第88話、迷い
椅子に腰掛けた慧太は、ベッドに腰を下ろすセラと向かい合っていた。
「あの王子に求婚されたと」
慧太は不愉快さを隠さなかった。事情を聞いて、少々頭にきている。
「で、セラは何て答えたんだ?」
「考える時間をください、と」
セラは俯く。
――即お断りしなかったということは、多少惹かれるところがあるのかな。
慧太は自然と鼻息が荒くなった。――あんなんでも一応、王子だし。まあ、そこそこ顔もいいしな。……面白くないが。
「セラは……あの王子のこと、好きなの?」
深く考えることもなく、その言葉が自然と口から出た。同時に、慧太はしまったと思った。――これではまるで、嫉妬しているみたいじゃないか。
「……わかりません」
静かな声でセラが答えた。慧太は小刻みに首を横に振った。
「わからない?」
好きとか嫌いとか、それだけではないのか?
「そんな簡単なものじゃないんです。好きとか嫌いとか、そんなんじゃなくて――」
セラは顔を上げた。
「国同士の問題なんです。……私の個人の感情など関係なくて、判断ひとつで国や民の未来に大きく影響してしまう」
「セラが王子と結婚すれば……リッケンシルトはアルゲナム奪還のために力を貸すと」
それではまるで人質をとられているようなものだ。好きでもない王子に、自分を捧げることで窮状の故国や民を救うことができるかもしれない――
身一つで旅をするセラにとって、それはどれほど希望に満ちたものに見えるのだろうか。自分が我慢すれば、大勢の人間を救えるかもしれない。
――あー、これダメだ。セラは自分がどうなろうと、人が救えるほうを選択する……。
慧太はこれまでのセラの言動を思い出し、軽いめまいをおぼえた。
自己犠牲など平気なお姫様だ。
だがそこで、ふと慧太は気づく。そんな自己犠牲心溢れるセラが、いまだ婚約を決めかねているのはどういうことか?
やはり、自分の結婚ともなれば、わかっていても簡単には頷けない、いや受け入れるのに覚悟がいるということか。元の世界の――日本でいえば高校生の年頃だ。そう簡単に割り切れるわけがない。
セラが迷っているなら、今後のこともまたわからないということだ。
彼女が結論を出すまで待つか? だが慧太とて、この部屋にいつまでもいられるわけではない。だから遠慮がちだが聞くのである。
「もう、ライガネンには行かないのか?」
セラは押し黙る。即答できないのは、彼女の中で深い葛藤が巻き起こっているからだ。
王子と結婚する未来、と、彼の求めを断り、父王の遺言に従ってライガネン王国を目指す――どの道を選ぶのか。
沈黙が重く、慧太は続く言葉を紡ぐのを躊躇う。
重苦しい空気。
やがて、セラは口を開いた。
「私ひとりが身を捧げることで、民が救われるなら、私はそちらを選ぶ」
「……」
「けれど、それで民が救われなかったという結末を迎えるのが……私は怖い」
セラは自身の身体を両手で抱きしめる。
「リッケンシルト国の力で、レリエンディールからアルゲナムを取り戻せるの? お父様の言うとおり、ライガネンの助力にすがるべきなのではないか。……私が判断を誤れば、アルゲナムの人々を救えない!」
多くの人の命がかかっている。だから、間違った判断はできない。それがセラを悩ませる。
何が最善か、必死になって考えているのだ。
慧太は嘆息した。
「……あれだろ。リッケンシルトにアルゲナムを取り戻す力があれば、セラは迷わずあの王子の婚約に応じた、だろ?」
「あまり気持ちのいい言い方ではないですが……そうしたでしょうね、否定はしません」
「リッケンシルト単独では、レリエンディールへの抵抗は難しい?」
「過去数度、この国を訪れ、軍備を見た限りでは……正直、魔人軍と正面きって戦うのに不安を感じてます。……もちろん、戦いはやってみないとわからないですけど」
セラは真面目な顔で告げた。慧太は椅子にもたれ、腕を組んだ。
「……正直な意見を言ってもいいか?」
「ぜひ聞かせてください」
セラは頷いた。慧太は事務的な口調で言った。
「気に入らない。セラの心情につけ込んで婚約を迫るという王子のやり方は」
「ケイタ……?」
それは――と目を見開くセラに、慧太は首を傾げた。
「本当に君のことを妻に迎えたいと思っているのなら、オレならこう言うね。『アルゲナムは必ず奪還する。その暁には、オレと結婚してくれ』って」
「ケ、ケイタっ……!?」
カァっ、と銀髪のお姫様の顔が紅潮するが、光源のない室内にあって、その変化は分かり難かった。
「まず誠意を見せるべきなんだよ。……順序が逆なんだ」
慧太は続ける。
「オレがあの王子を気に食わないから否定的な見方をするが、正直、君が王子の婚約に応じたところで、あいつが本当にアルゲナム奪還をする気があるのか怪しいもんだ」
「……え?」
「軍備が整わない、自分はその気があっても周囲の意見がまとまらないとか、理由をつけて、のらりくらりとかわしたりすることもあるってことさ。そもそも――」
アルゲナム奪還を口にしているのは、リーベル王子だけ。国王がそれに賛同しているのか、大臣たちはどう思っているのか、まったくわからない。
「確かにそうです」
セラは顎に手を当てる。
「王子の考えが、リッケンシルト国の総意とも限らない」
そういうこと――慧太は頷く。セラはより難しい顔になる。
「そうなると、婚約を受けることが最善ではない……?」
頭を抱えてしまうお姫様。慧太としては、王子の誘いに簡単に乗るべきではないと思うが、セラにとっては余計に判断を難しくさせてしまったようだった。
慧太は、がしがしと自らの髪をかいた。
「悪いセラ。ネガティブなこと言って。……オレがどうこう言おうが、結局決めるのは君だ。他の誰でもない、アルゲナムのお姫様であるセラが、決めなくちゃいけないのに」
「いえ、ケイタのおかげで、少し視野が広がりました。一人で考えてたら、もっと悲観的な方向で自分を追い詰めていたと思います。……ありがとう。そばにいてくれて」
あ、いや……うん――こそばゆいものを感じて、慧太は頬をかきながら視線を逸らした。セラは優しく笑ったようだが、窓のほうへ顔を向ける。
「私が決めなくてはいけない。……でも、誰かに決めてもらえたら、なんて思わずにはいられない。……それならどれほど楽なことか」
アルゲナムのお姫様は、物悲しそうに言うのだった。
誰かに決めてもらえたら――それは偽りない彼女の心境。まだ十代後半の少女が、王族に生まれたというだけで抱えなければならない宿命、責任。
国は滅びても、彼女はアルゲナムの王女。その責務を捨ててはいない。今なお、それを果たそうとしている。
生真面目に。真っ直ぐに。
「ごめんなさい、弱音ですね。こんなことじゃいけないのに」
セラは自嘲する。慧太は首を横にふる。
「セラはすげぇよ」
「……?」
「誰かに決めてもらえたら、って悩んでるってことは、自分で考えて判断しようとしてるってことだろ? 本当に誰かに頼りたいって人間なら……考えるのを放棄して、リーベル王子の求めに応じてただろ?」
自分で考えて応じるのと、考えをやめて任せるのは違う。
「君の両親は……あ、親父さんもういないんだっけ? でも、立派な人たちだったんだろうなってわかるよ。こんな立派な娘を育てたんだ。きっと、君のことを誇りに思ってるだろうな」
「ケイタ……」
すっと、彼女の目からこぼれる光。頬を伝ったそれに気づき、セラはびくりとして慌てて拭った。
「ごめんなさい。でも……」
セラは小さく笑んだ。
「お父様やお母様は、こんな私を、誇りに思ってくれているでしょうか?」
「当たり前だろ。セラは、立派なお姫様だ」
だから――慧太は心の中で呟く。
そんな君だから、助けたいって思ったんだ。
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