第3話 高度すぎる頭脳戦


 鈴を鳴らし切った三龍サウランは血溜まりに溺れるように顔を浸した。なんたる卑怯者。仮にも皇子とあろうものが。


 どうする? 制裁としてこのまま後頭部を押さえ窒息させて殺すか?


 いいや、いくら卑劣な兄でも殺してしまっては元も子もない。この皇位を巡る押し付け合いの争いから、あの世へと一抜けされてしまう。人柱の候補をここで失うわけにはいかない。


「いい度胸じゃねえか三龍! そこまで病弱になりてえなら、今この場でオレがあの世に送ってやらあ!」


 しかし長兄の一虎イーフは相変わらず思慮が足りなかった。頭上まで振り上げた踵を、断頭台の刃のごとく三龍の首へと落とそうとする。


 そこで三龍は寝返りを一つ。

 床を砕き割る踵を紙一重で避ける。

 次いで二度三度と振り下ろされる踵はすべて寝返りの元にかわされ、ただ血糊の飛沫と破片が通路にまき散らされていく。


 俺は焦って一虎を羽交い絞めにし、


「落ち着いてくれ兄上。龍兄も貴重な皇帝候補だ。もし殺してしまったら俺たちの首を絞めることになる」

「離せ四玄。オレはこの卑劣漢が許せねえ。細っ首をへし折ってやる」


 しかし、血だまりに沈む三龍は余裕綽々の目でこちらを見た。


「ふふ……無駄なことを。こと逃げと回避において僕の右に出る者はいません。さあ、ここまで騒げばもう確実に人が来るはず。僕以外の三人で争って皇位を決めるといいでしょう……」


 と、そこで俺と一虎は目を見合わせた。

 三龍の鳴らした鈴だけでなく、床を砕く大音も宮中に喧しく響き渡ったはずだが、誰も駆けつけてくる者がいなかったのだ。


 その理由は、いつの間にか俺たちの背後に忍び寄っていた。


「あんたたち、いつまで阿保を晒しているつもり? それとも、阿呆っぷりを見せつけることで皇帝の座から降りようって肚?」


 気怠そうに己を扇で煽ぎながら立っていたのは、姉の二朱リャウシャだった。

 長身痩躯にして容姿は端麗。常に纏っている錦衣は太腿まで切れ目の入った煽情的な代物で、もし花街にでもいればたちまちに大尽から身請けが殺到したであろうほどの色気を放っている。


 ただ、その見た目に騙されてはいけない。彼女もまた皇帝から強さを認められた継承候補者の一人だ。とりわけ彼女は、妙な特技すら持っている。


「そうやって無様晒してても無駄よ三龍。このあたりの人払いはもう済ませてあるから」

「……読まれていたのですか」

「はン。あたしの卜占を舐めるなってのよ。あんたらの底の浅い計略なんか手に取るように透けて見えるのよ」


 彼女は『妖術を使える』と自称するのだ。

 種類は多岐に渡るが、最も得意としているのは未来予知じみた卜占だ。その精度たるや、ほぼ百発百中といってよい。


 ただし俺は、この占いとやらは超常的な能力ではなく、あくまで彼女が得た情報からの推測的判断ではないか――と疑っている。


「さ、早く道場に行くよ。あたしは『負け』って見えてるから気楽なもんさ」

「待ってくれ姉上。勝つのは誰の見込みで?」


 扇を畳んですたすたと道場の方に歩み去っていく二朱を俺は呼び止める。彼女は特に立ち止まることもなく、


「さあ? あたしじゃなけりゃ誰でもいいから占ってないよ。あんただったらご愁傷さまだね四玄」


 可能性を示唆されて焦りそうになるが、必死で自分を落ち着ける。これも二朱のお得意の心理戦かもしれない。占いというよりも、むしろこうやって布石を敷いて自分の望む未来に近づけるのだ。


 だから可能性は三分の一になってわけではない。依然として四分の一だ。惑わされるな。


 一向に目撃者が来ないことに諦めたらし三龍も血糊まみれのまま立ち上がり、気乗りしない様子でトボトボと道場に向かっていく。一虎は逃亡しないようにその背を見張っている。


「負けるのは――俺だ」


 先を行く兄姉たちの姿を睨みながら、俺は拳を固く握った。



――――――――――――――――――――――――……


「武器なんていらねえ! オレは素手で十分だぜ!」

「無理ですお父様。兄弟たちと争うなんてあたしにはできませんわ……」

「こんなときに持病の発作が……!」


 そして決闘開始一秒後の状況がこれである。


 ちなみにこれらの台詞が乱れ飛ぶ間、俺も当初の予定どおり白目を剥きながら道場の床に倒れ込んでいる。


 決闘の規則はこうだ。

 各自に渡された木刀を真剣と見立て、急所に木刀での一太刀を浴びれば負け。つまり木刀以外の攻撃は無効ということで、素手ではいくら攻撃を与えても勝利条件は満たせない。


 つまり一虎は木刀を投げ捨てた時点で自ら分かりやすく勝利を放棄したということだ。後の二人は陳腐な演技で戦意喪失を装っている。


「……お前らという者は」


 その様子を道場の脇から見ていた皇帝がうんざりと眉間にしわを寄せた。演武を観覧するための貴賓席が上段に用意されているのだが、そこに座っていないのはより間近で太刀筋を見るためだったのだろう。

 すべて無駄に終わったが。


「一虎、武器を拾え。二朱、お前はそんな甘い人間ではあるまい。三龍、仮病はよせ。四玄、斬られていないのは見えているぞ。全員今すぐに試合を再開しろ」


 そうは言われて全員が渋々と木刀を握るも、まるで覇気はなかった。自ら仕掛けるつもりはさらさらなく、隙を丸出しにして打ち込みを待つだけ――待て。


 木刀で急所に一太刀を浴びれば失格なのだ。ならば、こちらから急所を相手の木刀にぶつけてしまえば一抜けできるのでは?


 俺がそう思い至った瞬間には、もう一虎が動き始めていた。俺が力なく構えていた木刀に向かって、頭を向けてイノシシのごとく突撃してきたのだ。


「はっはぁ! いくぜぇっ!」


 そう叫びながら俺の木刀へ頭突きを狙ってくる。突進のすさまじさたるや。既にこちらの木刀に鼻先が触れかけんとしている。


「させるか!」


 俺は間一髪のところで木刀を背後に引き戻し、一虎の突進をいなす。


「この野郎、無駄な抵抗しねえでとっととオレを斬りやがれ……!」

「あら。真っ先に斬られるべきは非力な女性のあたしじゃなくて?」


 と、突進で前傾姿勢になっていた一虎を痛烈な足払いが襲った。仕掛けたのは二朱である。


「てめえ!」


 一虎の身が勢い余って宙に浮きあがる。地に足が付かなければふんばりも回避もできない。

 その隙に二朱は一虎の握る木刀に自らの頭をぶつけようとし――


「姉上。その場所は危のうございます」


 くるり、と。

 二朱の手を引いて身体の位置をそっくり入れ替える者があった。漁夫の利を狙っていた三龍だ。


「ちょっとあんた! 何すんのよ!」

「敬愛する姉上をかばって散れるなら本望にございます」


 白々しい言い訳をしながら三龍は喜々として木刀の軌道に入って行くが、


「オラぁ!」


 一虎はなんと、驚異的な握力で木刀の柄をへし折り曲げた。三龍の額に直撃するかと思われた木刀は根元から捻じ曲がり、前髪の先を掠めるだけに終わる。


 一連の攻防が終わったことを察し、全員が一瞬で散る。

 達人同士の攻防。もしこの中に常人が混じっていたならば、なすすべもなく勝者に仕立て上げられていただろう。


 睨み合いの硬直状態が続く。

 回避できたとはいえ、さきほど一虎は敗北寸前になった。先手を打って飛び込むのは不利と誰もが悟っている。この状況を打破するためには――


「聞いてくれ皆! 俺はもう覚悟を決めた!」


 そう言って俺は木刀をまっすぐに構えた。隙の無い完璧な姿勢で。


「兄上、姉上。俺は本気であんたたちを倒しにいく。かかってこい」


 事実、このとき俺は本気で彼らを倒すつもりになっていた。ゆえに、そこから放たれる闘気に嘘はない。

 武人として兄弟の中でも卓越した嗅覚を持つ一虎は、その気配を察知してすぐに飛び込んできた。


「ついに覚悟を決めたか四玄! 立派になってくれてオレは嬉しいぜ! お前こそ皇帝にふさわしい!」

「ええ兄さん。俺は全力で――」


 突っ込んで来る長兄の鼻先に木刀を向ける。しかし木刀よりも先に前に迎撃を仕掛けたのは、俺の足裏だ。完全にわざと当たるつもりだった一虎は回避もできず、


 その顔面に跳び蹴りが直撃。


 武器でなければ有効打ではない。ならば徒手格闘でぶちのめしてから相手の木刀に触れればいいだけの話である。二朱が先ほど仕掛けた足払いがその発想を与えてくれた。


「かっ……!」


 ばたりと一虎が昏倒して木刀を床に取り落とす。

すかさず俺と二朱と三龍が集い、樹液に群がる昆虫のように頭を木刀にコツコツと触れる。


「見ましたか陛下! 勝者は一虎殿です!」


 喜々として振り向いた俺に、皇帝が穏やかな笑みと拍手を送る。


「ああ、とくと見させてもらったよ四玄。確かに規則上は一虎の勝利だな」

「では!」

「しかし勝負というのは複雑怪奇なものだ。試合に勝って勝負に負けるということもあれば、その逆も然り。此度の一虎は勝者でこそあれ、勝負としてはどう足掻いても敗者だった。思慮が足りぬゆえか」

「ですが、勝ちは勝ちです」


 いいや、と皇帝は首を振った。

 よく見れば、いつしか道場には重臣や衛士たちがぞろぞろと集まってきている。まるで何かの儀式でも行うかのように。


「もとより此度の勝負、規則上の勝ち負けは見ておらん。お前たちが敗北を狙おうとするのは目に見えていたからな。余は、『目的を達成するために最も優れた動きができる者は誰か』を見極めようとしていたのだ」


 嫌な空気が流れ始める。二朱と三龍が忌まわしいものから逃れるかのように俺から距離を置き始める。


「悩んだのは、お前と二朱のどちらを真の勝者とすべきかだった。二朱は先に足払いを仕掛けるところを見せて、『素手で闘う』という発想をお前に植え付けたからな。だが……」

「深読みが過ぎますわお父様。あたしにはそんな魂胆はありません。兄様を倒そうとただ必死に足払いをしただけです」

「このとおり、証拠がない」


 しかし、姉のこめかみに少しだけ冷や汗が浮いていたのを俺は見逃さなかった。なんたる不覚。まんまと乗せられたというわけか。


「ともかく最終的に勝負を決めたのはお前だ。故に、余の次の皇帝は四玄。お前に任ずることとする。ここにいる臣下たちが後継指名の証人だ」


 皇帝がそういうと、臣下たちが俺に向けて一斉に拍手を打ち鳴らし始めた。同時に強烈な眩暈が俺を襲った。拍手のフリをした特殊な音響攻撃を疑ったほどだ。


 俺が皇帝。

 皇子としての気ままな生活は終わり、これから政務と軍務の激務に追われ続け……



「明日からは後継者としての英才教育を施す。これから毎日、朝の四時にはこの道場にまた来るがよい。余自らが生きるか死ぬかの猛稽古を付けてやろう」



 しかし翌日、俺が道場に向かうことはなかった。

 なぜならこの日の夜、俺は宮廷からの家出を決行したからである。

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