第9話 大いなる茶番


 穴倉の中に伏兵はいなかった。

 だが、百の雑兵よりも警戒すべき強者の気配が濃密に漂っている。


 拳を鳴らしていた一虎も、今は最大の警戒として背に下げた棍を肩越しに握っている。三龍もまた己が獲物である柳葉刀を抜き放っており、俺は腰の剣をいつでも鞘から出せる構えだ。


「こりゃあ、かなり強えな」

「子供を攫うような小物のわりに、なかなかどうして大した気迫ですね」


 だが数の上ではこちらに分がある。頭巾の男がいかなる凄腕でも、所詮は一人。俺たち三兄弟の猛攻に耐えられるはずがない。


 ――はずだった。


「よく来たな……宮廷の手の者どもか」

「だが、我らとて西の同朋のため引くわけにはいかん。貴様らにはここで果ててもらう」


 坑道の往く手を塞いで仁王立ちしていたのは、黄と緑の頭巾を被った二人組だった。

 蛮族の装束を身に纏い、短槍を頭上に振り回している。


「我ら人呼んで風神と雷神」

「さあ、ここを通りたくば我らを倒していけ。もっとも、我らを倒せたところで我らの首領は絶対に倒せんだろうがな!」


 上等だ、一分以内に切り捨ててやる。

 そう思って剣を抜こうとしたときには、一虎と三龍がもう飛び掛かっていた。


 蝋燭の火だけが揺れる薄暗い穴倉に、白刃の光が鋭く散る。

 一虎の棍は緑巾の男(風神)に、三龍の刃は黄巾の男(雷神)によって受け止められていた。


 ――強い。


 この二人の攻撃を難なく受け止めるとは、まさしく超人といって過言でない。そんなことができたのは、皇帝や俺たち兄弟を除けば、宮中の指南役や将軍くらいだ。早く加勢せねば、


「先に行け四玄!」


 援護に加わろうとするや、一虎が叫んだ。次いで三龍も同じ言を吐く。


「ええ、こいつらはかなりの腕ですが、簡単にやられる僕らではありません。今は一刻が惜しい。あなただけでも先に行ってください」

「させると思うか!?」


 殺気を放ちながらそう叫んだ風神・雷神は、しかし二人の兄の渾身の一振りによって守勢に回らせられる。


「感謝する、兄上!」


 その隙に俺は風神雷神の間をすり抜ける。待てという声が聞こえたが、当然ながら待つ馬鹿はいない。


 しかし、ほんの少しだけ違和感が湧いた。


 あの風神雷神とやら。確かに紛れもない強者ではあったが、人攫いの蛮族にしては、やたらと場違いな愉快さが漂っていたような――


 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。

 月天丸を救うためにも、先を急がねばならないのだから。


――――――――――――――――……


「よく来たな」


 辿り着いた坑道の最深部で、赤い頭巾の男は待ち受けていた。

 筋骨隆々の偉丈夫。それなりに体格のいい俺ですら、仰ぎ見ることしかできない大男。赤い頭巾の男は、風格だけでも超一流の戦士だということが確実に見て取れた。


「月天丸はどこだ」

「心配するな、客人として丁重にもてなしてある」


 と、よく見て気付いた。

 赤い頭巾の男の背後に、縄でぐるぐる巻きにされて猿轡を噛まされた月天丸が地面に転がっている。視線はこの上なく恨めしげに頭巾の男を睨んでいる。


「どこが丁重だ! 身動きもできず猿轡なんて……とても客人にする扱いじゃないだろ!」

「むー!」


 なぜか月天丸の抗議はこちらに向いた。きっと喋っていないで早く助けろという意味だろう。


「御託はいい。その者を救いたいのなら、この俺を倒してみろ」

「言われなくても! 死んでも怨むなよ!」


 鞘を払った俺は大男の懐に飛び込む。油断でもしているのか、まだ奴は武器すら握っていない。一太刀すれば防ぎようもなく倒せる。


「――素手の相手ならば楽に倒せると思ったか?」


 だが。

 俺の剣は、頭巾の男によって素手で受け止められていた。しかも白刃取りなどという小細工ではない。無造作に刃を手で受け止め、それでいて血の一滴すら垂らしていないのだ。


「せいっ!」


 そして剣の刃を掴んで振り回し、俺ごと岩壁に向けて投げ飛ばす。岩盤が砕けるほどの勢いで叩きつけられた俺は、口から血混じりの痰を吐き散らした。


「たわけが……。武器など所詮は飾りよ。真の強さとは己が肉体にのみ宿るもの」


 頭巾の男が上半身の服を放り投げて半裸になった。無数の傷跡に磨かれたその肉体は、槌によって叩かれることで完成した一本の刀剣のような威風を放っていた。


 頭巾の男が上腕の筋肉を見せつけて俺に叫ぶ。


「さあ来い四玄! お前に武の極みを見せつけてくれよう!」

「抜かせこの人攫いがぁっ!」


 歯を食いしばった俺は、渾身の力を込めて跳躍し、頭巾の男の頭上から剣を振り下ろす。


「ほう! さっきよりもいい気迫だ! だが甘ぁい!」


 だが、頭巾の男はその斬撃すら両腕を交差させただけで容易く受け止めてしまう。皮膚が鋼鉄でできているとしか思えない硬さだ。

 男は腕を振り上げて俺の剣を払い、風を唸らせて正拳を放ってきた。


 ――当たったら死ぬ。


 直感した俺は弾き飛ばされた剣を強引に手元に引き戻し、刃を盾として眼前に構えた。


 そして刃は、拳によって土くれのごとく砕かれた。


「ぐはあっ!」


 咄嗟に剣を捨てて両腕で拳を防いだが、それでも衝撃は殺しきれない。またしても岩壁に叩きつけられ、全身が軋んで視界が赤く染まりかける。


「どうした……? もう終わりか? つまらんな。それでも万敵無双を誇る現皇帝の息子か?」

「くそ……」

「だが、嫡子自ら来てくれるとは助かったぞ。正直、身分も不確かな自称の第五皇子では人質になるか分からなかったからな。ここで貴様を捕らえ、改めて宮廷に脅迫状を出すとしよう――もうあの月天丸とやらは用済みだな」


 ふいに頭巾の男が俺に背を向けた。歩む先は、縛られて身動きの取れぬ月天丸である。


「……待て。そいつを、どうするつもりだ」

「不要になった人質など、処分する以外に何がある」


 聞いた瞬間、身体のすべての痛みを無視して男の背中に飛び掛かった。その顔を狙って拳を繰り出すが、あえなく片手で止められる。だが――


「ほう、まだ押し込んでくるか」

「ふざけんな……そいつを誰だと思ってる。次の皇帝になる女だぞ……?」

「馬鹿をいえ。このような偽皇子にそんな資格があるか。宮廷も無視をするつもりだったのだろう?」

「だとしても!」


 拳に気を取られた男の横腹に回し蹴りを差し込む。岩でも蹴ったような硬さが骨身に沁みるが、相手にとってもさすがに多少は効いたらしい。


「俺たち兄弟で決めたことだ……! そいつはもう俺たちにとって大事な生贄……妹だ!」

「待て、汚い本音が見えたぞ?」

「むー!」


 頭巾の男と月天丸が反論の言葉を挟んでくるが関係ない。


「そいつに手ぇ出すってんなら誰であろうとぶっ潰す!」


 それが嘘でも兄になると決めた者の覚悟だ。

 地を蹴って男との距離を縮める。腹筋に肘鉄を当てるが、逆にこちらの腕が痺れる。その隙に相手が両手を組んで、鉄槌のごとく俺の頭に打ち付けてくる。


 痛むし視界も眩むが、関係ない。おかげで懐に密着できた。


 拳撃とは腕で放つものではない。震脚によって地面から吸い上げた力を拳に伝えるものだ。

 ゆえに最も力を発揮できるのは、足と対角にある頭上への拳撃。今はその位置に、相手の顎がある。脳への打撃を最も浸透させられる急所だ。


「喰らえこの化物が!」


 直撃。

 常人なら頭蓋ごと砕き割ったであろう衝撃が炸裂し、男の被っていた頭巾が弾け飛ぶ。まともに脳を揺らされた大男は、ぐらりと足をふらつかせ、その場に――倒れない。


「ふふ……なかなかいい一撃だったぞ。だが、私を倒すにはまだまだだな」

「なら、何度でも今ぐらいの一撃をぶち込んでやる。そっちが倒れるまでな」


 それまではたとえ死のうが蘇ってやる。そう自分を奮い立たせて拳を握り直していると、


「その辺にしとけよ親父。それ以上やったら、四玄が死んじまうぞ」


 決戦の場だった地下の空洞に踏み入ってくる者がいた。影は五つ。

 一虎と三龍、それに入口で見張っていたはずの二朱。さらには肩を並べて、風神・雷神の賊二名までいた。


「お、親父……?」


 しかしそれよりも大事なのは、一虎が放った一言だった。俺は目を擦り、薄暗がりに浮かぶ赤い頭巾の大男の顔を見る。

 今しがた弾け飛んだばかりの頭巾の下にあった素顔は――



 父。皇帝だった。

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