書き出し置き場
真摯夜紳士
イモータルコック~不死身の料理人~(ジャンル:異世界転生+ファンタジー+飯テロ)
食の探求とは、常に危険と隣り合わせである。
獲物の捕獲に限らず、それを食す際にも気を回さなければならぬ。
たとえ慣れ親しんだ食であれ、調理法や食べ合わせにより毒となる。その逆も然り。
だからこそ何者かが試し、そして後世へと伝えなければ、より良く人は発展しない。
食とは人を良くし、生きる様である。
――「トーゴ・ムラァマサ 食のレシピ」より――著者ミミカ・フランベ
腐敗した森林。紫色の湿った大地には、所々に薄気味の悪い植物が生えている。木々が嘲笑うかのように並び立ち、耳障りに木の葉を揺らす。遥か遠くでは得体の知れない鳴き声が木霊していた。
ここには人が寄り付かない。故に文明など欠片も存在しない、未開の魔境。
常人ならば三日と持たず飢え死にするか、食物連鎖の下層へ追い込まれていることだろう。
しかし彼と彼女は違った。厳しい環境下でさえ、かれこれ半月以上も生きながらえている。
獣じみた嗅覚と、抗いようもない食欲が、その眼光に宿っていく。
淀んだ空を飛ぶ鳥に狙いを定め、男は小ぶりのナイフを投げつけた。悲痛な金切り声の後、それは彼の近くへと落ちていった。
「相変わらずの百発百中。お見事です、お師匠様っ」
場違いに目を輝かせた少女は、すっぽりと頭から土気色のローブを纏っている。その合間から覗かせるのは薄桃色の髪。瞳は大きく、少しばかり鼻先が丸い。眉も太めと見るからに活発そうな顔立ちだ。同じくローブを着た背の高い男の裾を摘み、喜々として喋りかけた。
「これで晩ご飯、確保ですね!」
しかし男は静かに首を振る。
「まだ食べれるか分かんないだろ」
若々しくも悟ったような声色で、男は少女の頭に手を置いた。苦労など窺い知れない、器用そうな細い指。けれど大きくも柔らかい、温かみを感じる手の平に、年頃の少女は頬を赤らめた。
「なら確かめてみましょうよ! ね、ほら早く!」
「お、おい引っ張るなよ」
そうして今さっき仕留めたばかりの獲物の前で、二人は腰を下ろした。男が足首を掴んで持ち上げる。
「……いかにも不味そうだな」
「うわぁ、ブサイクですね」
獲物は鳥の足に、頭と胴体が魚の――世間では魔物と呼称される、忌み嫌われた類だった。
首元に刺さったナイフを引き抜き、男は指先で一回転させる。銀色に鋭く研がれたナイフは、何でも切り裂いてしまいそうだ。
「とりあえず、さばいてみるか。ミミカ」
「はい、お師匠様。いつでも準備万端です」
鼻息荒く、ミミカと呼ばれた少女は背負ったバックパックから、ボロボロの厚い筆記帳を取り出した。それを見て男は頷くと、目の前の獲物に集中し始める。
「狩り番号289。そうだな、通称『フグ鳥』にしておこうか。体長は約50センツ。他の飛んでる奴らを見る限り、5から10センツほど個体差がありそうだ。頭が魚類で口がすぼんでおり、体の所々に黄色い斑点。下腹部に膨らみあり。二本足で鉤爪は三つずつ。おそらくは自立可能だ。翼が無く、代わりに長いヒレが付いている。飛ぶ時にはマナでも使ってるのかな。ん……平気か? ミミカ」
男の後ろでは、少女が素早く羽筆を動かしている。
「だ、大丈夫です。続き、お願いします」
「うん。鱗は薄いな。なめらかで手触りがいい。羽、というか体毛は足の付け根周りにだけ生えている。臀部に排出口を発見。この辺は食うのをよそう。外見は……まあ、こんなもんか。絵は書けそうかな?」
「小物ですからね、すぐです。もう憶えちゃいました」
「よぉし、それじゃあ」
言いかけたところで、ぐぅと獰猛な音がした。咄嗟にミミカは辺りを警戒して、しばらくした後、首を傾げる。
「お師匠様?」
「ミミカ……君は女の子なんだから、もうちょっと慎みを持った方が」
「私じゃありません! お師匠様でしょ、もぉ!」
「悪い。つい、な」
赤らめた顔をそっぽに向け、唇を尖らせるミミカ。そんな彼女を見て、ようやく男は引き締まった口元を緩めた。
「腹も減ったし解体しようか。鳥か魚だし、まずはモツ抜きだな。小皿と机」
既にテキパキとミミカは準備していた。折り畳んであった小さめな机を開くと、その上に丸い食器と木板を並べていく。
男は慣れた手付きでフグ鳥の腹部を開き、内臓器官を傷つけないように取り出す。それを小皿に載せると、手をかざした。
「水よ、きたれ」
男の体が薄く光ると、突如として空気中から水源が現れた。僅かばかりの水量が集まって、滝のようにチョロチョロと流れ出す。低級の水魔法だ。さほど魔力を消耗しない代わりに、その威力も抑えている。
「ついでに腹ん中も洗っちまおう」
そうして綺麗になった臓物と身を観察してみる。
「やっぱり基本は魚っぽいな。どういうわけか下半身だけ鳥みたいだ」
「……これも食べないんでしょうね、普通は」
「だな。俺達が一番乗りだ」
嬉しそうに話して、男は正確無比なナイフさばきでフグ鳥を三枚におろした。紙一重で身に骨が付かない技巧は、職人を思わせる。
すぅ、と白身を薄く削ぐ。半透明な切り身はナイフの上で光り輝いていた。
「身は美しいですね」
「ああ、ここに醤油でもあればな……」
「ショーユ? それ何ですか、お師匠様」
「調味料だよ。いつか絶対に作る。味は、その時までお預けな。こういう生で食う刺し身には、抜群に合うんだ」
「とっても気になります! 早く作りましょうよ!」
「まぁまぁ、その為の食材探しだろ。気長に行こう。ということで……いただきます」
悔しそうなミミカを他所にして、男は上を向いた。その拍子に、はらりとフードが取れる。短めな黒髪、半目の瞳はダークブラウン。白めな肌に、少し整った顔立ちは十代後半の青年そのもの。大きく開いた口の中へと、フグ鳥の切り身が滑り落ちる。
目を閉じ、むぐむぐと咀嚼する男。少女は空腹からか釘付けになっていた。
「ど、どうですか?」
「……うん、うん。非常に噛みごたえがあって、味も悪くない。思ったより生臭さは感じないな。鶏肉のような、それでいて魚肉のような食感で。喉越しも最高だ」
「それじゃあ!?」
「こいつは、いけるかもしれないぞ。久しぶりの飯だな」
「ぃやったー!! ごはん、ごはんっ」
幼子のように両手を上げたミミカを見て、男は呆れ交じりに笑みをこぼした。
しかし次の瞬間、一息で表情が硬くなる。
「待った。おかしい」
よからぬ直観、潜り抜けてきた様々な経験が、男に警報を鳴らせる。ミミカは騒ぐのを止め、「え?」と後ずさりした。
「ちょっ、段々、舌先が痺れてきたぞ……暑い? いや熱い! 胃が焼ける! お、おぉ、体も震え、始めたぞ」
言葉通りに、男は小刻みに震え出し、ついには膝をついてしまった。正座のような姿勢で仰向けに倒れると、今度は自分の意志とは関係なく、肘や手首といった骨節のあちこちが上空へ飛び跳ねていく。
さながら、ブレイクダンスでも踊るかのように。
「助け、と、められ、ないっ」
「うわ、うわぁ! お師匠様、お師匠様!!」
ぐるぐると視界が定まらないまま、男は思う。
そういや……あっちの世界でも、俺はフグにやられたんだっけ。学習しないな、ほんと。いくら腕っぷしが強くなったって、これじゃ師匠の面目丸潰れだな。バカは死んでも治らないってか。
ぼんやりと目の前が霞んでいく。最期の力を振り絞って、男は声に出した。
「ミ、ミミカ。あとは、頼む――ひゅるん」
とうとう白目になって、彼は動かなくなった。ミミカは怯えながらも近づいていき、オブジェのような格好をした男の胸に、そっと手を当てる。
次第に弱まっていく鼓動。熱が奪われていく体。それに目を背けるようにして、ミミカは天へと叫んだ。
「あ、あぁ……どうしよう……また、お師匠様が死んじゃった!」
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