第15話 第一皇子・一虎
「頼む協力してくれ月天丸! 俺だけじゃあの阿呆兄貴どもの長所なんて見つけようがない!」
兄弟一丸して皇帝に直訴に走ったのはもはや昔話。謁見室を去る頃には誰も言葉を交わすことなく、敵対意識を明確にして自身の『庭』に帰っていった。
『庭』とは正式な皇子に割り当てられる宮廷内の区画である。俺の場合は『第四庭』が持ち分であり、この中に自身の暮らす離れ屋敷や、個人用の道場などを設けている。
今はその離れ屋敷の居間で、月天丸に土下座をしているところだ。
月天丸の仮居室として、この第四庭の客舎を提供していたのが幸いだった。『庭』に連れ帰るという名目で、無事に月天丸を引き込むことに成功した。
「待て。私は貴様らの誰にも協力するつもりはないぞ」
「そう言うなよ。協力してくれたら、客舎の周りに仕掛けてる脱走防止の呼び鈴を外してやるから」
「私が逃げるたびにすぐ察知してくるのはそのせいか……」
月天丸が逃げ出すと、俺たち四兄弟の枕元に設置した鈴が警報として鳴るようになっている。そのたびに出動して確保に勤しんでいるというわけだ。
月天丸は長いため息を吐いたが、やがて諦めたように俺へと向きなおる。
「協力してやれば、本当に私の脱走を見逃すのだな?」
「皇帝候補から完全に外れられても困るから、定期的に顔見せはしてもらうけどな。それ以外のときは城下で好きにやればいいし、まともな宿で寝たくなったら客舎はいつでも空けておく」
「まあ……その条件なら協力してやらんでもない。だから土下座はやめろ、気色悪い」
本当か、と俺は目を剥く。
あの兄たちの長所を見つけ出すなど、難攻不落の城塞に一片の綻びを見つけ出すような業であるというのに。
俺が立ち上がると月天丸は緊張を解いたように卓の椅子に着き、淹れたばかりの茶を啜った。ふうと湯気混じりの息を吐いて、
「たとえば、そうだな。やるときは意外と根性があるというのは評価できるかもしれん」
「なるほど。やるときはやる――か。誰のことだ?」
「ん、お前のことだが」
椀を傾けながら月天丸はこちらを小指で示す。
数秒の沈黙ののち、俺は微笑を浮かべながら首を振って応じる。
「あのな月天丸。俺の長所なんていくらでもあるんだから、そんなものを見つけたって何の自慢にもならんぞ。道端に転がる石を見つけて宝石と騒ぐようなものだ。冗談はよせ」
「今のところこの一点以外には何も見つかっておらんがな」
月天丸の冗談はさておき、本格的な検討に移る。俺は白紙の巻紙を物置から引っ張り出し、墨筆の準備を整える。
挨拶代わりの冗談を済ませたところで、しっかり他の兄弟の分析に移りたい。
「まずは虎兄だ。あいつのいいところは?」
「強そうだ」
「確かにそれはいえる。二朱姉は?」
「強そうだ」
「もっともだ。龍兄は?」
「強そうだ」
強そう、と巻紙に三連続で書いたところで俺は墨筆を窓の外に放り投げた。
「全員横並びじゃ何の意味もないんだ! 何かもっと……こう! そいつならではの長所を挙げてくれ!」
「ええい! そんなもの弟の貴様が一番よく知っているはずだろう! なんでここ数日しか見ておらん私にそんなものが見抜けると思うのだ!?」
「だってほら。お前は末の妹だから可愛がってもらってるっぽいし」
「貴様らの生贄として弄ばれた覚えしかないわ」
それは困る。月天丸の義賊としての慧眼に期待していたのだが、やはりあの兄姉たちに長所を見出すのは並みの眼力では難しいらしい。
「となると、やっぱり直接敵情視察をするしかないな……」
「あ、それなら私はもう用済みだな。城下に出ていくから、さらば――」
出て行こうとした月天丸の襟首をむんずと掴む。
「客観的視点も必要だ。『強そう』三連発だけで脱走を認めてやるのは安すぎる」
「安いも何も、貴様らが私をここに拘留していることに一切の正当性はないからな。その辺をよく覚えておけよ貴様。いつか寝首を掻いてやる」
そのままぶらりと猫のように月天丸を下げ、俺は一虎(イーフ)の住む『第一庭』へと足を向ける。
『庭』同士の間には木製の柵が張られており、これを無許可で越えることは皇子同士の間でも許されざる非礼とされる。
まあ、知ったことではないが。
跳躍一つで柵を乗り越え、軽々と第一庭に侵入する。俺の庭と違うのは、とにかく殺風景なことである。第四庭は樹なり池なりがそれなりに整備されているが、こちらはゴツゴツとした岩が転がっているばかりだ。
たまに樹があるかと思えば、幹を砕かれて折れていたりする。
「なんでこの庭の樹はやたらと折れているのだ……?」
「一虎は訓練でよく樹を叩き折るからな。おかげでこの庭はほとんど緑がない」
元が風情にも疎い男である。
住まいである屋敷も造りは上等だが華やかさはまるでなく、道場をそのまま家にしたかのような印象を受ける。
「よし月天丸。あの中に一虎がいるだろうから覗いてきてくれ」
「断る。もし例のごとく全裸だったらどうするつもりだ」
「心配するな。一虎もさすがに自宅では脱がない。軽率に脱ぐのは人前でだけだ」
「逆にさせろ」
頑として月天丸が単身での覗きを拒んだので、しょうがなく二人揃って屋敷に接近する。気配の消し方についてはさすがに月天丸も一流だった。普通なら一虎に勘付かれただろうが、その心配はまるで感じさせない。
身を伏せながら屋敷の窓の傍まで迫り、内部の音に耳を澄ませると――
「……イビキが聞こえるな」
月天丸がなんともいえない表情を浮かべた。こちらが必死になって長所探しをしている間に、まさか敵が戦いを放棄していようとは。
壁伝いにイビキのよく聞こえる方に移動していくと、やがて寝所の窓に辿り着いた。覗き込めば、首まで布団にくるまって熟睡している一虎の姿があった。
「神経が図太い……という長所になるのではないか。これは」
「いいや、単に馬鹿なだけだ」
俺は断言する。おそらく探しても他の兄弟の長所など見つからぬと踏んで、早々に昼寝を決め込んだのだ。
「どうするのだ? 長所を探ろうにも、本人が動かなければ良いところなぞ見つけようもないぞ。家探しでもするつもりか?」
「いや、きっと探したらもっと短所に繋がるものが出てくる可能性が大きい。それよりはこの無防備な状況を活かして、無理矢理にでも一虎の長所を作ってしまおう」
「作る?」
ああ、と俺は頷いた。
「一虎は見てのとおり強面だ。愛嬌とは無縁の硬派な存在――そう見えるだろう。たとえば、そんな強面の男に動物を愛でる趣味があったらどうだ? これは意外性があって好印象を与えるんじゃないか? 統治者としては強さだけじゃなく優しさも必要だからな」
「いやまあ、それは一理あるかもしれんが……無理があるだろう。この庭には犬も猫もおらんかったぞ?」
「連れてくればいい。奴が寝ているこの隙に、その辺で野犬を捕まえて窓から放り込む。寝込みを飢えた犬に襲われれば奴も狼狽えるはず。その隙に使用人でも呼んで来て『じゃれている』ところを目撃させればいい。これで既成事実の完せ――」
げしっ、と。
尻を蹴られたと分かった次の瞬間には、俺は窓枠を頭から突き破って寝所の中に落下していた。
「ああすまん。発想が酷すぎて貴様を犬畜生と間違えてしまった」
「裏切ったな月天丸!」
そう叫ぶ俺だったが、背後でゆらりと立ち上がる不穏な気配を察した。
気配を断つことも忘れ、不用意に騒ぎまくってしまった今の俺たちの態度は、もはや一虎の警戒心を掻い潜れるものではなかった。
「なるほど、敵情視察ってわけか。オレも舐められたもんだな。礼儀のなってねえ馬鹿な弟には、いっちょ躾をしてやらなきゃな……」
振り向けば、既に大太刀を肩に担いで悪辣な笑みを浮かべている一虎がいた。鎖帷子まで身に纏っている。どうやら眠るときは夜襲に備えているらしい。
月天丸は危機を察知してか既に窓から消えてトンズラしている。我らが妹ながら、大した卑怯さである。
「――オラぁ! 死なない程度に死にやがれぇっ!!」
躊躇なく斬りかかってくる一虎。
素手の弟を相手にするのに武器と防具の完全武装。これはどう贔屓目に見ても人間の屑だ。褒められる要素が一つもない。
敵前逃亡の恥を承知で窓から脱出しながら、俺は長兄の不甲斐なさを憂いた。
ただ一つだけ、辛うじて確信できた彼の長所といえば――就寝中は意外としっかり着込んでいるということだけだった。
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