頷く。
「研究室はこの先だ……な?」
一瞬、言葉を失った。慧太の視界に、こちらへとやってくる複数の子供たちの姿が見えたのだ。
キアハのような角を持っていたり、あるいは顔が二つついていたり、両の手が尻尾のような形をしていたりするが、子供だ。
恐怖に引きつった顔で、あるいは涙を流しながら、子供たちは叫び声を上げながら駆け出した。慧太は声を張り上げた。
「やめろ、お前らっ!」
絶叫がすべてを遮断し、かき消しているようだった。慧太の静止を無視し、半魔人の子供たちは飛び掛った。
涙を流しながら。
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