第142話、集落
ユウラの飛ばしたアルフォンソの分身体と接触した。それにより、離れてはいるもの連絡がとれるようになった。
往復には分身体を飛ばす必要があったが、これからの進路や、わずかながらの携帯食が文字通り飛んできた。
「村?」
堅焼きパンをかじり、それを咀嚼した後でセラは言った。慧太は頷く。
「ここから東に進むと、小さな集落があるそうだ。ただ、見たところ、建物はひどく老朽化していてな。もしかしたら廃村かもしれない」
ろくな地図もなく横断していたナルヒェン山ではあるが、ユウラは捜索から偵察に分身体の使い道を変え、周辺地形の探索を行った。
装備がなく、消耗した兵たちを抱えている現状、ナルヒェン山を登頂するルートは難しいという判断だ。そもそも、魔人軍が追跡してこなければ、山登りなどしなかったのだ。
結果、山をさほど登らない迂回ルートを選定し、そちらから越えることに決めた。その途中に、先の小集落を見つけた、という次第である。
「とにかく合流地点の目印としては最適だろうな。廃村じゃなければ、温かい食事にでもありつけるかもよ」
「ええ。……でも」
セラは表情を曇らせた。
「魔人軍、まだ追ってきているのよね?」
「ああ」
慧太は歩を進めながら、頷いた。分身体の偵察によれば、依然として魔人軍は山登りを続けているらしい。確認できたのは一個中隊程度。さらなる後続があるのか、あるいは吹雪に見舞われたことで進軍を諦めたのかはわからない。
森の砦での一戦がなければ、分身体を出して待ち伏せ、ゲリラ的襲撃ができただろうが、いまは慧太にしろ、アルフォンソにしろあまり余裕がなかった。
「とはいえ、連中だって初めから山登りを想定したとは思えないからなぁ。逃げ切れる可能性はあるさ」
悲観的になってもしょうがない。セラは慧太の隣につきながら、首を縦に振った。
「そうね。でも、もし村に人がいるなら、魔人軍が来るかもしれないこと、伝えたほうがいいよね?」
「だな。そう考えると、逆に廃村のほうがいいか。巻き込まなくて済むし」
「うん」
セラは、どこか浮かない顔だ。――わかってる。また自分のせいで誰かを巻き込んでしまうのではないかと思ったんだろう。
「そんな顔するなって。山に登った時点で、回避しようがなかったんだ。今からオレたちが集落を避けたって、魔人軍が見つけた時点で襲われるだろうし」
「……ありがとう」
セラは神妙に、控えめな笑みを返した。
「いつも気遣ってくれて」
「どういたしまして。慣れてる」
二人は雪上に足跡を刻みながら進んだ。
道幅が狭くなり、崖となっている部分も一列になることで通過。足を滑らせることもなく、やがて緩やかな傾斜となっている丘のような地形に出た。騎兵が横列組んで突撃できそうなくらい幅がある。もっとも、この高さまで馬でやってくるのは大変だろうが。
頃合としては昼だろうが、雲行きが怪しい。薄暗く、また雪でも降られたらかなわない。
「ケイタ」と、セラが正面を見据えて言った。
見えてきた。集落だ。
木造の簡素な建物が四、五つ――本当に小さな集落である。歩調を変えず、二人は近づく。
昨日の吹雪で屋根には雪が積もっている。村周辺に家畜用の柵があったが、肝心の家畜はいなかった。
これはいよいよ無人か。簡素な木造の建物は見るからに貧しく、煙突のある家もまた煙すら上がっていない。食糧は期待できないな――集落の入り口に達し、様子を眺めながら慧太は思った。
人の気配はなし。だが隠れているという可能性もある。見慣れない者に対する警戒感、排他的雰囲気というのが辺境集落にはよくあることだ。こんな何も取るもののなさそうな場所でさえも、例外はない。
慧太はポーチに触れ、それをちぎって、子狐型分身体を一体作る。ポーチがシェイプシフター体であるのを、セラに知られているので、そこまで気にする必要がないのだ。
「行ってこい」
人間では入れないところでも捜索できる子狐分身体に村の家々を一軒ずつ調べさせる。
「寂しい村……」
セラの声には悲しげな響きが含まれている。
「センチメンタルになってる?」
慧太は集落で一番大きな民家へと足を向けた。だがそこで、眉をひそめる。
足跡だ。一番大きな民家の入り口から南側へと伸びていく足跡。
「無人ではなかったみたいだ」
雪が降ったのは昨日。それまでこのナルヒェン山で雪が降った跡は見られなかったから、刻まれたのは今日で間違いない。ただ、出て行った足跡があるが、戻ってきた足跡がない。
「何かわかる?」
セラが聞いてきた。慧太はかがんで顔を足跡に近づけ、じっくりと観察する。
「……おそらく女、体格は大柄。足跡がくっきりしているから、何か重い物を持っている」
「女性……村人?」
「それはわからない」
慧太は立ち上がる。
「昨日の猛吹雪をやり過ごすために立ち寄った旅人の可能性もある」
足跡が深いのは、旅の装備を背負っているから、といえば説得力はある。
「では、ここには戻ってこない?」
「ここの人間でなければな」
慧太は足跡が残っていた民家の扉を開ける。薄暗い。人の気配はなく、貧相さは加速する。踏み固められた土の床。木の机に、石の椅子、小さいながらの暖炉――真新しい炭。
「ここに人がいたのは間違いない。問題は旅人か住人か、だけど」
家の中を歩き回り、そして頷く。
「少なくとも昨日一日だけ留まったわけではないな。埃もさほどないし、定期的に清掃しているんだろう」
ごほっ、と咳き込むような小さな声が天井から聞こえたような気がした。とっさに慧太は顔を上げる。セラもまた、天井に視線を向けている。
「聞こえた?」
どうやら空耳ではなかったらしい。慧太は頷くと、手にダガーを持つ。
「二階だ」
入り口の部屋に階段はない。隣の部屋、その木の扉を押し開ける。こちらも無人だが、大きなテーブルと、藁を敷き詰めたらしいベッドがあった。そして二階への階段も。
「ケイタ……」
「ああ、何かいる」
腐ったような臭いが、どうも上から漂ってきているようだ。二階ということは、少なくとも人か、それに類する者――たとえば獣人や亜人だろう。
そう考え、そうか、ここを人間の村と決め付けるのは早いか、と思い直す。慧太はダガーを手に、木製の階段に足を乗せる。
ギシィと軋む木板。足を忍ばせたつもりだが、これは上にいる何かにも聞こえているだろう。……侵入者に敵対的であるなら、待ち伏せされているかも――慧太は小さく息を吐いた。
セラも銀魔剣を抜いた。慧太は、静かに、と仕草で伝えると、階段をゆっくりと上がった。
鼻を刺す臭気が強くなり、自然と顔をしかめる。猛烈に引き返したくなったが、何がいるのか確認せずに放置というわけにもいかない。ユウラたちと合流する場所である手前、危険があるなら排除しておかなくべきだ。
――分身体を先行させるか? いや、もうどうせ数段だ、行っちまえ。
たとえいきなりぶん殴られたところで、セラには見えないし、シェイプシフターである慧太はびくともしない。
すっと顔を二階に出す。窓があるが、鎧戸が閉められていて真っ暗だった。明かりはない。せめて窓を開ければ、この臭いも少しは抜けるだろうか。
だが、何かいる。
げほっ、とまたも小さく咳き込む声。それにつられるように、幾つも。
慧太の目が、夜目の利くそれに変わる。人らしきものが床に横たわっている。それも複数。二列、十人――病人の集まりか。慧太はダガーを下ろした。
どうしたものか。
かすかに動いているから死体ではないが、横になったまま起き上がるそぶりもない。重病人の集まりなら納得ではあるが、はたしてセラを呼んでいいものかどうか。ヤバイ病気もっていたら、彼女を近づかせるわけにもいかない。
「ケイタ……」
そのセラの呼ぶような声が下から聞こえた。とりあえず、見たままを報せるか――慧太が静かに階段を下ったとき。
「そこで止まれ」
硬質な若い女の声が聞こえた。
女? ――慧太が視線をやれば、セラの首筋にナイフを突きつけた黒髪の少女の姿があった。前髪で片目が隠れているが、その少女の黒い瞳が淡々と慧太を見つめる。
「武器を捨てろ。さもなくば、この女を殺すぞ!」
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