第8話 消える
今宵のディナーのメインの肉料理、黒毛和牛のとろけるようなフィレステーキを味わいながら静かに晩餐会は過ぎていく。
客人の食事の進み具合を鑑みながら、執事のクロミズとメイドのウルフィラが、しめのメニューとなるデザートのケーキとアイスを並べ始めた。
程よくお酒の入った外科医のドクター・Tがミスターモリヤに話しかける。
「あ~モリヤさん。ところでメンタルマジシャンってのは、具体的にどんな事をするのか教えてくれないか? 生憎よく…う~ん、全く? 知らないので……あなたの事を」
「いや~それは残念。エンターテインメントにあまりご興味ないのでしょうね、お忙しいドクターは」
「おいらも知らないな……全然有名じゃないんじゃないの、おじさん?」
腹の中で、いけ好かない餓鬼、ロクロウを睨みつけながらモリヤは作り笑顔で返す。
「これはまたまた~手厳しい。カッパーフィールドクラスと比較されちゃったら、おじさんも困るけどねぇ。知る人ぞ知る存在とでも申しましょうか……ねぇ探偵さん?」
少し声のボリュームを上げ、離れて座る探偵のマーヴェルに会話を振った。
「……確か……、ラスベガスでもショーをやってましたか? ミスターモリヤ」
「おお! 流石、物知りな探偵さんです。いや~ありがたいなぁ」
モリヤは大げさに感謝のお辞儀をして続ける。
「皆さん。マジシャン、手品師は当然ご存知でしょう? その中にメンタルマジックと呼ばれたりするジャンルがありまして……簡単に言ってしまうと、相手の心を読んだり、操ったりする……催眠術とかね。そんなショーをメインとするのが私、メンタルマジシャンでございます」
外科医が出された、ストロベリージェラートをスプーンでかき回しながら、疑り深そうに睫毛を寝かせモリヤを見て言う。
「心を読む…………ね……。人間がわずかに見せる表情や、仕草で見抜くというやつですか? ああぁバカバカしい。そりゃある程度、当たりもするだろうが、100パーセントじゃない、ほど遠い。私からするとほんと下らないね」
サイキック少年、ロクロウも早速デザートに手を付けていた。美味しそうにケーキのティラミスを平らげ、アイスもすでに半分ばかしが無くなっている。
食べながら好奇心に満ちた眼差しで。
「面白そうじゃん! さっきのスプーン曲げよりずっと。ムグムグ…ねえ……なんかやって見せてよ」
テーブルに肘をつき両手を握り口元に当て、少し考えているようなそぶりの後、ミスターモリヤは返事をした。
「いいでしょう。分かりました」
顔をウルフィラの方に向け、呼びかけた。
「あっ、メイドさん。すみませんが、ガラスのコップと水。えっと…水差しでも、ペットボトル入りでも大丈夫です。そして最後にあと一つ…無色無臭の毒薬を用意してくださいませんか? …………フフフッ冗談です、食塩を用意してください」
各々が自由に飲むために、テーブルにもミネラルウォーターとコップは置かれていたが、ウルフィラは改めて厨房からカートに載せて持って来てくれた。
モリヤは、皆から少し離れたテーブルの端に、水を同じぐらいに注いだガラスコップを二つ並べて置いた。
「いいですか? 一つは普通の美味しい水。もう一つは…あなたの命を奪う毒入り! まあ今回はしょっぱいだけですけれど」
ウインクをして続ける。
「どちらでも、お好きな方を自分で選んで飲んでください。私が、間違いなく恐ろしい毒の溶け込んだ方を飲ませます。自分の意思で選んでるようで、実はこのミスターモリヤのコントロールの元~選ばされているのです。さあ! どなたが挑戦しますか」
「はいはい!! おいら! おいらがやる!!」
勢いよくロクロウが手を挙げた。
「どうぞ、いいでしょう。当たり前ですけど選ぶのに舐めてはいけませんよ、フフフッ。コップを触るのは構いませんが、見るだけで」
モリヤの見せる笑顔に、確かに侮蔑の笑みが混じっていた。離れて静かに見つめる探偵の目にはそれが感じられた。
ロクロウは興味津々でコップに近づき色々な角度から観察する。それぞれ手に取り、ゆすって見たり。わずかに見える水泡に視線を注ぐ。分からない。全く同じようだ。
「ロクロウ君、当然、私は最初は君だと知っていましたよ。はい、そちら手前が怪しいと思っていますね? 少し手に取る時間が、ほ~んの少しですが……長い。きっと君は……選ぶんじゃないかと思います。とう~ぜん、私が毒を入れた方を」
「……」無言のロクロウ。
彼は少しズルをした。正確に言えばズルとは言えないが、少年の心の中のジャッジではそう感じた。自分の両手で持っているように見せかけ、こっそりサイコパワーで同時に持ち上げたのだ。もしかすると、食塩入りの方が濃度の関係で、少しでも液体としての粘度が高くなるのではと思ったからだ。僅かに同時に揺らすことで感じる感覚に賭けた。
しかし、分からなかった。サイキックでも万能ではない。精密機械でない以上無理だった。
たわい無いゲームなのに、嫌な緊張感がロクロウの背筋をなでる。
「……お、おいらは、こっちに決めた!」
「O.K~ぃ!! では飲んでください!」
何でもない遊び。だが、コップをつかんだ手に痺れが走り、水面がユラリユラリと揺れる。ごくりと唾を飲み込むと、おもむろにコップに口を付け一口飲む。
「ウガァアアアア!!」
ロクロウは口を押え、苦しそうに吐き出した!
「からぇええええ! ペッペッ! ちくしょう! 塩入れすぎだ!!」
自分の席の水を数口グビっと飲みながら、少年はモリヤに問いかける。
「えぇ~どうして? なんで? なんで分かったの?」
してやったりの表情で眉を上げ、モリヤは首をゆっくり振りながら笑う。
「おっと、それは企業秘密」
「次、私も挑戦してもいいかな? 一回限りじゃあ半分の確率で当たる、それって驚くことじゃあないよな? 全く」
ドクターが名乗りを上げた。
「おっしゃる通り! もちろん良いですよ。なので沢山コップを用意していただいてます」
そう言って、新しくペアのコップを準備した。
ロクロウと同じように、しばらく二つのコップを見比べる医師。彼の集中を途切れさすかのようにモリヤがお喋りを続ける。
「ほう~あなたの利き手は右だね、という事は……素直に近い右のグラスを選ぶのかな? あっ、そう言われたら逆に……エゴの強く、人の命令を嫌い、天邪鬼な性格で、左にしたくなる? いやいいんですよ、私の言うことなど気にしないで。左? 右? そうそう裏をかいて右で」
勝負の相手を鋭く睨みつけてドクター・Tが聞く。
「本当に、私が飲む方が分かるのか?」
「はい! あなたが選ぶ方が分かります」
スマイルを張り付けた顔でモリヤが即答する。
それを聞いて、何故か外科医の顔色が変わった。額に汗がにじむ。
「そうだな……作戦変更。…………こう言った手品は、長々話せば話すほど相手の術中にハマるってもんだろ……」
彼は言い終わらないうちに、さっとコップを取り、中の水を飲んだ。
「!!」
やられた、食塩水だ!
モリヤは当たり前だという顔で話し出す。
「ほらねぇドクター。言ったでしょう? 分・か・るって 次、誰か……」
「ちょっと待て!」
ハッと何かを思いついた医者が、すかさず遮った。
「?」はて何を急に? と、とぼけた顔を見せるモリヤ。
「そっちのコップ! そっちのコップを飲ませろ」
外科医の有無を言わせぬ声。
「そりゃまた? なぜ?」
この時点においても焦りを浮かべぬ相手に、いら立ちが募る。
(なぜ? とぼけるんじゃあねぇ、分かってるだろうが)
「そっちのコップの中身も塩水。つまりは『どちらもはずれ』じゃあないのか?」
酷いイカサマに気が付き、怒りが滲むまなじりでモリヤを問い詰める。
しぶしぶ、モリヤは無言のまま手元に残ったコップをドクターへ渡した。
ドクターはゆっくりとその水を飲んだ。
「!!!!」
「ほらねぇ」
「……み、水だ」
「そんな、つまらない……アホでも分かるトリックは使いませんよ、このミスターモリヤはねぇ…………チィッチッ、そこら辺の手品師じゃない……ウィザードなんですから~」
益々、笑顔に嫌味が入る。悦に入る彼のその態度は、客相手のショーマンとしては失格だった。が、どうしても嬉しさが隠し切れない。
少年は負けた上、疑問もさっぱり解けず、心無い奇術師を憎々しげに見つめる。
外科医は屈辱感を洗い流してしまいたいと続けざまにワインを飲む。
そこへ、こういうゲームに興味なさそうな人が手を挙げた。
「面白い! 面白いねぇ。あたしも挑戦したくなったね。いいかい」
それは老婦人のクナ・スリングだった。
「もちろん、いいですよ。たかが二回連続当たっても確率的には4分の1、25パーセントの確率で起きる事。ですよねぇ」
勝負に負けた二人の方を横目で見つつ、口角を上げモリヤは答えた。
「あたしはもう、どっちを飲むか決めている」
彼女の宣言にモリヤが、あからさまに眉を顰める。
「……そう、そうですか……」
今までと同じように、二つのコップを並べた。
心の読みにくい不気味な年寄り、スリングは攻略法を考えた。ランダムに選ぶ、当てずっぽうな選択に賭ける、つまりは、純粋に2分の1の確率勝負に出ようという作戦。
「そうなると……私が、こっちを飲んでくださいと言ってもダメなんですね……」
モリヤは一つのコップを、指を奇麗に並べた手でスッと前に押し出した。
ドッドッドッドッドドドドドド、得体のしれない圧を感じる。
「……」スリング婦人は目を瞑り、晩餐室の高く豪奢な天井を向く。
スウぅっと一息、ゆっくり吐くと……。
モリヤが差し出した方を手に取り。一気に飲み干した。
「くくくっ」
老婆は、心底、ゾッとするような眼光をモリヤに見せ、もう一つのコップを取り、口に近づけ、一口飲む。この婆さん詰めは怠らない。
「やるね、あんた。あんたの勝ちだ」
彼女が手に取ったのは食塩水。残りの方は間違いなく真水だった。
モリヤは勝利に酔った満面の笑みで食卓のみんなに声をかける。
「……いや~、偶然ですよ。2分の1の確率、でしょう? もう他に? 流石にもういませんよね……では…これで」
「あの~ 僕もいいですか? そろそろ出し物の流れ的には、飽きてきてしまう頃で……場の空気を読んでいないかもしれませんが……」
探偵マーヴェルが奥の席から手を挙げた。
「まあ、ショーのリズムとしては、まったくもって…ダメダメですね。…………でも、いいでしょう! 最後は名探偵との推理勝負と行きましょう。さあ! ホームズ君いらっしゃい」
マーヴェルが席を立ち、モリヤの方へ歩みを進めると、危惧していたように相棒のお邪魔虫クリスが言ってきた。
「うちうち! うちがやる~ やりたい」
「お前~お前は! 僕に何重も輪をかけた空気を読まない奴かぁ?! 言っただろ! 最後の勝負だって、このかっこいい名シーンが、まさに名探偵にふさわしく用意されたこの場面が! お前にはわからないの? 頼むから、大人しくしてちょうだい」
「ぶぅ~、うちやったら、絶対に、絶対に、絶対に負けへんのにぃ」
「近くで居てもいいから、口はチャック!! 真剣だからな!」
マーヴェルはブルブルと首を振ると、今一度気を引き締め、真面目なモードに戻した。
モリヤが今までと同じように、誰にも知られないようにコップを並べる。どう見ても全く区別はつかない。
二つのコップを見つめ探偵は静かに言った。
「ミスターモリヤ」
見つめたまま続ける。
「ただ勝負するだけじゃつまらない。せっかくなので何か賭けません?」
モリヤは軽く答える。
「いいでしょう。そうですね……例えば…………命とか?」
探偵マーヴェルは顔を上げ、ちょっと驚き。
「いやいや、それはあまりに申し訳ない。ほんのお遊びじゃあないですか……う~ん、そうだなぁ~」
小首をかしげ、悪戯な子供っぽい顔を見せる。
「では……何でも言うことを一つ聞くとかはいかが?」
探偵を見つめるマジシャン。
「何でも? 本当に何でも? …………まあいいでしょう。勝負しましょうか」
二人のメンタルデュエルが始まる。
「マーヴェルさん。あなたはどっちを選んでもいい。もう既に最初から決めていたのかな? スリングさんのように……、いやその顔、迷ってるね? ふむふむ、今までの3回の勝負、右右左、あなたはちゃ~んと見ていた、計算してた。私の癖を?」
「え~? そんなことはないですよ。そうでした? 今までの毒入りコップの場所はそうだったのか……、わぁ~気が付かなかったな~くそ~もう少し注意深く観察するべきでした」
「フフフ、フハハハ! 右、左、右ですよ! 知ってるくせに。そう! 私のような神経の細かい人間。細部にこだわる人間は、シンメトリーを好む、でしょ?」
「シンメトリー、対称性ですねぇ。……犯罪者。特に知能指数の高い、もちろん…一般的にね……そんな犯罪者に見られる傾向でもありますね」
「おっと、まるで私はシリアルキラーですか? フフフ、失礼なことをさりげなく。じゃあ、最初の思いのまま、当然! 左を選ぶんですね? 名探偵さんは? それともここまで言われると、裏をかいて違う方を?」
「台詞での印象付けですか? 裏の裏、裏の裏の裏。何でしょうね? まるで無限に続く思考迷路。この名探偵マーヴェル、表情に出ていますか? 戸惑いが」
「ですね。はっきりと」
答えは決まった。
「では、こちらを頂きます」
マーヴェルはコップを手に取った。
何故だろう。この孤島で奇妙なミステリー劇が演じられているならば、クライマックスなどまだ先のはずなのに、今この瞬間、全ての者の緊張感がピークに達した。
驚愕に震える。
モリヤは膝の上、手をそっと重ねた。
マーヴェルの大きな瞳、瞳孔が開く。
ため息が漏れる。
時が流れる。誰もが動かない。
マーヴェルが厳かに口を開く。
「ミスターモリヤ! 約束です。さあ! ロクロウ君と仲直りの握手を」
深淵の青い瞳。パチリとウインクを決めた。
食卓に、会話が生まれだした。それぞれ、デザートをゆっくり味わいながら紅茶やコーヒーを楽しみつつ。
まさに優雅なセレブリティの夕食会。
マーヴェルはクリスと語り合う。
「う~ん。ダージリンの素晴らしい香り。落ち着くねぇクリス君」
「…………この特徴的な香り、それを言うなら、アールグレイではないかしらマーヴェル君」
むせる名探偵マーヴェル
「ごっ、ごほごほっ!」
相棒は子供っぽく手をバタバタする
「~って、そ~んなことはど~でもいいんや! さっきの話よっ」
「いやいや今回は運が良かった。だって2分の1ですからねぇ~たった半分の確率。当たることもあります」
「悔しい! うち! 騙されてた~塩水の方飲んでた。選ばされてたわ(ムカッ)」
それを聞いて、思わず笑ってしまう探偵。
「笑うな~! なぁなぁ! なんで分かったん? 教えて、教えて」
「それは企業秘密………な~んて」
「お~い!! 名探偵の謎解きで、それを言ったら読者に殺されるで!」
「はいはい、おっしゃる通りで……。では、あの時何が起きたのか……種を明かせば簡単な事」
「?」
「ミスターモリヤは、ハッタリではなく、おそらく九分九厘当てる自信があった。つまり、マジシャンが用いるテクニックの一つ、誘導に相当自信があるという訳」
「誘導?」
「さりげない仕草や言葉で人の意思を動かし、自分で選んでるようで、実は選ばされてるという事。そこで……僕はそれを逆に利用した。クリス! お手柄。お前のおかげだよ」
「えっへん! ……って…うちが?」
「引っ付き虫のお前が、まるで自分がプレーしているかのように横で見ていただろ? という事は、お前は見事にモリヤに誘導されてたという事さ。後は簡単。僕にはクリスの心なんか、たとえ目隠しされても手に取るように分かる。お前の思うがままに操られてる気持にこっちも合わせ、そして……」
「最後に逆を選ぶ!」
「そういう事」
「うちみたいに一心同体、最強の相棒だからなせる技やね~(ハート)」
「え~何言ってんだか。お前は心の中の事をそのまま顔に描いてるぐらい顔に出ちゃう性格だから、これっぽっちも自慢にもならないんですけど~」
「フムフム……あのミスターモリヤ、鋼の精神力を持つと言われる、このうちを誘導するなんて、只者ではないわぁ」
マーヴェルはそれ以上言うのはやめて置いた。
そろそろ宴もお開きの時間となる。
最初は確かにとげとげしい雰囲気だったが、同じさだめを背負う者として、共通する思いもあり、この夕食会を終えることで多少打ち解け、お互いの壁が低く建て直された気がした。
各々の泊まる部屋に、分かれる時、誰かが冗談交じりに言った。
「孤島に集まった人々が、そしてみんないなくなるって話があるけれど。そんな事にはならない。何と言っても今回、我々には名探偵がついているのだから。そう、事件は起きない」
その夜、執事の姿が消えた。
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