パン売りたちのクリスマス

谷兼天慈

プロローグ

 クリスマスイヴの夜。

 雪がちらつく山間の道路を男は軽トラを走らせていた。

 彼は焦っていた。

 今夜は早く帰ると言っていたのに、結局こんな時間になってしまった。

 あたりはもう真っ暗だった。

 ただ積もっている雪が仄かにあたりを照らし出している。


「くそっ」


 男は舌打ちをした。

 彼は売れ残った商品に思いを馳せた。


「…ったく、こんな雪の日には売れないぜ、誰も出てきてくれねぇ」


 軽トラは音楽を鳴らしていた。

 それは、恐らく誰でもが聞いたことがあるのではないかという曲だった。


 バイエルピアノ教則74番。


 ピアノを習ったことのある者なら知らない者はいないという有名な曲だ。


(ちなみに作者の持っているバイエルの74番には花丸がついていて「とてもよくれんしゅうできるようになりました」と赤文字が書かれてある…ああ、先生は今どうしているだろうか^^;)


 この曲を鳴らしながらパンを売り歩くというのが、この男の仕事なのだ。

 朝早くからこのバイエル74番を流しながら車を走らせるのだが、天気がいいと誰もが出てきてくれる。

 彼のパン屋のパンはここらあたりでもおいしいと評判であるから、なかなかに売れ行きもいいのだが、恐らく都会とかだとこういう商売もあまり成り立たないかもしれない。

 というのも、山奥の村となると、なかなか麓の町まで買い物に行くのが難しいのだ。

 若い者であれば車に乗ってというのもあるだろうが、年寄りとなるとなかなかそうもいかない。

 だから、この移動販売のパン屋を何よりも楽しみに待っているじいさんばあさんがいたりするのだ。


「いつものアンパンはあるかね」

「はいはい、持って来ましたよ」


「おお、今日は珍しいパンがあるの」

「はい、これは新しく作ったたこ焼きパンです」


「頼んでおいたチーズケーキは持ってきてくれた?」

「はいはい、ここに」


 村全体がお得意さんという感じになっているのだ。

 ところが、麓など団地が並んでいる場所を走らせても、ほとんど誰も出てきてくれない。

 そういうところに住んでいる人々は、近所のスーパーなどで安いパンを買ってきているのだろう。


 そう。

 男が扱っているパンは高い。


 味に見合う高さではあるのだが、団地などに住む共働きの家庭などではなかなか買う気持ちも起きないのかもしれない。

 そんな高いパンを買うくらいなら少しでも貯金をして家を建てたいのよと、そういうことなのであろうか。

 まあ、それだけに限らず、そういう団地住まいの家庭というと夫婦子供という核家族であり、年寄りがいないというのも原因の一つかもしれないのだが。

 というのも、案外とパンを好んで食べるのも年寄りに多いからだ。

 休みの日など、彼はスーパーなどに妻とともに出かけ気付いたのであるが、ショッピングカートに寄りかかりながらヨボヨボと歩くおばあさんが、パンコーナーで熱心にパンを眺めて、それをカゴの中に入れているのをよく見かけたからである。

 そして、よく行く農家の家でも、いつも何千円分のパンを買ってくれるおばあさんがいたり、道を音楽鳴らして走らせていると、歩いているおじいさんに止められてパンを求められたりと、とにかく年寄り連中はよくパンを買ってくれるのだ。

 年金でお金を持っているというのもあるのだろう。

 孫に食べさせてやりたいという気持ちもあるだろう。

 だが、それだけでなく、自分たちもパンを食べるのを楽しみにしているようなのだ。


「うう…もうこんな時間か…」


 その時、男は腕時計に目を走らせた。

 すでに8時を回ろうとしている。

 普通なら、そんなに遅い時間というわけでもないだろう。

 だが山の夜としては充分遅い時間だ。しかも、夏ならまだしも、このように雪が積もる時期ともなれば、すでに真夜中のような情景である。

 通る車もまったくといっていいほどない。


「何時頃に帰るかとメールが入っていたな」


 7時頃に妻から携帯にメールが入っていた。

 この仕事をしていると夫婦の会話もほとんどない。

 そういうことで、彼は妻に携帯を持たせた。少しでも妻が淋しく思わないようにとの配慮である。

 彼の妻は精神的に弱いところがあり、本当ならもっと長い時間妻の傍にいてやりたいと思っていたのである。

 だが、半年前に勤めていた会社をリストラされ、藁をも縋る思いでこのパン屋に就職をした。

 やる気さえあればなかなかの稼ぎになる商売なのだが、朝早くから夜遅くまでの勤務で以前よりもっと妻の傍にいられなくなってしまった。

 しかし、この就職難のご時世だ。そんなことも言ってはいられない。

 だから、彼は出来るだけ妻と繋がっていられるようにと思ったのである。

 特に今日は、飼っていたハムスターが死んでしまい、彼女もすっかり落ち込み気味であったので、なるべく早く妻の元に帰ってやりたいと思っていた。


「仕方ない。持ち越しのできないパンは自腹を切って、あとは明日に持ち越すことにしよう」


 彼はそう呟くと、早々に山を降りることにした。

 もう誰も買ってくれるとは思えなかったことでもあるし。

 白い雪が舞い、視界はあまりよくない。

 右手には山肌に生えた木々に雪が積もり、時々タヌキがひょこっと顔を出す。

 そのタヌキがたまに道路に出てきたりしてヒヤリとする場合もある。

 そして、左手にはガード下に崖があり、こちらもカーブを曲がる時に慎重になったりする。


「そういえば、もうすぐ行くと五人地蔵が見えるよなあ」


 この先の道路脇に地蔵が五つ並んでいるのである。

 彼はたまにその地蔵の前を通るのだが、なぜか毎回通るたびに「無事全部売れますように」と心で呟いていたのである。

 すると、不思議とこの地蔵にお願い事をすると売れるのだ。

 時々お供えものとしてパンを置いておく場合もあった。

 だが、パンを売り歩くコースは毎日違うので、その地蔵の前を通らない日もある。

 そんな時はわりと売れ残る日が多かった。

 今日も行きはその地蔵の前は通らなかったのであった。


「まあ、だからといって今日売れなかったのがお地蔵さんのせいというわけでもないんだがなあ」


 彼もただの迷信だとは思っていたのだが、それでも何となくそういう不思議な気持ちになってしまうのであった。

 そして、次のカーブを曲がったところでその五人地蔵が見えてくるという場所までやってきた。


「あっ! 危ないっ!」


 道路にタヌキが飛びたしてきた。

 彼は急ブレーキを踏んだ。


───キキキキキキィィィィ!!!



----------------------------------


さあ

彼の運命やいかに?

三つのラストが待っています

あなたの好きなラストはどれかな?

いざ選ばん!!



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