第135話、シフェル・リオーネ

 業火に焼かれ、自らの身体が消し飛ぶ――そんな夢から目覚めた時、ベルゼ・シヴューニャは天幕の中にいた。


 視界が狭い。反射的に手を当てれば、どうやら包帯が巻かれているようで、右目の視界が覆われていた。

 ベットに横たわったまま、ついでにその手を見ればこちらもまた包帯に包まれている。

 それで思い出した。森の砦、あの中庭で起きた大規模な炎、その魔法を。

 全身が高熱を浴び、焼かれたところで意識を失った。最後の寸前、銀甲冑をまとったサターナに「伏せなさい」と言われて、とっさに身を伏せなければ……たぶん、命はなかっただろう。


 ――何故、助かった? ここはどこだ?


 ベルゼが視界を動かせば、傍らに副将であるガルス・ガーが立っているのが見えた。……なんつー顔してんだよ。


「姫君。わかりますか?」

「……何がだよ」


 ベルゼは答え、天幕を見上げた。


「ここは、どこだ?」

「友軍の野戦陣地であります」

「どこだ? ここから近い友軍って王都のベルフェ軍か?」


 そこまで移動したなら、あの夜戦から一日二日経っていてもおかしくない。


「いえ……それが」


 ガルス・ガーは珍しく歯切れが悪かった。


「あら、起きた? 豚ちゃん?」


 若い女の声。しかしそれには多分に嘲る成分が強い。そしてその聞き覚えのある声で、ベルゼの気分は最悪なものになった。


「るせぇぞ! 天使もどき! 豚ちゃん言うな!」

「天使もどき……ですって!?」


 天幕入り口に現れたのは、見事に長い金髪を持った美女だった。

 豊かな胸、引き締まった腰にすらりと長い脚。その背中には天使を思わす翼。白いドレスをまとい、神々しいまでのプロポーションを持つ彼女は、七色の扇を広げた。


「このわたし、堕天使シフェル・リオーネ様に向かって、その口の聞きよう。仮にも、命の恩人にそれはないのではなくて?」

「知るかよ」


 ベルゼは露骨に舌打ちした。何が堕天使だ、魔人の癖に自分を神の使いとかほざきやがって。

 レリエンディール、七大貴族シフェル・リオーネ――生粋の魔人であり、天使に見える翼もワシの翼であるのをベルゼは知っている。堕天使を自称する可愛そうな頭の同僚から顔を逸らす。


「ガルス・ガー。ここは第一軍の天幕か?」

「はい、姫君」


 ゴーグラン人の副将は複雑な表情で頷いた。すると金髪美女――シフェルは、ベットのベルゼのもとまで歩いた。


「そうよ、第一軍の……あなたが憧れた第一軍の天幕よ! 第二軍のベルゼさん」

「てめぇ……!」


 身体の感覚が正常なら、掴みかかるところだが、まだ生憎とそこまで自由ではなかった。全身包帯――重傷であるのは、ベルゼ自身認めざるを得ない。


「ガルス・ガー、あたしを手当てしたのはこいつか?」

「はい」


 やはり神妙な様子のガルス・ガー。ベルゼは顔をしかめた。


「あー、天使もどきに借りを作っちまったわけか」

「そうよ、豚ちゃん。第一軍の、このわたしに命を救われたのだから、もっと感謝しなさい!」


 傲慢な言いようのシフェル。ベルゼは身体を起こし、ベッドの上で胡坐(あぐら)をかいた。


「はいはい、ありがとうございました」


 投げやりではあるが、ベルゼの口から感謝の言葉が出るのは珍しい。だからその気持ちのこもっていないお礼でさえ、シフェルを吃驚させた。


「ベルゼがお礼を言うなんて……雨が降るかしら」

「んだと!?」

「だってそうでしょう? 口の悪さでは、一二を争うベルゼが、お礼を言うなんて。……ねえ、ガルス・ガー?」

「……はっ」


 副将は言葉少なだった。ベルゼは、自身でもらしくないことをしたと頬が紅潮したが、それもわずかの間だった。


「それで、第一軍がこんなところで何してんだよ? リッケンシルト攻略はあたしの第二軍とベルフェの第四軍の担当だぞ。第一軍が動くなんて話、聞いてねえぞ?」

「知らなくて当然よ。だって言ってないもの」

「は?」


 ベルゼは、シフェルの言葉に疑問符を浮かべる。


「言ってないって?」

「わたしが独断で第一軍を動かしたのよ」

「はぁ!?」


 腰を浮かしかけ、全身に走った痛みに思わずベルゼは動けなくなる。シフェルは七色の扇で、そんなベルゼの肩を軽く叩いた。


「おま、陛下の許可もなく、軍を動かしたってのかよ!?」

「そうよ」

「そうよ、じゃねーだろが!」

「姫君、あまり大声を上げますと――」


 ガルス・ガーが興奮する上官をなだめようとするが……手遅れだった。いてて、とベルゼは自身の胸を押さえた。


「王子陛下は、わたしの行動を認めてくださる――」


 シフェルは、手近にある椅子を引き腰掛けた。


「正直言って、あなたに活躍されると困るのよ」

「はあ?」

「だってあなた、活躍したら陛下にこう言うでしょう? 自分の部隊を第一軍にしてくださいって? そんなの嫌よ。わたしは認めない」


 シフェルの言葉に、ベルゼは絶句する。……実際、その通りだったからだ。

 自分が魔人軍の、七大貴族の一番手であることを願うベルゼである。だがそれはシフェルも同様だった。何かにつけて『一番』というものにこだわる。それを巡る争いは、ここ一年激化していた。


 ガルス・ガーや兵らに言わせれば、たかだか軍団の数字なのだが、貴族のプライドなのか、この二人の間での争いは特に酷かった。……一年前にサターナが失踪するまでは、まだ収まりがついていたのだが。当時は第一軍がサターナ軍、第二軍がシフェル軍、第三軍がベルゼ軍だった。


「サターナ様……」


 あの中庭にいたのは、サターナだったように思える。一年前に失踪した七大貴族筆頭、サターナ・リュコス。何故、彼女があの場にいたのか、皆目見当もつかない。


「サターナがどうしたって?」


 一年前、一番を巡ってサターナを激しくライバル視していたシフェルである。七大貴族の派閥争いでは、サターナ派だったベルゼは彼女を敬っているが、シフェルにはそれがない。


「んでもねえよ」


 ベルゼは自身の髪をかいた。……ここは包帯ないのか。


「ガルス・ガー。報告してくれるか? あたしが意識失ってる間どうなったか」

「は、姫君。連隊は、森の砦を攻撃し、アルゲナムの姫騎士と交戦しましたが、連隊は壊滅。二千名近くいた連隊は、現在二五一名……」

「たったの二五一!?」


 ベルゼは驚愕した。


「んな馬鹿な!? 敵は一個小隊程度だっただろうが! たしかに魔騎兵大隊は砦の中に引き込まれて大打撃を喰らったが、三つあった歩兵大隊もやられちまったというのか!?」

「はい」


 ガルス・ガーは押し黙った。歩兵大隊が謎の同士討ちを展開したなど、別軍の指揮官であるシフェルがいる前で言えるはずもなかった。


「そんなに、つぇーのか、アルゲナムの姫騎士は……」


 失ったものの大きさに、ベルゼは頭を抱えた。聞いていたシフェルは嘆息した。


「一個小隊? 一個中隊の間違いでしょう。でもまあ、それでも酷い戦力差で負けたのは間違っていないけれど」


 もちろん、圧倒していたのが自軍で、とは言わずもがなである。


「いまわたしの軍勢の一個歩兵大隊を出して、アルゲナムのセラフィナを追撃している。敵も消耗しているから、逃げの一手みたいだけど」

「一個大隊?」


 ベルゼは首を振った。


「たったそれだけで何とかできるつもりかよ? あたしの連隊を壊滅させたような化け物だぞ?」

「そうは言っても、いま回せる戦力がそれしかないのよ」

「何で?」


 ベルゼは率直だった。シフェルは言葉につまり、七色の扇で口もとを隠しながら視線を逸らした。


「その、ちょっと寄り道をし過ぎてね。本当はあなたより先に王都に乗り込むつもりだったのだけれど……」

「?」

「物資が尽きかけているのよ。軍団全体を動かすには、補給がないと、ちょーと無理かなーって」


 拗ねるように顔を背けるシフェル。ベルゼは呆気にとられる。


「シフェル……お前、馬鹿だろ?」

「馬鹿のあんたに言われたくない!」


 シフェルは怒鳴り返すのだった。

 独断専行した挙句、迷走して物資散らすとか、とんだ金食い虫だ。閣下に知られたら、叱責もので済むかどうか――ベルゼは思った。……ひょっとしたら第一軍の座も。


「……」


 急に現実に引き戻される。第二軍の主力である第一魔騎兵連隊と、軽歩兵連隊が壊滅したのだ。リッケンシルト国の王都エアリアに連隊を残し、さらに本土にもう一つ連隊があるが、これほどの大打撃を受け、しかも敗北した後とあっては、ベルゼ自身も立つ瀬がない。……何より信頼厚き部下を多く失ったのが堪えた。


「そういえば、ベルゼ」


 シフェルが唐突に言った。


「あなた、『きゃっちぼーる』って知っているかしら?」

「は?」


 ベルゼは顔を上げる。


「んだよ、知るかよそんなもん」

「どうして知らないのに『そんなもの』と言えるのよ」


 シフェルはフン、とそっぽを向いた。ベルゼは首を捻る。


「んで、そのきゃっち何とかって、何だよ?」

「知らないわ。だから聞いたのよ」


 シフェルは七色の扇を自らの細い顎に当てる。


「ただ、気にはなったのよね。王子殿下がそれを口にしていたのよ。『きゃっちぼーるがしたい』って。……ああ、それが何かわかればお相手してさしあげるのに」


 シフェルは歌うように言うのだった。

 どうでもよかった。少なくとも、ベルゼにとっては。

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