第10話 引き籠り
初日、外は清々しい晴天。
青年は晴れ晴れとした気持ち良い目覚めで、すっきり爽やかな朝を迎えた。
最後にこんな軽い心持でベッドから身を起こしたのは何時だっただろう? 毛足の長い絨毯に素足を下ろし、贅沢な感触を足の裏に確かめつつ顧みる。
「ハハハ……ベッドできちんと寝たのっていうのも、何年も前だった……」
謎の大金持ちシラヌイの豪邸、そのゲストに用意された豪華な部屋の一つ、おひつじ座の間で目覚めたマーティ・アシモフは今、全招待客の中で最も幸福感を味わっていた。
彼の住む実家の2階建て、すべて合わせた床面積と大して変わらないほど広い部屋。
まずは大きなリビング。寝室には何人寝れるんだ? というぐらいのダブルベッド。ダイニングルームにはキッチン。ひと部屋はあるバスルームは浴槽は当たり前、シャワーに流し台、トイレとあって、そこだけで暮らせそうな勢い。備え付け全て高級家具、調度品で生活するに全く不足なく揃っている。
もしホテルの客室なら人気のない立地であっても一泊ン十万は軽くするであろう。
マーティは自分は学生だと皆の前では名乗ったが、実際には高校に通わなくなってもう4年は過ぎ、とうの昔に自主退学させられていた。
その挙句、季節や時間の感覚も曖昧になるほど、家に籠りっきりの人生を送っている。
そんな苦痛の……無痛の毎日を送っている中、D.M.シラヌイからの招待を受けた。
最初の接触は手紙だった。しかしその時の彼は、親がわざと申し込んだ自己開発セミナーの類か、新興宗教の巧みな勧誘なのか、そんな疑いを抱き無視をした。
しばらくしてまた届く。中に連絡先が記入してある。今思い返してみても不思議だが、魔が差したというべきタイミング。不安定に揺らぐ青年の気分ゆえだろうか? 文章の文言に惹かれたのだろうか? 彼はつい連絡を取ってしまう。
電話の向こう、姿見えぬ相手は言った。昨晩に催された晩餐会の挨拶で高らかに述べたようなことを。能力を持った者が一堂に会し親睦を深める、そのパーティに君にも参加してもらいたい。そのために10億円余りの巨額の御礼金を用意している、もちろん君だけの取り分に……と。
(僕の他に、こんな力を持つ人間がいる? まさか……。……おまけに10億、億!? 億だって?? 見た事もない額の大金を見ず知らずの相手にあげる? まさか! 信じられるわけない、作り話にもほどがある。嘘丸出しの嘘!)
青年の頭の中の常識ある部分は、これは悪い冗談だと言った。だが一方で…………。
『素晴らしい! ……では、了解して頂けましたね。後ほど、正式な招待状と、チケット、旅費をお送り致したいと思います。お会いできる日を楽しみに』
マーティの口から出た、同意の意思を受け電話は切れた。
彼が奇妙奇天烈な招待に同意した、行く事を決めたのはなぜ?
存在すると知った、他の能力者への好奇心。そしてすべてから、彼を取り巻く泥沼から抜け出し、自由になれる! そう思えるほどの大金の為。
(……違う……)
誰一人知らないはずの! もう誰にも打ち明けず内緒にしている自分の能力を! 何故か声だけのあいつは知っていたから。
絶対に言えない過去の秘密を知られていたから……。
「違う……違う。……何か、何か変わるかもしれないから。これで僕の人生が……」
最低の人生を送っていたマーティ・アシモフに突如として降って来た妙な話。美味しい言葉で包まれているが、間違いなく、その中でどす黒いモノが蠢いている、そうした不安を掻き立てる話。
借金で首が回らぬ者に、襲い掛かる甘い儲け話のような……蟻地獄へ彼は進んだのか?
今この朝を迎え、彼は感じている。例えるならマイナスにマイナスが重なりプラスに転じる、そんな不思議な作用、そんな不思議な穏やかで爽やかな気持ちが訪れていると。
素っ裸でベッドに入っていた彼は、傍らに脱いでいた服を着て部屋を回る。
クローゼットには一通りの服、下着などがそろっている。
「着替えもあるんだな……どれだけ無駄に買いそろえてるんだ? まっ今日はこのままでいいか……。ウルフィラさんだっけ……彼女一人で洗濯とかしてくれたりするのか、結構大変だ」
メイドのウルフィラが、夕食の際も何かと親切に世話をしてくれたシーンがよみがえると共に、これからのこの部屋での過ごし方を想像した。
台所に行くと、システムキッチンや冷蔵庫があり、中には食材や飲み物。近くの棚にはインスタント食品からクッキー類まで、小腹が空けばいつでも食べられるように色々と揃っていた。
「朝は……どうしようか」
彼は昨日の執事クロミズの説明を思い返す。
食事に関しては、基本的に客が自由に取るというスタイル。部屋には軽い食事からある程度の料理までが出来る食材と設備が整っている。
さらに厨房には、大量の食材が置いてあり、地下の貯蔵庫と合わせると優に数か月は過ごせるだけの備蓄がしてあった。
こちらの方も勝手に使ってもよく、晩餐室等で一同一緒に食事をしたい場合には、ある程度前もって執事またはメイドに申し出れば、用意は可能であるとのこと。
「みんなはどうするんだろう? 部屋で食べるのかな」
この孤島へやって来る前の彼であれば、到底考えられぬ事だったが……マーティは行動に出た。朝食をとるため、部屋を出て下に降りるという行動に。
「まあ……行ってみよう。別にそこまでお腹は減っていないし……誰もいなくても……いいや」
3階から下へ降りる間、誰と会う事もなく静かなラウンジまで来たマーティ。
人の姿はない……少し不安な、いつもの嫌になるほど慣れ親しんだ、さびしい気分が心を覆い始めた、その時。
食堂の廊下から軽快な口笛と足音。
上機嫌な様子のサイキッカーの少年ロクロウだ。
「よ~兄ちゃん! え~っと……」
「……マ、マーティ」
「あ! そうそうマーティ! 朝飯食べた? まだなら一緒に食べようぜ」
火を見るより明らかにマーティよりかなり年下だが、まったく気にする様子も無くタメ口で話してくるロクロウ。よく見ると、銀のトレイにサンドイッチらしき物を沢山載せて運んでいる。
よく見ないと気が付かなかったのは、彼の手にトレイがあるのではなく、斜め後ろにフワフワと浮くように付いて来ていたからだ。少年の力、サイコキネシスだ。
「ウルフィラに頼んだら、作ってくれた」
にっこり子供っぽい笑顔を見せる。
「う、うん。まだだったから、食べる」
マーティはそう答えた、悩むことなく自然に。
傍から見ると外見が真逆の兄弟、小さな兄に大きな弟。
「食堂じゃなく、あっちの気持ちイイところで食べようぜぃ」
ロクロウはそう言って、廊下をまっすぐ進み、建物1階左にあるサンルーム。自然の光が降り注ぐ大窓の設置された一角へ向かった。そこには3、4人座れる丸テーブルが4卓バランスよく並べてあった。
二人は手前のテーブルに対面で座り、真ん中にトレイに載せたままサンドイッチとペットボトルのジュースを置く。
「好きなの取りなよ」そう言った後、しばらく無言。
マーティは、ふと小学校を思い出す。教室に怖いガキ大将と二人きりで気まずい気分。
思いきって声をかける。
「君……ヘリで来たね」
「あ? ああ。うん。マーティたちは? 違うの?」
「うん。僕たちは船で来た」
「へ~そう。……おいらの場合」
少年は遠くを見つめる上目になり、少し考えた後続ける
「おいらの場合は、脱出だから。ヘへッ、抜け出して来た」
「?? あっ……家出?」
ちょっと肩をすくめてロクロウは答える
「……、うん家出。も~う壮大な家出。詳しく話すと映画が一本とれるぐらい」
少し微妙な間があったことで、マーティは察した。ロクロウにとって過去は、まだあまり話したくない話題なんだと。彼にとっても家族の話は、昔の話は持ち出したくない癒されることのない傷だった。
「まあね、そのうち暇なときあったら、おいらの……おいらとシラヌイの脱獄物語を公開するよ」
マーティは一番最初に受けた少年の印象、ゾッとする感覚は彼の本質ではないと感じた。島に集まった能力者たちは、自分の力に溺れた最強最悪な少年に皆殺しにされる……そんなイメージが浮かばなかったかと言えば嘘になるが。
考え事をしながらサンドイッチを食べていると、たっぷりと挟まれた具がこぼれ落ちそうになる。
「あわわっ」慌ててバタつくマーティ。
開いた方の手を添えるが、間に合わない。
「プハハハ」そんな彼を見て笑うロクロウ、少年のサイコパワーの光が床に落ちる寸前、素早く掴み取り宙に浮かぶ。
「マーティ! 食べ物を無駄にしちゃあいけないぜ」
「……お、落ちても3秒以内だったら大丈夫だから……」
「な~んだそのルール、笑えるっ」
フワリフワリと浮かんだ具が、マーティの顔に近づく。
晩餐会で悪魔の鉤爪のように食らいつき、ミスターモリヤの首を平然と絞めた少年の異能の力。
「あ~ん」ロクロウがそう言うので、素直に口を開けた。
ロクロウがニヤリと笑い、光の咢が唸りをあげて閉じる! ギャシャン。
無抵抗な柔らかい肉が無残にも無数に切り裂かれ、ボトボトと崩れ落ちた。
「ハハハッハハッ」
子供の大きな笑い声が屋敷に響く。
「どう? 食べやすい?」
「うん。 美味しい」
ロクロウの技『サイコ・ファング』で無数の小片に切り刻まれたジューシーなハムが、マーティの舌の上に載った。
「最高だね~ロクロウのミートチョッパー、ワハハハハッ」
大人からすると、何の意味も持たない下らない事で、心から笑い合える子供の世界。この瞬間から二人は友達になった。
「……」
ひと笑いが収まり、もう気まずくはない無言。なんとなく窓の外を眺める二人。
「僕には……友達はいない。今は一人ぼっち、もうずっと……」
マーティの呟きを聞きながら、ロクロウは何も言わない。
唐突に、マーティの中に決意の気持ちが生まれる。周りを見渡し誰もいないことを確認すると、静かに囁く。
「ねぇ。僕の能力知りたい?」
目を輝かせながら頷くロクロウ
「マーティもサイキック??」
首を振り、少し申し訳無さそうに…そう思った理由は何故だか彼にもわからない。
「違うんだ。そんな凄い力じゃない……大した力じゃない…んだ……」
「言いたくないのなら……別にいいよ?」
「う、う~ん……何の役にも立たない能力だけど……」
マーティは本当の事を話した。彼の能力のすべてを。こんな風にこの秘密を誰かに話したのは今まで一度だけ。ロクロウは二人目だった。
マーティの能力を知ったロクロウ。第一声は
「す、すげぇ」
その反応に驚くマーティ。
「すげぇ~じゃん!! あ~あっ、今までおいらが一番無敵だと思ったけど……え~。マーティ! そっちの方がマジ無敵じゃん」
ロクロウがそう言ってくれるのを聞いて、なんだかくすぐったく、今まで感じたことの無い嬉しさを感じた。もしかすると彼の反応は思いやりかもしれない。それを含めての嬉しさだった。
少年たちが打ち解け、朝食をほとんど終えたころ、ラウンジの方から探偵たちが話している声が聞こえて来た。
どうやら、マジシャンのモリヤと共にメイドに何かを聞いている。
興味を持ったロクロウが、行ってみようと持ち掛ける。二人はトレイなどはそのまま置きっぱなし、席を離れた。
ロクロウの後に続くマーティは、何となく振り返り離れた位置の方のテーブルを見る。少し違和感を覚えたが、別に何があるわけでも無く誰もいない。それ以上気にせず探偵たちの方へ歩いて行った。
「一週間ほど過ごす訳だから、ご主人様が恥ずかしがり屋で引き籠っているってんなら、なおさら執事には身近に居てほしいんだけどねえ。何処にいるんだ?」
モリヤがメイドのウルフィラに詰め寄る。
「ですねえ。まあ……掃除や洗濯はウルフィラさんに頼らずとも、自分でやってもいいんだけど……。僕も少々尋ねたいことなどありまして、クロミズさんを探したのですが見かけませんね」
探偵は、マジシャンの苛立ちを隠せない口調を抑えるようにゆったりと聞く。
ミスターモリヤの要点は、一流ホテルと考えると設備は豪華で十分だが、客人をサポートする人間が不足なのでは? セルフサービスは結構だが、それでも聞きたい事は出てくる。ただでさえ少ない従業員なのに、肝心の要となる執事が見当たらない。
「申し訳ございません。わたしで出来る事は、すべて遠慮なく仰って下さい。わたしも今日は執事、クロミズさんには出会っていないのです」
ウルフィラは探偵達に丁寧に頭を下げる。
恐縮するメイドを見つめると、マーヴェルは後頭部へ手をやりながら続けて言った。
「もちろん、立ち入るなと言われてる地下へは行ってませんし……屋敷の隅々、すべての部屋を探したという訳ではないのですが。軽く見た屋内、散歩がてら回った庭ではお会いできませんでしたね」
話しながら探偵は左右を見渡す動作をして、ロクロウ達に気が付き手を挙げ挨拶した。
「執事のおっちゃん? おいらも見てないな、昨日の夜から」
ロクロウも話の内容を理解し言った。後ろでマーティも同意の頷き。
「あっ執事室は? 執事室へは行かれましたか」
パッと何か思いついたようにメイドが尋ねる。
「いいえ、僕は行ってませんね」と探偵。
「私は行ったよ。ノックしたが出てこない」とモリヤ。
「何処にあるんですか? その部屋は」
そう探偵が聞くと、ウルフィラがマーティ達が歩いてきた方を指さして
「この廊下の奥です」
「……もう一度行ってみましょうか? クロミズ氏はかなり職務に忠実な方とお見受けしました。ええ、もちろん僕も彼の人物像を親しいと言えるほどを知りませんけど、これだけお客をほったらかしにして置くのも少し……妙です……」
探偵マーヴェルはそう言って、少し眉をひそめると手を口元へ添え黙った。
メイドとモリヤも黙り込み、一瞬表情が曇る。
「ハハハッ、どうしたんだよ? まさかベッドの上で死んでるっての? 殺されちゃってるって? 面白そうじゃん、行ってみようぜ」
ロクロウは恐れも無く言う。
サンルームとは対照的に、薄暗い廊下の先。
その奥にある部屋へ、彼らは足を進めることにした。
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