第15話 悲鳴
「キッ…キャーァああああ!!」
静寂な、早朝の館に鼓膜を鋭くつんざく悲鳴が響き渡る。
それはメイドのウルフィラが発した驚きの絶叫。
「何!? さっきの声…なんや?」
クリスがキョロキョロと首を振りながら呟く。
金切り声が引き裂いたこの場所は、未だ姿を見せぬ謎の大富豪シラヌイの豪奢な屋敷。
浮世とは断絶された孤島、クローズドフィールド。
そんな島へ、先だって一斉に招待された奇妙な客人の面々は、それぞれに立派な客室が与えられていた。
その中の一つ、3階中央に位置する、かに座の間に居た探偵マーヴェルの耳にも、ラウンジの高い天井で反響した彼女の悲鳴は微かに届いた。
「うん……僕にも聞こえた。クリス……何か……起きたようだ」
聡明さがうかがえる深いブルーの瞳、長い睫毛が伏せ、陰になり、悲しみが差す。
「よっ、よし、行こう! 考えていても仕方ない」
己を奮い立たせるように、そう言って顔を上げると、掛けてあった帽子を取り部屋の玄関を飛び出した。
3階の廊下には誰も出ていない、そのまま速足で階段を下りて行くと、ちょうど2階踊り場で、客室さそり座の間から出てきた老婦人のクナに会った。
「おやおや、探偵さん。……何かあったね?」
彼女も悲鳴を耳にしたのだ。
無言でうなずき返すマーヴェル。年寄りにしては、意外と身のこなしの軽いクナ・スリング婦人と共に素早く階下へ向かう。
とりあえず1階の広い玄関ラウンジに着いたところで、いったん周りを見回す。聞こえて来た悲鳴の音量から発生源はここでは無いと見当はつけていた。ラウンジで叫んだのなら、もっと大きなボリュームで耳に届いたはずだ。
老婦人にもそれは分かっていたようで、歩みを止めずに玄関正面側にある廊下へと進んでいく。
玄関ドアを相対して右手は、サンルームと執事の部屋へ向かう方向、反対に一同が最初の日に集まった晩餐室がある方向。左右を見渡すと……開かれた厨房のドアから、後ずさりしながら廊下へ出てくるメイドの姿が目に留まる。
ウルフィラは目を大きく見開き、両手を口に宛てて部屋の中を見ている。
探偵達はメイドの元へ駆け寄った。
近寄ってくる彼女達に気付いたウルフィラは、おどおどと顔を向け、何かを伝えようとするが声にならない。
先んじたスリング婦人は身を沈めるように通り過ぎ中へ入る。マーヴェルは酷く怯えた様子のウルフィラの肩に手を一時添えた。一瞬何か声を掛けようとするが、それを飲み込み、現場を見るべく室内に足を踏み入れた。
その光景は名探偵マーヴェルの胸に、きつくきつく鉛の鎖を巻き付けた。
室内には男が、がっしりとした背を向けしゃがんでいた。
背後の足音で振り向く。男は外科医のドクター・Tだった。
「死んでる」
彼の足元には横たわる小さな人影。
「超能力少年の……ロクロウ君だ……もう……息は無い」
「う…うそや……あんな強いのに……」
元気無いクリスの言葉は耳に入らない。
光の失った焦点の定まらぬ瞳になって、ぼそぼそと呟きだす探偵。静かにロクロウの遺体に近づき全ての観察を始めた。
現状を理解した老婆が、諦めの混じった深いため息とともに言った。
「あ~ぁなんてこったい。あの子がね……」
「おい! どうしたんだ一体。何があった?」
廊下でメイドに語気を荒げ尋ねる、メンタルマジシャンのモリヤの声がする。
未だショックからか、声にならない声で答えながら部屋の中を指さすウルフィラ。その先、部屋の中を一瞥して即座に何が起きたのかを知った。
いつも以上にひんやりとする厨房の室内で、ドクターと探偵、老婦人とマジシャンを中心に重苦しい会話が始まる。
ドクターがおもむろに立ち上がり、横たわる少年を一度悲しげに見て一呼吸置くと、静かに言った。
「検案の専門家ではないことを最初に断っておくが、死後硬直の具合から考えて、彼が死亡したのは4,5時間前、つまり夜中ごろだと考えられる」
ミスターモリヤが核心をつく疑問を口にする。
「こ、殺されたのか? 無敵の小僧が?」
「当然きちんとした検死をしなければ、断定はできないが……目立った外傷はない」
ある程度の納得を得るまで調べを済ませたマーヴェルが床を示す。
「そ、そこに飲みかけのオレンジジュースのペットボトルが転がっている。匂いは普通……それで……少し舐めてみたけど……微かに舌に違和感を感じた」
「毒物か?」
老婦人が遠い過去を思い浮かべるように視線を上にして言う。
「あの子は、物理的攻撃ではそう簡単に殺せないだろうねぇ……晩餐の揉め事あっただろ? その際あたしの急襲に見事に対応してた。何とかバリア? って言ってたね」
まだまだ浮かぶ数々の疑問、様々な思いはそれぞれあったが、初心者が奏でるセッションのようにリズムが噛み合わない、ぎこちなく途切れ無言の時間が流れる。
咳ばらいを一度して、外科医が口を開いた。
「さて……どうする? 分かっているとは思うが、本来ならこれはすぐ警察へ連絡すべきインシデント」
モリヤもそれは分かっているとばかり二度ほど頷き答える。
「よくは知らんが……殺人事件ならば、後々の現場検証を考えると……このままもう手を触れずに保存しておかないといけないのか?」
「だが、ここは通信手段もない孤島。謎の主人や執事が出てこず、連絡も取れないとなれば……少なくともあと数日の間は……」
クナ・スリングが言葉を挟む。
「さてさて……お二人さん、そうはおっしゃいますが……果たしてこれが警察の手に負える出来事かね? この閉ざされたヘンテコな世界へ自ら足を踏み入れた以上…………あたしたち自身で解決しなきゃあならないんじゃないかい」
常識ある大人、今まで常識の世界で生活してきた社会人としての顔で、向かい合い彼女の言葉の意味を反芻する。
「老婆心ながらついでに言わせてもらえば……もっと重要な事、守るべきねぇ……あるんじゃあないかい? この子の尊厳とかさぁ……こんな状態で置いておく必要あるかね」
「ロクロウ……可哀そう、冷たい床で」
クリスの呟きにマーヴェルは深く頷く。
「腕の良い? 医者もいる、探偵だっている。あんたらで納得できたってんなら……あたしはいいんだと思うけどね」
「ロクロウ君を、部屋のベッドに連れて行こうと思います」
マーヴェルはそう言ってロクロウの傍らに膝をつく。
「部屋も隣ですし、僕が連れて行ってあげようと……」
そう言って、順番に皆の顔を見るが誰も反対の意思は無い。
この場で最も屈強な体躯をしたドクターが声を掛ける。
「抱えられるかい? 私が変わってもいいが」
「大丈夫」
ロクロウを抱きかかえた。思いのほか軽かった。細く痩せた手足、筋肉の無いガリガリの小さな体。それが魂の抜けたサイキック少年の肉体の重さだった。
マーヴェルは歩き出す。出口で立っているウルフィラの前に来ると
「すみません。ウルフィラさんにも手を貸してもらえますか」
「はい」と小さく返事をして後ろに従う。
「部屋の鍵は? あるの」クリスが聞いた。
「……彼は身に着けてない。きっと……カギは開いたままだ」
探偵は廊下を歩きながら、軽くクラクラする様な浮遊感に捕らわれてしまう。ロクロウの死体の重さで、運ぶ事に疲れたという訳では決して無い。
階段の手前に来て思わず少しよろけると、ウルフィラが後ろからそっと支えてくれた。
「あ……どうも、すみません、……前が…………少しぼやけて」
ちょっとゆがんだ顔のメイドが、ちょっと心配そうに微笑みかけている。
「大丈夫、大丈夫ですよ。きちんと運べますから」
前を見据え一歩一歩、大切に階段を上って行くマーヴェル。
「ねぇクリス……。なんだか目がおかしいよ……」
マーヴェルの細い腕に優しく抱かれたロクロウ。眠ってるようにも見える彼の頬に残った跡にそって、また雫が滑り落ちる。
「……それは涙。流したらいい……涙だから」
マーヴェルには解決できなかった。この涙の理由がなんだったのか? 悔しい、悲しい、恐ろしい、何故流したのか分からない涙。
しかしこの時、心に深く楔が撃ち込まれた事だけは紛れもなかった。
少年の死を境に変わった。
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