第104話、あらためて、よろしく

 夜空の中、飛びぬけて行った飛竜。

 それがもたらした災厄は、レリエンディール軍ベルゼ連隊にとって衝撃だった。


「おい、てめえ、戻ってこい! ぶっ殺してやるっ!」


 口汚く罵りながら東の空めがけて拳を突き上げているのは、魔人ベルゼだった。黒髪の勇ましき美女は、しかしその外観に似合わず、怒りを隠そうともしなかった。

 彼女の配下の魔騎兵たちも猛り狂うほどの咆哮を上げている。


「姫君!」


 副将であるガルス・ガーが魔獣ゴルドルに乗り、やってきた。ベルゼは鬼もかくやの形相で部下を見やる。


「いまの攻撃でゴルドル、兵ともに五十騎ほどが負傷。三十騎が消滅しました」

「くそったれっ!」


 ベルゼは、ぎりりと歯を噛み締めた。 

 リッケンシルト国侵攻以来、最大のダメージを受けた。それも、わずか一分にも満たない短時間に。

 負傷もさることながら、消滅した三十のゴルドルと騎兵は……あの爆発で蒸発してしまったのだろう。それだけすさまじい熱気だった。離れていてもそれを肌で感じたベルゼである。


「くそったれ、くそったれ、くそったれ!」


 怒りが収まらず、ベルゼは罵倒を繰り返した。それを表情なく見つめるガルス・ガーは、さも今思いついたような調子で言うのだった。


「姫君、ここは一度引いて、後続と合流しましょうか」

「んだと、ガルス・ガー!? 尻尾巻いて逃げろってかっ!? このベルゼ様が、天下の魔騎兵がか!?」

「そうです」


 ガルス・ガーは平然としていた。自身の胴当てについた土片を払うほどの余裕ぶりだ。


「ちょっと損害が馬鹿にできんほど出ております。王都は逃げやしません。一端引きましょう」

「おい、こら、ガルス・ガー! 本気で言ってんのか!?」

「冷静におなりなさい、姫君。またアレが飛んできても、いまこちらに対応できる手段がありませんぞ」

「弓矢があるだろうが! 今度きたら叩き落してやらぁ!」

「そんな人間どもから奪った弱弓じゃなく、レリエンディールの正規の弓兵隊でなければ、あれ大きさの飛竜は墜とせません」

「正規の弓兵隊なんぞ、いないぞ!」


 矢は消耗品。当然、魔人規格の矢は使ったら補給が必要だ。そういった補給部隊を待つことを好まないベルゼは、直卒の連隊に魔人弓兵部隊を組み込んでいない。


「ええ、だから後続と合流するんです。奴がまた仕掛けてきたら今度こそ叩き落して、脳天に穴を開けてやるために」

「……それは……そうだけどよォ」


 ベルゼは拗ねた子供のように口を尖らせる。幾分か怒りが抜けたようだった。


「王都を前にして逃げ出したなんて思われたくねえし」

「それが狙いです。王都の連中がこちらが逃げ出したと思い、追撃してくれば――」


 ガルス・ガーは不敵な笑みを浮かべる。


「得意の野戦で、鎧袖一触にしてやりましょう」

「なーる。いつもやってる手だな」

「そうです、いつもやってる手です」


 副将は頷いた。ベルゼは凄みのある笑みを浮かべたが、すぐに笑みを引っ込めた。


「もし連中が追撃してこなかったら?」

「それなら我々が思っている以上に、腰抜け野郎の集まりということですな。後続と合流したら王都を囲んで、じっくり攻略すればいい」



 ・ ・ ・



 リッケンシルト王都エアリアの東側は、他の方角の地形である丘陵ではなく、やや上りの傾斜がある平地が広がっている。その平原をしばらく進むと広大な森林地帯がある。

 王都東からこちらへと伸びるのはゲドゥート街道。

 慧太は、セラ、ユウラと飛竜から馬の姿に戻ったアルフォンソと共に待っていると、やがて狐人の女戦士と赤毛の女魔人がやってきた。


「無事か?」


 確認のために聞けば、狐娘のリアナが右腕を少し持ち上げた。


「ちょっと、かすった」

「リアナ、怪我を?」


 セラが早足でリアナの傍らへと向かう。


「見せて。治すから」

「平気。こんなのすぐ治る」

「いいから! 傷口から病気になることだってあるんですよ?」


 セラは、リアナの肩口の切り傷に手をかざし、治癒の魔法を使った。おぼろけな光が闇夜の中にちらちらと揺れる。

 慧太はそれを見守った後、アスモディアに声をかけた。


「お前は大丈夫か?」

「ええ、わたくしは召喚奴隷ですもの。例え傷を負ってもすぐに元通りよ」


 その大きな胸を揺らし、腰に手をついてのドヤ顔である。


「いい加減、そのビキニアーマーみたいな格好やめろ」

「えー、魔人軍時代は、いつもこれくらい肌を露出させていたわよ?」


 アスモディアは身をくねらせる。大きな胸、引き締まった腹筋に腰まわり。尻肉のボリュームにすらりと伸びた足と全身から色気を発散している。……目のやり場に困るんだよ、まったく。


「リアナの援護、ありがとな。……手間取ったか?」

「いいえ。あの狐っ子、わたくしが手伝わなくても、一人で城壁越えられたんじゃないかしら」


 慧太は苦笑する。

 訓練されたフェネックの戦士は、その跳躍力と身軽さで、足場を巧みに利用したり、三角飛びを駆使して高低差を無視する。

 確かに、リアナであれば単独で十数メートルの城壁も身軽に越えて見せるだろう。


「そうだとしても『もしかして』って事態に備えるのが普通だろ? あってよかった予備案。使わなくて済んだなら何よりってもんだ」

「……まあ、そうでしょうけど」


 アスモディアは腕を組んだ。そんな魔人女に、リアナは言った。


「城壁越える間、アスモディアがリッケンシルト兵を牽制してくれた。おかげで最短ルートを登れた」


 ありがとう――狐娘は、いつもの無表情で言うのである。逆にアスモディアは急激に顔を赤らめた。


「あ、ありがとう、だなんて……わたくしは、与えられた役目をこなしただけよ!」

「……なに照れてるんだ、お前」


 慧太は小首を傾げれば、アスモディアはそっぽを向いた。


「べ、別にテレてないわよ」


 治療おわりです――治癒魔法を行使していたセラが言った。リアナが「ありがとう」といえば、セラは「いいえ」と微笑むのだった。


「それで――」


 セラが、一同を見回しながら口を開いた。


「この度は、私のために危ない橋を渡らせてごめんなさい。……リアナには怪我までさせて。皆さんにも」

「もう、硬いわねぇ」


 アスモディアが自身の赤毛を鬱陶しげに払う。


「そこはごめんなさい、じゃなくて、狐っ子を見習って『ありがとうございます』でいいんじゃない?」

「え? あなたにお礼を言うなんて気持ち悪いです」


 真顔で返すセラに、アスモディアは一瞬ポカンとしてしまう。だがそこでセラは口もとに意地の悪い笑みを浮かべる。


「ごめんなさい、冗談です。……ユウラさんの命令の結果でしょうけれど、いちおう、あなたにもお礼を言っておきます。ありがとうございます」

「お、おう……今のは謝っていいのよ、うん」


 アスモディアはばつの悪そう言った。

 あれだけ毛嫌い、というか国を滅ぼされた恨みで魔人を敵視していたのに、いちおうとはいえお礼を言えるようになったか――慧太は少しホッとするのである。

 ユウラが口を開いた。


「無事で何よりです、セラさん。あなたには、まだライガネンへ行くという使命があるのですから」

「はい、ユウラさん」


 セラは真面目な顔つきになる。


「あらためて、私はライガネンへ行きます。でも私ひとりでは難しい……助けがいります。それで……みんなの力を、私に貸してください! お願いします!」


 銀髪の姫君は、頭を下げた。

 亡国とはいえ、王族が頭を下げたのだ。人に頼るのを躊躇っていたような彼女が。……エアリアにいる間に、彼女にも変化があったようだ。

 慧太は頬をかいた。


「何をいまさら……。君をライガネンまで連れて行く、そういう契約だ」

「うん。今までと同じ」


 リアナは即答だった。ユウラが頷けば、アスモディアは嘆息した。


「召喚奴隷の身のわたくしに決定権なんてないわ。いいわよ、マスターが手伝うって言うなら、力を貸すわよ」

「……ありがとう、ございます。……みんな」


 セラは目に涙をためて微笑むのである。慧太はポーチからハンカチを出す。


「泣き虫だなぁ、お姫様は」

「お姫様は余計です、ケイタ」


 彼女は涙を拭い、言った。


「あらためて、よろしくお願いします」

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