第148話、マラフ村の悲劇


 慧太は、セラをなだめつつ、キアハを見下ろした。


「とにかくオレは生きている。誰も死んでない。だからお互い恨みっこなし……それでどうだ、二人とも?」

「……」


 セラは、何か言いたげな視線をキアハに向けた。


「彼女は、私たちを生かして帰すつもりはないみたいだけれど」

「……あなたたちは『人間』です」


 キアハは上半身を起こした格好で、二人をねめつける。


「人間と魔人は対立してる。あなたたちが、私たちを危険と見なして討伐しないという保障はないでしょう? それなら――」

「信用できないから、殺す。口封じすれば確実だもんな」


 慧太は怒らなかった。キアハの言い分にも一理ある。


「でも、オレらは君らを討伐する理由はないんだよな。余計な荒事はしたくないし、今は正直、君らに構っている暇もない。辺境でひっそり暮らす『無害』な連中を苛める趣味はない」

「それを信じろと?」

「世の中には、頭の固い連中だけじゃないってことだ」


 慧太はセラから離れ、キアハのそばにしゃがむと、その耳元に告げた。


「……セラには内緒だけど、オレも『人間』じゃないんだ」

「え……?」


 呆気にとられるキアハ。聞き違いか、という顔をする彼女に、慧太は片目を閉じて見せる。


「あの一撃喰らって、普通の人間が生きてられるかよ。……そういうことだ」


 何事もなかったように立ち上がる慧太。セラは何を話したのか興味津々という顔をしている。


「とにかく、君らにとって招かれざる客だってのは間違いないわけだし、オレらは早々に立ち去るよ」


 すっと、慧太は手を差し出した。いまだ尻を地面につけて座り込んでいるキアハが立つのを助けるように。キアハは、その手を掴み――すさまじい力で握りこんだが、慧太は平然としたまま、彼女を立たせた。


「でも保障はないですよね」

「結構こだわるなぁ」


 疑い深いというか。実は相当な人間不信なのではないか。


 身体を弄られて魔人になった、というキアハ。セラとキアハが戦っている間、それを聞いていた慧太だが――変わり身用の分身体を、彼女らに気づかれぬように作りながらタイミングを窺っていた――、キアハの口ぶりでは、当人が望んだものではない。言ってみれば被害者だ。


 はっきり言えば、彼女やマラフ村の人々を魔人化したという事柄は、じっくり聞いておきたいところである。セラをライガネンに送り届けるという使命がなければ。

 どうにもきな臭いというか、放置しておいていい話ではない。


 ――だけど、いまオレたちにできることなんて、ないんだよなぁ。


 慧太は自身の髪をかいた。


「ケイタ?」


 セラ、そしてキアハもまた不思議そうな顔をしている。慧太は誤魔化しにかかる。


「いやなに、本当に君らの村に手を出す気なら、オレはセラを止めずに君を見殺しにしてた。その意味をよく考えてくれ」

「……」


 キアハは黙り込む。慧太は彼女に背中を向け、セラに向き直った。月に覆われていた太陽が顔を覗かせ、その閃光をまともに浴びる。


「まぶしっ……! それじゃ、セラ、行こうか」


 急速に明るくなりつつある周囲。セラは小首を傾げ、小声で言った。


「いいの、彼女のこと……」


 先ほどまで互いに殺し合っていたのだ。おいそれと信じることに抵抗があるのは、何もキアハだけではないようだ。慧太は、そんなセラの頬に手を当てる。


「誰も死んでない。それでいいだろ?」

「……あなたが、そういうのなら」


 セラは慧太の手の甲に自身の手を重ねた。どこか拗ねたように見える。……逆光で見えなかったが、セラは頬を紅く染めていた。慧太はそれに気づかず笑う。


「ああ、ぶん殴られた当人が許すってんだから、いいんだよ」


 そんなやりとりをしている間、キアハは落ちている自身の金棒を拾う。それをしばし見つめる。

 慧太はそこで振り返った。


「キアハ、スープありがとう。美味かったよ」

「……どういたしまして」


 キアハは、表情に乏しい顔をわずかにしかめさせた。


「あのスープを美味しいというなんて、あなたの味覚おかしいんじゃないですか?」


 痛烈な皮肉だった。しかし慧太は唇の端を吊り上げる。


「寒さに冷えた身体にはな、温かい食事が最高のもてなしなんだよ」

「……そ、そうですか」


 すっとキアハは視線をそらした。日の光を浴びているせいか、肌の色が灰色ではなくなりつつあった。角もすでに引っ込んでいる。

 のんびりとした空気。

 だがそれもつかの間だった。

 村のほうで、蛮声が響いてきたのだ。そう、いくさにおいて、突撃を敢行した兵たちが上げるそれだ。 


「まさか……!」


 キアハが目を見開く。金棒を手に、すかさず村のほうへと走り出す。深く考えるまでもなく、慧太とセラもその後を追った。


「ユウラたち、じゃないな」


 村を集合地点にしていた。魔人化した村人を見て戦闘に――と一瞬思ったが、彼らより先に村に到達しているだろう連中がいることを思い出した。


「魔人軍だ」


 やがて、村へと到達する。民家に火の手が上がっていた。

 村の周りで、いざこざ――武装した魔人と歪な姿の魔人が衝突しているように見える。魔人軍とマラフ村の住人だ。

 しかし、それもほぼ鎮圧寸前だった。魔人軍の数は、村人のそれを遥かに超えている。斧で叩き斬られ、槍で貫かれ、魔人化した村人は雪上を赤く染めていく。


「やめろぉぉっ!!」


 キアハが怒号と共に村周囲の魔人兵に突っ込んだ。魔人兵らは、向かってくる女に向かって駆け出した。

 牙をむき出し、凶器を振り上げたところで――キアハの金棒が、魔人兵のがっちりした体躯を吹き飛ばした。

 キアハのタガは外れていた。目の前の悲劇に、我を忘れている感じだ。太陽の下、引っ込んでいた角が伸びた。目は金色になり、力の限り、魔人兵を玩具の如く跳ね飛ばす。

 兜はへしゃげ、眼球が飛び出し、または胴を鎧ごと穿かれ、内臓が破裂し、手足の骨は砕け、糸の切れた操り人形の如く、屍と化す。


「あああぁぁっ!」


 キアハの言葉にならない声。垂直に振り下ろした金棒が、魔人兵の頭を身体にめり込ませる。肩がはずれるのではないかというほどの大振りをすれば、三人の魔人兵がまとめて血を吐きながら吹き飛ぶ。

 気づけば、二十近くの魔人兵をしとめていた。荒ぶる息、肩が激しく上下する。取り囲む魔人兵らも、鬼の女戦士に見えるキアハに動揺を隠せない。

 そこへ慧太とセラが駆けつけた。慧太は爆弾を、セラは光の槍を具現化し、先制の投射攻撃。キアハの背後に回ろうとした魔人兵らをなぎ倒す。


「セラ、あまりキアハには近づくな!」

「どうしてです!?」

「いま、たぶん彼女プッツンしているから、近づき過ぎると巻き込まれるぞ」


 慧太の言葉どおり、キアハは魔人兵らに突撃した。気迫のこもった叫び、振るわれる金棒が、魔人兵の死体を量産する。

 たった一人の鬼娘の戦士に、一個小隊の魔人兵が手も足も出ない。ならば数で押そうとするも、慧太とセラがそれを許さない。

 アルゲナムの戦乙女――光の剣と魔法で、魔人兵を蹴散らしていく彼女の姿も相まって、中隊規模の魔人軍部隊が追い込まれていく。


 唐突に、角笛らしき音が村に響いた。


 それは戦場にありがちな通信手段、合図。

 吹き鳴らしたのは、魔人兵――形勢不利と見た指揮官が、態勢を立て直すべく撤退を命じたのだ。

 魔人兵らは村から離れるべく西へと逃走を図る。しかしキアハを囲もうとして、彼女の左右を抜けないと逃げられない兵らは不幸だった。

 目を血走らせ、まるで狂犬のように暴れまわるキアハによって、逃げることも許されず、兵らは血祭りにあげられていく。


 慈悲もなく、狂気だけがそこにあった。


 魔人軍がマラフ村から離脱して、集結を図ったとき、その兵力は半減していた。あまりの被害の大きさに愕然とする彼らだったが『悲劇』はそれに留まらなかった。


「爆砕」


 その一言によって、残った魔人兵部隊は炎と閃光に消えた。

 ユウラ率いる、リッケンシルト親衛隊残存部隊が駆けつけたのだ。

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