第14話 ストーリー限界説

 昔、中島らも著のエッセイでメロディ限界説というものを読んだ記憶があります。音階の組み合わせは有限であり、なおかつその中でも人間の耳に聞こえて良い旋律やメロディと感じるものとなると相当に限定されてしまい、いずれは新しい音階の組み合わせは出尽くしてしまい枯渇する、、、といったような内容だったと思います。自分は音楽のことについては門外漢ですが、人間が聴いて心地よく感じるメロディの組み合わせというのは確かにある程度限られてはくるんだろうなという感じはしました。


 そしてこれは小説などのストーリーのパターンについても当てはまるのでは、と思ったのです。作ろうと思えば様々なストーリーを作れるかもしれませんが、それをを人間が読んで面白い、感動して心を動かされる、心に残る、といったものになると メロディ同様、ある程度そのパターンは限定されてくるのではないかと思うのです。勝手に「ストーリー限界説」という言葉を作ってみました。


 


 一例として、いわゆる死亡フラグというのもこの”パターン”なのだと思います。


戦争映画などで「この戦争が終わったら結婚するんだ」と言っている兵士は、間違いなく戦死します。

ホラー映画で深夜の墓場でいかがわしい行為をしているカップルは殺人鬼的なものに殺されます。

ゾンビ映画に出てくるヘリコプターは 墜落します。

ミステリーで、もうすぐ孫が生まれるとか言ってる定年退職間近の老刑事は、もう孫が生まれるの時点で完全アウト。孫が生まれる前に死にます。

「誰だ!…なんだ猫か…驚かせやがって」、ホッとした瞬間 猫じゃない何かに殺されます。

死兆星が見えたら、秘孔をつかれます。(これはなんか違うか)


 他にもあげれば、イヤボーンの法則なんかもそうでしょう。


 死亡フラグ や イヤボーンの法則は ストーリー全体のパターンというようりは 一部分の演出のパターン、という形と言えるような感じもします。




 ストーリー全体という観点からとらえるなら、起承転結や序破急というのも物語の骨子としてはおなじみですし、そういう構成は人間が読んで理解しやすいものです。

 構成がきちんできていないものは読んでも支離滅裂なものと感じ、心に残ることもないでしょう。


 ひぐらしなどでおなじみの「ループもの」。 死んだ後、直ちにセーブポイントまで時間が巻き戻って またやり直せるといったものです。リゼロは異世界転生とループものの複合ストーリーと言えるかもしれません。


 ボーイミーツガール、というのもよくあるストーリーだと思います。少年が少女と出会う。しかし少女に何か災厄が降りかかる。少年はその災厄を取り除いて少女を救い、2人は結ばれる、というものです(超ざっくり言って)。 ジブリ作品のラピュタや君の名は、など基本的なあらすじの骨子はこれになると思います。少女の方が主人公で少年と少女の立場が逆の場合もあるかもしれません。

 しかしボーイミーツボーイ というのは知る限りでは聞いたことがありません。ふ女子やある特定の層からは支持されるかもしれませんが多数派にはならない感じはします。ボーイミーツガールはあっても、ボーイミーツボーイ は ない(BLとかにはあるのかもですが)、というのは やはり多くの人数に受け入れられる話のパターンというのは限定されてくるのかなと思った要因の1つです。



 多くの人に受け入れられ 面白いと、感じさせる話のパターンの1つとして異世界転生ものもあるのだと思います。というか考えてみれば、異世界転生ものというのは 少年(中年もあり)が転生して、転生先で少女と出会う、というストーリーが多いわけですし、ボーイミーツガールの派生版とも言えなくはないでしょうか。ただしボーイ が一人に対しガールが複数という点が従来のボーイミーツガールと異なるところです。


 なんだかとりとめもなく 思いついたことを羅列してしまったような感じはしますが、要するに 「おもしろいと感じ 人の記憶に残りやすい」物語というものは似通ったストーリーになりやすいのではないかということです。




 事実、世界に残る神話なども 遠く離れた国同士で似た内容のものが多いということはよく指摘されることです。ギリシア神話と日本神話にも似た内容のものがよく見られる、、、など。


 比較神話学という分野の学問もあるそうです。世界中の神話をそのあらすじのパターンによって分類する学問です。その分類の1つに「ペルセウス・アンドロメダ型神話」というものがあります。ギリシャ神話の英雄ペルセウスが生贄となった女性アンドロメダを救い2人は結婚した、という型の神話です。日本神話でもスサノオがヤマタノオロチを倒しその生贄となっていたクシナダヒメを救って結婚したというものがありますが、これもこの型の神話に分類されます。というか ボーイ ミーツ ガールですよね、この神話。



 現代日本で生活していると忘れがちになりますが、昔はみんな文字を読めるわけではありません。こんな識字率ほぼ100%の国民がいる時代なんてむしろ世界の歴史的に考えれば 超イレギュラーな状態ではないでしょうか。つい近年まで文字自体を持たない社会や文明なんていくらでもありましたし。

 もともと日本は明治時代より以前から識字率の高い国だったらしいです。江戸時代には寺子屋教育などが一般の農民に対しても広く門戸が開かれ、諸説ありますが江戸時代の識字率は7〜8割くらいあったということらしいです。これは同時代のヨーロッパ諸国と比べても尋常でないくらい高い数値です。同時代のイギリスやフランスでもおそらく2〜3割程度だったらしいです。

(でも異世界の人たちって多分みんな字が読めるみたいですが)



 昔話や神話が後世に伝えられるのは、口承による部分も大きかったのではないでしょうか。また文字で書き留められたものもあったにしても現代のような大量に同じものを印刷する技術はなかっただろうし、失われやすいものだったでしょう。そのため主に口承により受け継がれていく話というのは、人の記憶に残りやすい、覚えやすいものだったというのは想像にかたくありません。そして人の心に残りやすい話は先述した通り、だいたい似たような話になってしまう、、、、という流れで世界中に似たような話が広まっていったのではないかと思うのです。

 聖書のノアの箱舟の話についても、同じような洪水伝説って世界中にあるらしいし。元ネタを遡れば、その編纂が古代オリエントの紀元前3千年くらいまで遡れるギルガメシュ叙事詩だとか。


 また、人間の脳の思考回路や感情の発露というものは 人種、民族、時代等とわず同じようなものだと思いますし、そこから生成される創作物というのはやはり一定のパターンに収斂されていくのかもしれません。





 君の名はや天気の子の新海誠監督もストーリーの発想を日本の昔話や古典などからも得ていると言われています。君の名の男女の中身が入れ替わる設定も日本の古典「とりかえばや物語」から発想のヒントを得ているそうです。

 「とりかえばや物語」は平安時代後期に成立した物語で ある貴族の兄妹が、男児が女の子として、女児が男の子として育てられる、、、とかいう内容のものです。

 そういえば、2回ほど映画化された映画「転校生」も男女入れ替わるような話でしたっけ。原作はもともと児童文学らしいです。入れ替わる男女は小学生だったけど映画化にあたり中学生くらいに引き上げられました。


 このように人を惹きつけるストーリーというか 物語の基本設定に よく似たものがあるというのは、人間の生来もつ感性が古今東西みんな似たようなものだということなんだろうと思います。

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