第29話 吊られた者


 あんたなんか超絶探偵なんかじゃない、絶望探偵だ…というからかいの軽口をクリスが飲み込まざるを得ないぐらいに、沈み込んでいた。


 探偵マーヴェル……先頭に立ち現場を指揮するような気力は枯れ葉てた。もはや機械的に、本能的に無意識に観察するのみ。


 救うことの叶わぬ痛々しい犠牲者の姿を。



 場所は大きなリビング。カーテンを割いて作った紐を、3メートル強はある高い天井に吊るされたシャンデリアの中心軸に引っ掛けて、首を吊っていた。軸は天井裏の梁へボルトで頑丈に固定されている。

 雰囲気がもたらす印象か? 背を向けた彼女の金色の髪がくすんだ砂色に見える。ネグリジェが貧相なドレスにも映り、少女に飽きて捨てられた人形のようだ。


 近くに椅子が倒れていたので、おそらくテーブルの上に載せ、その上に立ったのだろう。こうすることで高さにゆとりこそないが、紐を掛けるのも不可能ではない。

 

 部屋の皆は交わす言葉も見つからぬまま、しばしの間、無言で見つめていたが、やがて誰ともなく動き出す。


 もはや共通認識となった暗黙の了解のもと……。


 (現場保全なんて…くそくらえ)


 遺体に尊厳を取り戻す作業に取り掛かった。


 二人の男性が同時に上がってでの物事をやり安くするため、テーブルをもう少し真下へずらして移動させる。モリヤとオオツが彼女を抱え支える。クナがキッチンで見つけ持ってきた、鋏を手渡すと髪に刃が触れぬよう丁寧に、後頭部辺りで紐を切った。


 二人の腕に体重がのしかかるが、魂が抜けた分軽い。首に絡まった紐も取り外し、寝室のベッドへと運び寝かせた。


 もっとも青い顔、黒く沈んだ顔が探偵。そして数々の困難の中、気丈にも明るさを失っていなかったメイドのウルフィラでさえ、健康美の褐色の肌を曇らせ、今までで一番青い顔で呆然としていた。おそらく同じような年の女性の死を目の前にして、リアルに恐怖が伝わったのだろうと皆思った。


 重苦しい、通夜の空気感。いやいや、それ以上の重さ。


 ああ! このまま部屋を出て……ドアを閉め、自室へ行き、ドアを開け、ドアを閉め、そしてベッドに入り、目を閉じる。すべて忘れて眠りたい。そんな希望に捕らわれた者もいたが、それは許されなかった。


 はっきりさせなければ、確かめなければ。



 意を決して、モリヤたちは部屋の中を調べだした。


 すぐにベッドサイドテーブルに置いたあった手紙が見つかる。一番近くにいたオオツが手に取った。さっと一瞥してすぐ察す。


 「おい、遺書のようだ」

 


 内容を読む。


『ごめんなさい。

 すべて私がやりました。


 お金が必要だったのです。

 いえ、もっと正確に言うなら

 大金が欲しくなってしまったのです。


 ロクロウ君に毒を飲ませました。

 先に殺されるのが怖かったから。


 ドクターには、お願いして嘘をついてもらいました。

 オオツさんを襲うように頼んだのも私。


 その直後、彼を私が殺しました。

 裏切られる、犯行をばらされるのを恐れたのです。


 オオツさんが無事なのを知り

 私には手に余る力がこの世にあるのだと

 あらためて恐ろしくなりました。


 それと同時に

 自分のやってしまったこと

 罪の重さに耐えきれなくなったのです。


 愚かな私をお許しください。

 死んでお詫びいたします。


 クガクレアマコ』



 男性陣には少々扱いづらい、彼女のカバンを探っていたクナが何かを見つけた。

 「おやおや……これは」


 掌に載せたそれを、みんなの前へ。

 「このビン」


 毒薬の小ビンだった。



 モリヤにオオツ、そしてクナがリビングのテーブル脇にトライアングルの位置で立つ。やや離れた入り口側の壁際に探偵たち。話をきちんと聞いているのかも定かではない、曇ったまなざしのマーヴェルを心配そうにメイドが見つめる。


 「どうやら……これにて事件解決とあいなりました…ということで…いいのでしょうね皆さん?」


 ミスターモリヤが、そろそろお終いにしようと切り出した。


 「彼女の遺書の内容……確かに筋は通っている。そうでしょう? ……違います?」


 全員の反応を見る、同意とも不同意とも受け取れる微妙な顔つき。


 「フフフ…そりゃあ、彼女の筆跡なんて知りませんよ……でも逆に、彼女の書いたものじゃあないって誰が言えるんです? はっきり言わせてもらえば、彼女は不安定な女性でした……失礼なことを承知で…。ただ……、皆さんも……そんな印象を持った方いらっしゃるんじゃあないの?」


 さりげなく、奥でうつむく役立たずの探偵へ同意を求めた言葉だったが、反応は返ってこなかった。代わりに老婦人が返す。


 「まあ、言えてるね……、女性のあたしでも羨んじまうあのゴージャスな美貌だろう? ふつうなら、オーラっていうか、私女優よっってな感じプンプンで練り歩いても、だ~れも、もんくないよねぇ……、十分似合う、値するってなもんだろうさ。だけど彼女は違った、ちょっとビクついてるっていうか、自信なさげっていうか……、まあいつもって訳じゃあなかったけどねぇ」


 ありがたいという感じでモリヤ。

 「でしょう! その印象。謙虚さとは少し違う、彼女の不安定さ、弱さの表れ」


 それを聞いて、探偵に変わってクリスがつぶやく。

 「……う~ん……そういえば鏡を見ながら、お化粧直ししてるとかぁ、美人がよくやっちゃう、これ見よがしに『うちって奇麗やろ~ウフフフフ』ってのも…あのお姉ちゃんはなかったなぁ……」


 「そこがまた彼女の魅力をより一層増してるというわけか?…………っと悪い…年寄りの戯言だ」


 オオツが少し面目なさそうに、出した言葉に後悔した。



 探偵はまだ同意の意思を見せない。


 「不満。……真犯人の自殺で終演。隠された謎……実は単純な女の嘘、たらしこみでした……。それではご不満ですか? 名探偵さん」


 モリヤは少し考えて、皆に少しついてくるように促した後、嫌嫌そうに彼女の眠る寝室へ足を向ける。


 クガクレの固くなった白い枯れ木のような手首を示して言った。


 「この傷、いわゆるためらい傷、リストカットの後でしょう?」


 そう言われて覗き込む老婦人、確かに手首には古い傷跡がいくつか見えた。カメラマンも少しためらいがちに、離れたところから目をやった。


 「私もこんな事あえてやりたくも言いたくもないけれど……彼女には自殺願望もあった。そう断定してもいいでしょう?」


 寝室入り口のドアまでついてきていたマーヴェル、一瞬、怪訝な顔を見せただけで何も言わなかった。


 マジシャンはこりゃダメだと、目をつぶり大きく首を振ったあと、みんなに向けてやや強い口調で話した。


 「この客間の入り口は一つ、窓には内側から鍵、そして3階。さっき苦労して入って十分お分かりのように、入り口のドアにも鍵、そして椅子でつっかい棒代わり。つまりは密室。その中に死体、明らかに殺された様な死体ではなく……自殺した様な死体。難しく考える必要なんてない。答えは出ているんだから」


 「お嬢さんの力は、なんだったんだろうな?」

 モリヤのその言葉に頷きながらも、オオツがなんとなく尋ねた。


 考えるような間も置かずに、ちょっと小ばかにしたように答え返す。

 「フフフ…さっきあなたが仰ってたじゃあないですか」


 「え!? 俺……何か言ったか?」

 さっぱり覚えがない、記憶に関しては不安感を持つ男、急に焦りが見える。


 ちょっと意地悪な笑みさえ浮かべてマジシャンが種明かし。

 「魅力……。彼女の能力は魅了ですよ。考えてみてください、医者を操り嘘もつかせてるんですよ? この私たちの置かれている状況、いくら妖艶な女の頼みとはいえ……そう易々と受けますかねぇ? 普通なら考えにくいんじゃあないですか?」

 

 腕組みをして暫し考え込むオオツ。人生経験の長さから、やがて結論を出す。

 「まあ、俺は納得した。……現実ってのは往々にしてシンプルなもの。ただでさえ非現実的な今回の集い、これ以上複雑にすることもあるまい」


 老婦人もそろそろ閉めに入ることにしたようだ。

 「確かに。科学的に現場検証や、検死解剖でもすれば何か見つかるってのかもしれないけれど……。今ここで、ないものねだりを言っても仕方ないしねぇ探偵さん?」


 そう言ってマーヴェルに水を向けたが、相変わらずなしのつぶて。肩をすくめると大げさにため息をついてあきらめ気味に。

 「おやおや、意気消沈極まりないね。名探偵が何かトリックでも見つけてくれなきゃあ……これで、お開きだね」


 明らかにみんなの探偵マーヴェルの評価はダダ下がり、威光は地に落ちている。



 焦りと悔しさがこみ上げ、クリスは思わず先走って口走った。

 「ダクト! ダクトや!」


 ん? っと一瞬その言葉に一同は考え込んだが……。最初にマジシャンが声高らかに笑いながら完全否定した。


 「フフフ、ハハハハハっ……なんだって? ダクト? ここにきてなんて言った? ダクトから出入りしただって? ハハハハハっ 笑わせる! おいおい! これはフィクションか? お芝居か? ……ふざけるなよ……そんななぁ、大人が自由に行き来できるのは映画の中だけの話なんだよっ」


 クナも大きくうなずいて。


 「それに関しては同じ意見だね。ダクトからの侵入は……小説の中だけだよ。いくらここが大きな屋敷と言ってもね。実際、途中で太さも変われば、間仕切りやファン、ダンパーもある。無理なのさ。それこそマジシャンの仕掛けじゃないとねぇ」


 「終わったな名探偵様も」


 捨て台詞と共にミスターモリヤが部屋を去り、オオツ、クナも後に続いて出て行った。座り込んでしまったマーヴェルも、ウルフィラに促され、よろろと立ち上がる。


 心配そうに探偵の顔を見ながら

 「大丈夫ですか? 部屋までご一緒しましょうか? それか……何か元気になる、あったかい食べものでもお持ちしましょうか?」


 探偵はゆっくりと首を振りながら

 「…ありがとう……、でも大丈夫……先に行ってください……す、少し考えを……もう少し冷静になって……一人で考えたいので……」


 そう聞いてメイドもその場を離れていった。多分に心配な気持ちを持ったまま。



 探偵は赤い目で天井を見つめていた。


 誰もいなくなると、もう我慢できなかった……クリスが泣きじゃくって言う。


 「……ご、ご、……ごめんよぉ…………ごめんやでえ……ぐす…ぐすっ…………わ~ん」


 頬を大粒の涙が濡らす。


 「うちはバカや! あんな、あんなこと言って……」


 「……あんな間抜けなことを言って」


 「……め、名探偵マーヴェルの名に……きっ傷をつけた~」


 ワンワン泣いた。


 目を閉じ、しばらくブツブツと呟いていたマーヴェルだったが、クリスの感情の爆発によって不思議となんだか気持ちが落ち着いてきていた。


 「そうさ、クリス! 間違っちゃあいない……」


 クリスにも少し笑顔がよみがえる。


 「彼女は自殺じゃない」


 一時だが、確かに蘇った、ブルーの深いまなざし。


 「これは事実、探偵マーヴェルが導いた事実」


 「……なぜって? ……なんでって聞かないのかい?」



 「うん、今回は……理由は聞かへん…………」



 「……」


 

 「……」


 

 「……」


 「……ええぇ!? ……えええ? 聞いてよ~……理由は聞かずにって、恋人同士の頼み事じゃあないんだからさぁ……ふっ……フフフ……」


 ちょっと名コンビのリズムが戻った。



 マーヴェルは廊下に出るとそっとドアを閉めた。新たな霊廟の扉を。


 (彼女は鏡を見ない、クリスはそう言った)


 同階の自分の部屋、かに座の間へと廊下を進みながら考える。


 (彼女が死んだ晩、その時刻、全く異変に気が付かなかった。例え、隣部屋でも分厚い壁で仕切られ、大きな音でもないと無理だったろう)


 ミスターモリヤの言う事はもっともだ、もしかすると様々な警察による科学的鑑識でも他殺を伺わせる物的証拠は出ないかもしれない。彼女の自殺の線は堅い。


 だけどマーヴェルは確信するのだ。他殺だと。


 なぜって?


 探偵の脳裏に彼女の後姿が焼き付いている。


 彼女は誰かに殺された。首をつって自殺? それはあり得ない。


 布を掛けられたバスルームの鏡が脳裏をよぎる。


 「だって…彼女は外を向いていた」


 (それはありえない!)



 夜の暗闇で彼女の姿が映るのだから……目の前の窓ガラスに。


 (自殺なら、クガクレ アマコは内側を向くはずだ)

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