第27話 侵入者


 (おかしい?!)


 寝室のベッドに仰向けになったまま微動だにせず、思考だけが目まぐるしく駆け巡る。

 

 (ドアは?)

 もちろんカギがかかっている。


 私のように、こっそりカギを開けた? それともマスターキーを持っている!?


 (いいえ、そんなはずない)


 ドアには椅子をかませるように置いてある。気づかれず開けることはできない。


 (外に逃げる?!)

 

 おとめ座の部屋の出口までは10数メートル。椅子を退けカギを開ける、それで何秒ぐらいかかる?


 (いや! だめ……)


 私を見つけることはできない。絶対に!


 もしこの感覚が正解で、誰かが侵入してきたのならば…………


 (そいつが殺人鬼!)


 顔を、顔を見てやる。



 恐怖がないといえばウソ、大嘘、身震いしそうなほど恐ろしくはあったが、今までの彼女の生きざま、経験、数々の修羅場、その芯の強さが『逃げない』という選択を取った。


 素早くかつ静かに、髪の毛を後ろで軽く巻きくくりフードを被る。


 深く息を吸う、目を閉じ、冷たく暗い水の底へ頭から沈んでいくような浮遊感。


 (私は…誰にも…見えない…透明な…存在)


 彼女の頭の中で呪文のように、言い聞かせるように言葉が巡るとともに、体全体がプリズムでも見ているように色がぶれ、ガラスのようになり、一気に透明に消えていく。


 ベッドで全身透明と化したクガクレ アマコは、開けっ放しのドアを通り抜け、静かに寝室を出た。


 いくつか点在する間接照明の電灯が淡い黄色で照らす部屋。天井のシーリングライトは点けていなかった。


 (明るくすることは、自分にとって不利にはならない)


 細心の注意で周りを見回して近くに誰もいないことを確認、意を決してシャンデリアのスイッチをオンにした。白く輝く炎、部屋の隅々を照らす。

 眩しさに目をつぶる行動を反射的にとるが、意味はなかった。目がくらむというほどではなく直ぐになれる。確かに動くモノの気配はない。


 (しかし、いる、この部屋ではない…?)


 静かに、静かに、だけどなるべく早く、これが彼女の意識すべき重要な動き、床をなめるように歩みを進める。そんな意識的な筋肉運動に喚起され、ふとあの老婦人のことを思う。ダンスのようなカンフーのような流れるようなリズミカルな動き。


 (年に似合わない…見事な体捌き…………ま、まさか……)


 台所に滑り込む。


 ナイフでもハンマーでもチェーンソーでも、隠れ待つ殺人鬼に鉢合わせたら一巻の終わり。


 (お生憎さま…私は違う…だって目の前に立っても分からないんですから)


 ドア、テーブルの影、素早く目で隅々を調べるが、いない。


 入り口を警戒したまま、背中越しに棚から包丁を手に取る。胸の高さほどの前に構えると同時に彼女の刃が消える。

 透明化能力で消したのだ、これで包丁だけがユラユラ宙を漂うという怪奇現象は起きない。


 (やっぱり……気のせい?…………どう考えても……私の客室に入ることは不可能、少なくとも気づかれず……)


 常識的な思考が、何者かがここに入り込んでいる可能性を否定する。台所からゆっくりゆっくり出ていく。


 (……ただ、ただ……まさか! ……あいつ!?…………)


 一つだけドアの閉まった部屋、入り口通路に接するバスルーム。その広さ、彼女の住むマンションのひと部屋はある。


 (……ここじゃあ、不可能を可能にする者共がいる)


 包丁をしっかり握り構え、葛藤する。


 (音はしない……けれど、確かに気配がする…………確かめたい!)


 ガラス扉でないことを悔やむ。


 (穴をあけて覗こうか?)


 ダメ……不自然に光が漏れて気が付かれる。


 (どうする? どうする?)



 突然彼女は、諦めたかのように肩を落とすと踵をクルリと回しバスルームのドアから離れていく。


 リビング辺りまで戻ると、忍び足をやめた。

 普通の所作でダイニングに向かって歩き、冷蔵庫のドアをバタンっと開けた……中を見る姿勢ではなく後ろ手で。しばらく間を置くと、せっかく開けたのに何も取ることなくそのまま閉める。当然また音が鳴る。


 軽やかな足音を未だ気にせず寝室の方へ移動し、天井の煌々としたライトを消す。白い光は消え、淡い灯が部屋を薄暗く照らすのみ。


 終始、開けっ放しだった寝室のドアを閉めた。


 まるでSWAT、特殊武装部隊が部屋に突入する前かという姿勢で、ドア脇の壁に背を向けたまま……。もちろんその姿、透明にて見えない。


 …………やがて静かに離れ、また再びバスルームの扉の前へ。

 


 この奇妙な一連の行動はなんなのだ?


 (こ、この心配が杞憂に終わって……このばかげた独り、道化芝居を後で笑って振り返りたい……)


 彼女は切に願いながら、ドアをじっと見つめる。5分? 10分? そこまでも経っていない、が、彼女の中では永遠に思える長さ。


 もしも、誰かが注意深く聞き耳を立てていたなら、こう想像するだろう、偶然アマコが夜中に起きだして、台所に向かい、何か飲み物を取ってまた寝室に引き返したと。何事もなくベッドにもぐりこんだ、さあまたチャンスが来た!! と。動き出すなら今だと。



 (……)


 透明包丁を掲げる両手が、重い。何も変化がない扉。


 (…………)


 体の筋肉もこわばってくる、緊張感も続かない。


 (………………)


 (………ふっ………)


 (………………ふふ………ばかねぇ………………)


 (…………やっぱり! 思い過ごしよ……私って………ほんと………ばか)


 湧き出す安堵感…固まった頬の肉が、笑顔のモーションでピクつく。


 (気のせいだっ……た……のよ…………………!?)



 ドアが、ドアがゆっくり、静かに開き始めた。



 クガクレ アマコの額からサァーっと血の気が引いていき、心臓の鼓動が早くなる。

扉の隙間を大きく見開いた両目で凝視しながら、両手を祈るような位置、胸の前まで下ろしていった。


 (…………だっ………誰!?………………)


 1……、5……,10センチの隙間、人影……。


 ドッドッドッドッドドッ………。


 (!?)


 ドアの縁に指を当て、そいつは押し開いた。


 (!!!)


 アマコはあっあっ!! っと息を呑む…かの、強烈な驚きに貫かれたが………息を呑むこともなく完全静止を貫いた! 最大限の意思、彼女の持ちうるすべての力で持って。


 侵入者の顔は……顔の位置は彼女の想定していたところになかった。低い屈むような姿勢、まっとうな来客にはありえない……危険なアサシンの動作。


 (…………)


 あまりの驚きで、引き起こされかねなかったパニックは際で抑えた。だがしかし、その後のフリーズ状態を溶くことができない! 頭が回らない。


 畜生!! 彼女は燃やした、怒りという燃料に火をつけた。そう! 今までの人生で散々味わってきた不幸、屈辱、地獄の経験、それら何もかもを怒りの竈にぶち込んだ! この今を、この瞬間を乗り越えるためにそれらの出来事は与えられたのだと、アマコは理解した。


 これは一瞬、一瞬の間。

 見えない闘志の塊、真にその言葉のまま、彼女は戦士となった。


 (くそっ! こいつ、いったいどこから入った!)


 侵入者の姿はまだ半分扉の影。はっきり顔が分からない!


 (……ワープ…………もしかして、空間を飛び越えられる!?……まっ…まさか……あんたが?…こいつの正体は!)


 すくっと立ち上がり彼女の前に立つ。


 彼女は悟った。こいつが犯人、すべての殺しはこいつがやった。何の証拠もあるわけではないが悟った。………と同時に、次の行動に迷いと恐れが現れる。


 少しずつ近づいてくる、見えない彼女の前に。


 (わかるわけない)


 近づく。己の心臓の鼓動が激しい。その音、聞こえるはずはない。


 (見えるわけない)


 犯人の顔、正体は確認した。次はどうすべきだ、このままそっと逃げるか? それとも今この時に、こいつの首に刃を差し込むべきか。


 (私は透明)


 体が熱い。燃えるように熱い。奴の顔が…やや彼女の方を………見えないはずの彼女の方を向いた。


 (やる!)


 刃を掲げた!


 (私は! 透明人間、すべてが透明ぃ!! 誰にも見えない!)



 (当然! 音も! 熱も!)


 彼女の姿はサーモグラフでも、赤外線で見ようとも捉えられない。透明人間たるものの知っておくべき初歩の初歩、その事は彼女自身で、すでに実験済み。


 (誰にも見つけられないんだよ!!)




 「此処にいたんですね」


 (!?)


 奴の手にしたスプレーから粒子が放射された。


 薄れゆく意識、アマコの頭の中は『なぜ!? なぜ? なぜ!』の文字の吹き出しでいっぱい。眠りに落ちるにつれて、風船が割れるようにその吹き出しの文字も次々消えて行き、最後に消えて行ったのは………………一つ隠れた甘い言葉。


 『見つけてくれた』


 こわばっていた彼女の顔が、いつの間にか穏やかになり、笑みさえ浮かんでるように見えたのは嗅がされた薬品のせいだけだったのだろうか。

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