第2話、混濁する意識

 

 羽土はづち慧太けいた

 それが彼の名前だった。高校二年生の高校生。中肉中背。野球をやり、ポジションは捕手だった。


 学校行事の修学旅行――その途中、光に包まれた。

 何かとてつもなく酷いことが起きた。だがその記憶は霞みかかったようにおぼろげ。一度思い出したような気がしたのだが、またも思考が混濁する。


 奪わなきゃ――

 盗むのだ――


 先ほどから思考に割り込むようにそれらが頭の中に浮かぶ。これまでなかった感情だ。


 気持ち悪かった。


 自分ではないものが自分の思考の中にいるような感覚。

 呼吸が荒くなる。足元がおぼつかず、その場に膝をつく。

 胸の奥からは吐き気。だが吐こうとしても何もでてこなかった。気持ち悪い、気持ち悪い……気持ちワルイ……!


 頭の中がぐらぐらする。何もかもわからなくなってきた。

 吐き気が消える。だが今度は空腹感がこみ上げてくる。……タベタイ。……クイタイ。


 立ち上がる。


 まだふらつくが何とか歩き出す。

 ふと、水の流れる音が右手側から聞こえた。慧太はそちらへと足をむける。道をはずれ、そばに立つ木のあいだを抜け、少し歩くとそれはあった。

 川だ。


 ――水……!


 この空腹感を少しでも和らげられれば。

 慧太は川べりへと着くと、飲める水かどうかも迷うことなく無意識に水をすくい、口にした。その思考は夢の中のように現実感に乏しく、正常とは言えない。


 水は透明で綺麗だった。すくうのも面倒とばかりに直接飲みに掛かる。だが空腹感は満たされることなく、むしろ渇きさえおぼえた。


 そこでふと、川に映る自分の姿に気づいた。


 あごひげが生えていた。そこにあったのは見慣れた自分の顔ではなく、別の男のものだ。……あの何を言っているかわからない外国人、バンダナを巻いた盗賊じみた男だ。


「あ……ああっ……!」


 慧太は思わず尻もちをつく。自分の顔をぺたぺたと触る。僕の顔はこんなんじゃなくて……!

 再び確認するように川へと顔を近づける。果たしてそこにあったのは、盗賊じみた男ではなく、普段から見慣れている慧太の顔。


 ――僕の顔……!


 心底ホッとした。だがさっきのは何だったんだろうか。襲われた相手の顔を思い出して、幻でも見たのか。

 頭の中が重い。思い出そうとしても、ところどころ途切れているように考えがまとまらない。まるでその部分の記憶や考え方が欠落しているような。


「おい、クライツ!」


 野太い声がした。

 反射的に返事しようとして、はたとなる。……なんで僕は返事しようとした? だって僕は慧太で、クライツじゃなくて――


「んなところで油売ってんじゃねえ、クラ……え!? お前、誰だ!?」


 野太い声、その主が驚く。見れば小汚い盗賊といった姿の男が五、六人ほどがこちらへとやってくる。……ああ、そうだ、いつもの面子だ。ボルにライツ、クレー、バリー、トラット、アーバン――


 え?


 慧太は吃驚してしまう。何故、この知らない男たちの名前が頭の中に浮かんだのか? いや、そもそも何故今の名前がこの男たちの名前だとわかったのか。


「おい、聞いてるだろガキが! お前は誰なんだよ!?」


 乱暴な口調で男は言った。ナイフや斧、それぞれが武器を手に、襲い掛かる構えだ。


「ここにクライツがいたはずだ……」


 男達の言葉は外国の言葉だ。だが不思議なことに今の慧太にはその意味がわかった。


 ――クライツ、そう、そんな名前だ。僕を見つけて金目のものがないか襲い……。


 喰ったのは――慧太のなかで、そんな声がした。


 ――喰った……?


 またも混濁する意識。頭を押さえる。ごちゃごちゃとうるさい何かが脳をかき回す。


 殺せ――


 ドクリ、と胸の奥がうずく。


「おい、殺すぞてめぇ!」


 盗賊の一人――たしかライツだ。斧を振り上げ、慧太に振り下ろす構えを見せる。


「首を落とされたくなきゃ、正直に答えな!」


 首――またも何かが思考をよぎる。クラスメイトの川田。トカゲ魔人に斧で首を落とされそうになっているさま。死ぬ、殺される――!


「腕の一本いっとくかぁー!」


 振り下ろされる斧。


「ああああぁぁぁっ!」


 慧太は叫んでいた。後退しようとして、しかしその手は反射的に斧を払いのけようとして――グシャリ、と妙な手ごたえがあった。


 次の瞬間、首が跳んでいた。


 ライツの。襲い掛かってきた盗賊の一人が。

 慧太の手には、小さな斧があった。その刃先には血がついていた。


 ――馬鹿だなぁ。


 声が聞こえた気がした。それは慧太だったのか、あるいは別の声だったのか。


 ――殺されそうになって、黙ってやられる奴がいるかよ。


 どくん、と心臓が波打つ。殺せ――その声に半ば乗っ取られるように、慧太は盗賊たちに襲い掛かった。

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