トークフレンド

@araki

第1話

「この社会のごみが!」

 怒気をはらんだ男の声。直後、小石が僕に向かって投げつけられた。夜中、みすぼらしい姿で路上に座り込む人間がさぞ目障りだったのだろう。そんな他人事のような感想を抱きながら、男の背中を見送った。

 今の僕はいわゆる浮浪者だ。以前はある程度の財を持っていたけれど、何だか馬鹿馬鹿しくなって全て捨ててしまった。文字通りの無一文。僕はこのまま生を終えるつもりでいる。

 身をやつして以来、僕は人を大きく二つのタイプに分けて見ている。

 一つは僕を自身とは別の存在と考える人間。彼らにとって僕は宇宙人だ。憐れみ、蔑み、奇異の視線。そういった類を安全圏から一歩も出ずに放ってくる。

 この手の人間は存外楽だ。こちらがじっと耐えていれば、いずれ興味をなくして去っていく。僕がすべきことは何もなく、目を伏せて、ただ嵐が過ぎ去るのを待っていればいい。

 問題はそれに当てはまらない人間だ。そして現在、その類の人間に僕は頭を悩ませている。

「やっと、見つけた」

 不意に声が耳に届く。聞きなれてしまった声。視線を上げれば、紙袋を手に持った少女が僕の前に立っていた。

 小綺麗な身なりをした、10代くらいの少女。言うまでもなく、今の僕では釣り合いのとれない人間だった。

「変に動き回らないでよ全く……ほら、どいてどいて」

 彼女は僕を押し退けるように隣へ座り、

「はいこれ」

 手に持っていた紙袋を僕に無理矢理押し付けた。

「………」

 とりあえず中を開く。そこにはジャンクフードのセットがこれでもかと詰め込まれていた。

「ドリンクは底に入れてるから。溢さないようにね」

「……前々からいらないと言ってるじゃないか。それに僕は脂っこいものは好きじゃない」

「何も入れないよりはましでしょ? 文句言わずに食べて」

 彼女はもう一つ紙袋からハンバーガーを取り出すと、そのまま豪快にかぶり付く。羨ましいくらい幸せそうな顔だ。今の僕はそれと正反対の顔をしていることだろう。

「お願いだから僕に構わないでくれ。この会話はお互いにとってマイナスだと、いつも言ってるだろう」

「いつも思うけど、どうして?」

「まず親御さんが心配する」

「別に気にしたりなんかしないわよ。あの人たちが心配するのは名誉とお金。それさえあれば幸せな豚さんだもの」

 中々に辛辣な意見だ。どうやら彼女の家庭は冷えきっているらしい。

 そうしているうちに少女はハンバーガーを食べ終わり、今度は袋からポテトを取り出している。まだここに居続けるつもりのようだ。

「僕は言葉を交わす価値のない人間だ。こんな奴と話をしてると周りに誤解されるぞ」

「そんなことで誤解する人は何をやってても誤解するわ。放っておけばいいのよ」

 少女はポテトの束からその内の一本を摘まむ。

 そして、それを僕の鼻先に突きつけた。

「それと、価値がないとか勝手に決めないで。どれが大切でどれが大切でないかは全て私が決めること。あなたに指図される筋合いはないわ」

 鋭い眼光。手負いの獣のようなその目に、僕はたまらず両手を上げた。

「……勝手にしてくれ」

「言われずとも勝手にするわ」

 少女は突きつけたポテトを引っ込め、そのままかじり始めた。

「それに、私はこの時間が一番リラックスできてるの。今さらやめろと言われても難しいわね」

「こんな人間と話すことが? 随分な被虐趣味だ」

「そう。そういうのよ」

 一体どれがそれなのだろう? さっぱり分からない僕は首を傾げる。すると、少女は言った。

「私の周りには二種類の人間しか寄ってこないの。自慢話を延々垂れ流す弁舌家か、水飲み鳥のように首を縦に振り続けるイエスマン。そんな人たちと話しててもちっとも楽しくない」

 そう話す少女は心底へき易した顔を見せていた。

「それに比べてあなたはまし。私の言葉をちゃんと聞いてくれて、それでいて本音で答えてくれる。真っ当な話し相手だわ」

 まさか真っ当なんて評価がもらえるとは。皮肉にしか聞こえなかった。

「……僕は基本悪意だけを返してきたつもりだけどな」

「悪意は本音に近い感情よ? それを向けてくれることは私にとって加点対象ね」

 まあ、もう少しプラスな感情も欲しいところだけど、と少女はぼやく。そこは諦めてもらうしかない。

「私ばかりが話してるのもなんだか嫌だわ。たまにはそっちから話題を振ってよ」

「話すことなんてろくにないな」

「別に何でもいいわ。どんな凡な話でも私が膨らませてあげるから」

「………」

 僕は少女のことをどうも思っていない。だから、

「……なら」

 取り敢えずぶつけてみることにした。

「仮の話をしよう。この世界が限られたものだったら、君はどう思う?」

「限られたって、具体的には?」

「例えば、ここが一艘の船の中だとしたら。周りはどこまでも真っ青な海に囲まれていたとしたら」

「………」

 僕の問いかけに少女は黙った。やはりこの歳の少女には想像できない話だったかもしれない。

 僕は笑って質問を取り消そうとした、その時。

 少女は口を開いた。

「どうも思わないわね」

 僕は思わず瞠目した。

「本当に? この世界がちっぽけなものだと気づいてしまったんだぞ? 何か思うところはないのか?」

「関係ないわ」

 戸惑う僕に反して、少女は至って平然としていた。

 すると彼女は、自分の頭を指さした。

「だって、世界はここにあるもの」

 奇もてらいもなく、さも当然のように少女は言い切った。

「この世界に果てはないわ。誰かと言葉を交わし続ける限り、どこまでも広がっていくものだから」

「……なるほど」

 思わず苦笑が漏れた。どうやら、僕は無駄に年を喰っていたらしい。

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