第87話、忍び寄るシェイプシフター
ハイムヴァー宮殿、一階の通路。ランプを持った衛兵が二人見回る。
角を曲がり、真っ直ぐ伸びた通路を慣れた足取りで進む。
異常なし。不審者の影も形もない。
衛兵らが通過したのを
案外、人というのは上を見ないものだ。特に天井を支えるアーチの裏などに『何かが』潜んでいるなど普通は考えない。
天井にくっついたまま移動する慧太。
先の場合、慧太が回避手段として考えたのは三つ。
一、兵に化ける。
二、何かの置物に化けてやり過ごす。
三、天井のアーチ裏に隠れる。
一は、話しかけられたら面倒なのでパスした。兵に化けるといっても簡単ではない。化けて成りすますには顔見知りの兵でなければならず――そうでなければ不審がられる――、ある程度その人物の個人情報を持っていなければ、話しかけられた時にボロが出る。
二は、今までなかったものが唐突にあれば目敏い者なら不審がる。調べられたらこれも面倒だ。
となれば、三を選択するのが危険が少ない。
その後、二度ほど人と遭遇したが、慧太は気づかれることなく、目的の場所――セラが宛がわれた部屋に到着した。
――今頃どうしているだろう……。
王子から、慧太らが去ったことを知らされているだろうことは予想がつく。ショックを受けていないだろうか? 裏切られたと思われたとか、あるいは落胆されたとか。
――王子が何を言ったかは知らないが、オレたちがセラを見捨てたわけじゃないことは知らせないとな……。
その思いで潜入しているのだ。状況によっては、今後の活動にも影響する。……ライガネンへ向かうという目的を続行するのか、あるいは――
中の様子がわからないので、慧太はそっと扉の隙間に身体の一部を通して確認する。
真っ暗な室内。明かりはない。もう寝ているのか。
セラは……いた。
窓際に椅子を持っていき、そこで外の景色を眺めていた。
起きていた。
着ているのがいつもと違うが、椅子の背もたれのせいでよく見えない。白の、寝間着か……?
起こす手間が省けたが、さて、どうやって部屋に入ったものか。物音を立てるのは、あまりよろしくない。不審者と思われて声を上げられて、衛兵がやってきたら厄介だ。
とりあえず、扉を開けずに中に入ろう――衛兵が見回りにきたら面倒だ。幸い、セラは扉から背を向けている。
――そのまま振り向いてくれるなよ……。
身体を扉の隙間から滑り込ませているところなんて、シュールを通り越してドン引き間違いなしだ。いやスライムか何かと思われて攻撃される可能性も……。潜り込むより遥かに緊張した。
ひんやりとした空気。窓を開けているせいだ。
慧太が黒い水溜りから普段の中肉中背の黒髪少年の姿をとり終わる頃、セラが力ない溜息をついた。
やるせなさが垣間見える。気落ちしているのが、その寂しげな背中を見ればわかった。
ここまで気づかれていないと、声をかけるほうも緊張する。十中八九、彼女を吃驚させるだろうから。
深呼吸。そして、小さく咳払い。
「!?」
ビクリと、セラが身を振るわせ、勢いよく席を立った。振り返った彼女は、慧太の姿を見やり、あげかけた悲鳴を口もとを覆うことで押さえた。
「……ケイタ?」
「こんばんは、お姫様」
少し照れくさかった。セラはじっと慧太を見つめる。その青い目は潤み――
「っ!?」
慧太は目を見開いた。バッと、セラが慧太の胸に飛び込んできたのだ。寝間着姿という初めての格好もさることながら、彼女の思いがけない行動に、さすがの慧太も驚きを隠せなかった。
「セラ……?」
「……本当に、あなたなのね、ケイタ」
銀髪のお姫様は慧太の身体を抱きしめる。
――そんな関係だったっけ?
慧太は訝る。……あれか、迷子で不安がっていた子供が、親が迎えに来た時に感極まって抱きついてしまったとか、そういうやつだろうか。
そう考えながら、慧太はそっと彼女の背中に手を回してポンポンと叩いてやる。
「とりあえず、足はついてるよ」
「帰ったと聞かされた」
セラが慧太の胸から顔を上げる。
「本当にあなたたちはいなくなって……」
「ああ、追い出された」
慧太は口もとをゆがめた。
「でも、君が寂しがるだろうと思ってね。……挨拶もなしだったし」
「ケイタ……」
「不安だった?」
「……ええ」
セラはその白い手で目元を拭った。
「だって、急な話だったんですもの。……まさかこんなことになるなんて」
「そう、まさにそれが問題だ」
慧太はセラの肩に手を置き、じっと見つめた。
「君はこれから、どうするつもりだ?」
「どうするって……」
「ライガネンを目指すのか? 旅を続けるかってことさ」
慧太が言えば、セラは目を瞬かせた。
「ライガネンって……まだ、旅を続けてくれるんですか?」
「当たり前だろ。そういう契約だったじゃないか」
「……その契約、まだ生きていたんですね」
セラは自嘲するように言った。
「ここから追い出されたのに。……怒って帰ってしまっても、誰も文句は言わなかったでしょうに」
「クライアントから直接破棄されない限りは、放り出さない主義でね」
慧太は皮肉げに微笑した。
「無理やり契約に持ち込んだくせに」
セラが拗ねたように頬を膨らませた。
「そう言わないと、お断りされそうだったんでね」
「放っておいてもよかったのに……お人よしですね、ケイタは」
「よく言われる」
頬をかきながら顔を背ける。
「で、これから、どうするんだよ。お姫様は――」
「お姫様はやめてください」
セラが軽く怒るマネをしたが、すぐに肩を落とした。
「……わからないんです。どうすればいいのか」
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