第12話 狂気の予兆

ルドルフとアデルの二人は、《冒険者組合》に行くと、クエストの仕事内容の確認も、早々にルクス大公国を去っていった。

道の往来を歩いていれば小言で嫌われ、休養を取る為の宿屋で喧嘩を吹っ掛けられる、あの国にいるよりは、魔物の狩りの方が彼らには余程気が楽だったのである。


「ところで依頼内容は、何かしら」

「マギアイト洞窟のバットと、あとはグリーン・ジェリーの討伐ですね。大した依頼じゃないですよ」

「《スライム》とコウモリ狩りねぇ……。貴方のような人が、わざわざやる仕事じゃないと思うけど」

「そうはいっても、ルクスの周辺は魔物も少ないですからね。それはそうと、最近やたらコウモリ退治の依頼が多いんですよ。何故かは分かりませんが」


仕事内容を確かめるだけの、取り留めのない会話ではあったが、ルドルフは時間が過ぎるのが早くなったように感じた。

それも無理はなかった。

ルドルフがハンナ、ダン以外とまともに話したのは、数か月ぶりだったのだ。

マギアイト洞窟までは、一直線の、整備された土の道路が延々続いていた。

道の両脇には、鬱蒼と茂った広大なオーク林が、広がっている。

細長い木々が隙間なく密集し、葉が空を覆い隠しているせいで、森は昼間でもお化けが出そうなほどに薄暗い。

実際、脇道に逸れて消息不明になった子どもは後を絶たないと、風の噂で何度も耳にしていた。

森は通称夜闇の森、《テネブラエの森》とも呼ばれ、土地勘のない人間や、《夜闇の森》出身の《月の民》以外には、この世の地獄のような環境だ。


「ねぇ、何故気が変わったのかしら。最初は嫌がっていたのに」


他人に何を言われても自分を曲げない、頑固な男にでも見られているのだろうか。

ルドルフは伏し目がちに、アデルの疑問に答えていく。


「僕には何故貴方が僕と旅をしたいのか、よくわかりません」


前置きをしつつ、ルドルフは一つ一つ丁寧に、編み物でもするみたいに言葉を紡いでいった。


「ですが、冒険したいという貴方の欲求を僕に止めることはできませんよ。幼馴染のアルヴィドやダグマルも、冒険することを選びましたから」


ルドルフも旅に出るまでに、散々忠告を受けた。

遭遇するであろう魔物の情報集めに、日々の鍛錬……。

やってきた準備は、数え切れない。

だが熟練者でも、未熟者でも、冒険に出ようという気概がなければ何も始まらないのだ。

その気持ちさえあれば、冒険者として合格だ。


「それにさっきの怪力を見せられたら 受け入れざるを得ませんしね。ハハハ……」

「そう、助かるわ。余計な詮索をしないのなら、ね。」


やはり、自分には教えたくないのか。

秘密主義なのは結構だが、人と人が物事を為すのに力を合わせるのだから、事情くらいは教えてほしいというのが、

ルドルフの正直な気持ちだった。

自分の考えが、あくまで理想論であるのは分かっている。

しかし、ルドルフはその理想を捨てたくなかったのだ。


「……僕には貴方に何があっても、責任を取れませんよ」


重ね重ね、ルドルフは口を酸っぱくした。

それは最終警告の意味もあった。

今なら引き返せる、間に合う。

人の生き死に関わらない、普通の生活に戻れると。


「ええ、重々承知しているわ。別に貴方にだけ責任を押し付ける気はないの。でも、一つだけ約束してちょうだい」


温和な表情から一変、真剣な面持ちで彼女は喋り掛ける。


「一つだけ……ですか」


ルドルフはアデルから視線を逸らし、如何にも興味がなく、如何にして聞いていなかったことにしようか、考えていた。

都合が悪ければ無視を決め込もうと、彼はそっぽを向く。


「もし絶対絶命の状況に陥っても、見捨てられても恨みっこなし。いいこと?」


彼女は悪戯っぽく微笑む。

ぴんと立たせた人差し指を、ルドルフの唇にくっ付けた。

自分は絶対に恨む立場にはならないとでも言いたげだ。

ルドルフはその台詞から、アデルの子どものように無邪気な残酷さを垣間見た。

冒険に出た時から、常に死は覚悟しているが、彼女の自信は、いったい何処から湧いてくるのだろう。

自覚しているのかもしれないが、彼女はとんでもない怪物だ。

銃火器のように、いつ暴発して自分に牙を剥くとも知れない危うさを、ルドルフは感じていた。

ただルドルフ自身も、彼女の考えも一定の理解は示せた。

自分より優先して、他人の命を救えというのは傲慢な考えだ。

信条は自分が貫けばいいだけで、決して押し付けるものではない。


「分かった? 英雄の御子息」

「構いません。でも、僕は助けると思います」


即座に二つ返事で、ルドルフは了承する。

あくまで彼女は、ドライな関係を望んでいたらしい。

信用ならないアデルに、首を突っ込みたくないルドルフにとっては、彼女の提案は好都合だった。


「あら、何かしら。これは」


アデルの視線の先には、雨が降った訳でもないのに、緑色の粘々した液体が道端に落ちている。


「ああ、《スライム》が横切った跡でしょう。踏むと転んじゃうかもしれませんから、避けて通った方がいいですよ」

「あら、お気遣いどうも。貴方のような紳士にエスコートしてもらえるなんて、淑女冥利に尽きるわね」


ルドルフが彼女にあれこれ説明していると、、いつの間にか空は赤と黒に彩られていた。

少し早いが、二人は協力しつつ、仮設テントを立てた。

まだ夕方で、歩けないことはないが、道を逸れてうっかり森に入れば迷うこと必至だ。

それにある程度余力を残しておかないと、魔物の巣である《ダンジョン》で生き残れない。


「何かあれば、お知らせしますから。先に休んで下さい」

「ありがとう、ルドルフ。見張りは任せたわよ」


彼女は感謝を述べると、ニコッと微笑する。

今までは裏があったり、作ったような表情に感じていたが、その時初めて、ルドルフはアデルの無心の笑顔を見た気がした。

こうして見ると、年相応のあどけない少女だ。

ちょっと考えすぎてしまうのは、職業病なのかもしれない。

ルドルフがアデルに見惚れていると、彼女はカタツムリのようにテントから顔を出し


「口に何か付いてるかしら?」


唇の端を触ると、人差し指を見遣った。

本当に不思議な魅力のある女の子だ。

達観しているかと思えば、見た目通り子どもっぽい部分もある。


「いえ、見張りはお互い様ですから。いちいち感謝しなくても……」

「礼儀は大切でしょう、そこから本当の信頼が生まれたりもするものよ」

「ええ、そうですね。形式だけでも良好な関係を築いていきましょう」


夜の間だけ、ルドルフは彼女の腹の内を探ることを止めた。

使い続けたタイヤが徐々に摩耗していくように、そんな生き方を二十四時間続けていたら、人もすぐ壊れてしまう。

手を抜ける所は、手を抜かねば、とても体が持たない。


「宿屋での件、感謝しているわ。まさか貴方が助けに入るなんて。薄情な人だって、勝手に思ってた」


テントの前で、胡坐をかいて座るルドルフに、アデルは囁いた。

薄情な男か……。

ルドルフのの認識も、今日一日接して覆された。

横柄で自己中心的、人を顎で使うような人かと思っていたけれど、彼女は想像するよりも、ずっと繊細なのかも知れない。


「僕は当たり前のことをしただけですから」

「その当たり前をこなせる人は少ないでしょ。自分には無関係なことは見て見ぬ振りだからね」

「身近にダンさんやハンナさんみたいな見本がいますから……。だから僕も、正しくありたいんです」


それほど悪い人ではないのだろうか。

アデルに対して、ルドルフの興味は尽きなかった。

自然に接した方が、彼女が何者か知る近道になりそうだ。

アデルへの態度を改めようとした、その時である。

ガサガサ、ガサガサと雑草を掻き分ける音が、鼓膜を刺激した。

動物だろうか。

それとも……。

よし、ここはカマをかけてみるか。

ルドルフはすうっと息を吸い込んで、風船みたいに頬を膨らませると、小型犬みたいに甲高い大声を出す


「何者だ! 出てこないなら、僕の方からいきますよ」


動物であれば、反応は返ってこない。

それに人だとしても、これに引っ掛かる白痴はいないだろう。


「バカ野郎が! 物音立ててんじゃねぇ、気付かれたじゃねぇか」

「でも標的はこいつら二人だけだろ、兄さん。そこまで警戒する必要があるのかい?」


ルドルフに勘づかれたことに気が付いた男は、周りの人間たちに叱咤する。


「女の方は怪力で、ハーフエルフの方は魔術を幾つも扱うらしいからな……。用心するに越したこたぁねえ」


暗闇で、顔こそはっきりと分からなかったが、ルドルフは男の声に聞き覚えがあった。


「貴方は……」

「俺の顔を忘れたとは言わせないぜ、食い扶持を奪ったルドルフくんよォ」


声の主はオーランド。

冒険者組合で、ルドルフに突っ掛かった、ガラの悪いチンピラだ。

昆虫の触角のように、頭頂部から二本毛の生えた特徴的な禿げ頭を、ルドルフは忘れもしなかった。

どうせ姿を現したのは、ろくでもない理由に決まっている。


「何か御用ですか、僕にはありませんけど」


ルドルフは義務的に、感情を見せずに訊ねた。

彼は、オーランドに心底興味がなかった。

如何にして追い払うか、それだけに頭を支配されていた。


「オイ、持っているモンを全部寄越しな。そうすりゃ、助けてやらなくもねェぜ!?」

「あいつ、ビビってるよ。兄貴ィ」


オーランドは、ルドルフを脅しにかかる。

下手に刺激すると、どんな卑劣な手を打ってくるか分からないが、隙を見せるのはもっといけない。

弱みを見せるのも、自分の力を誇示するのも、現状では得策ではないと考え、ルドルフは沈黙した。

ルドルフは実力こそ上だが、彼にも一冒険者として、公平に接したつもりだった。

冒険者としての矜恃が、多少は残っていると考えたからだ。

まさか盗賊にまで墜ちるとは。


「仰っている意味が、よく分かりませんが。何故貴方に、僕の稼いだ金銭を譲渡しなければならないのですか」


ルドルフは、まともに受け答えする気などとうに失せていた。

死んだ魚の濁った目で淡々と話し合うだけでも、服のほつれを直す裁縫のように神経をすり減らていた。


「ハッハッハ、とぼけやがって。お前の有り金は元々俺らが稼ぐ筈のモンだ。だから俺が奪い取る! 文句あるかぁ、小僧」


無茶苦茶な理屈をオーランドは展開する。

どうせ断っても断らなくても、実力行使で自分から有り金を奪うという結果は同じに決まっているのだから、早く終わらせてくれやしないだろうか。

ルドルフはあまりの退屈さに欠伸をしたが、瞼をしきりに開閉して、何とか眠気を堪える。


「出てこい、テメェら」


オーランドが叫ぶと、ぞろぞろと姿を現す。


「こいつら全員、職にあぶれた奴らだよ。つまりお前に恨み持ってるって事さ」


ボロ切れを羽織ったみすぼらしい身なりをした二十余名がぞろぞろ出てくると、険しい瞳でルドルフを見据えた。

そして腰のベルトに携えたナイフを取り出すと、一斉に身構えた。


「何だ、ビビってんのかい。城壁の外に法はねェ、生きて帰れると思わねぇ方がいいぜぇ。薄汚いエルフの血が混じった英雄の御子息様よぉ」

「謝罪したら許してやっても、いいんだぜェ。どうせお前らにゃ、俺たちには敵わないんだからなァ。」


数的優位に立っても、それが勝利に繋がるとは限らない。

人間やゴブリンたちの連合軍を一人残らず蹴散らした、、《太陽と月の代理戦争》の三英雄に人間は一人もいない。

基本的に種族の差というものは覆らない。

エルフに劣る《魔力》しか体内に蓄えられない人間が、ルドルフに挑むのは無謀に等しかった。


「勝負は始まってすらいませんよ、オーランドさん。負けて何も失わない内は好きなだけ粋がれますからね、どうぞご自由に」


口調こそ丁寧だが、彼は内心を抑え切れなかった。

無理矢理笑顔を保とうとすると、どうしても口が小刻みに震えてしまう。

エルフを侮辱するということは、ルドルフの母であるイングリッド、親友のアルヴィド、そして何かと親切にしてくれる彼の母親、エルサまで馬鹿にしていることに他ならない。


「ブチ殺されてェか、小僧」

「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」

「死ぬのはお前だろ。コイツ、頭がイカれたのかぁ?」

「城壁の外に法はない、確かにそうですけど……。それは僕を縛り付けるものも、何もないってことですよ。この意味が分かりますか、オーランドさん」


ルドルフは、無法者に情けを掛ける気はは最初からない。

弱肉強食を唱え、強者として振る舞うオーランドを、更なる力で屈服させる腹積もりだった。

やったら、同じようにやり返される。

自分が好き放題他人を加害しておいて、自分がやられる立場になった時、報復に文句を言うのは筋が通らない。

幼い子どもでも分かる、単純な理屈だった。

だがルドルフの返答が気にいらないのか、オーランドは餌を食う金魚のように、口を開いて、唖然とした表情を浮かべていた。


「ハァ、何が言いてぇんだ。テメェはよ」

「分かりやすく要約するとですね。人と人が協調して生活していく為に守るべき法や倫理も、理性の箍(たが)も、全部全部かなぐり捨てて、僕は貴方たちを抹殺する……。そういう意味です」


ルドルフは独り言のようにそういうと、、森でもオーランドでもなく、何があるわけでない虚空を眺める。

腹話術の人形が如く、まるで意識だけが体から解離(かいり)し、本能が彼に喋らせたかのように。

あまりに突飛な発言に、それまでテントに隠れていたアデルは、顔面を蒼白させて言葉を漏らした。


「ルドルフ……。貴方、本気なの?」

「貴方たちは父様、母様を侮辱した挙句、僕とアデルさん殺害を目論んでいる。生かしておく理由がないじゃないですか。此処が貴方たちの死に場所です。あぁ、死の追悼くらいはしてあげますよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る