第19話
「えッ!」
「あれ、大将ご存知なかったですか? もう看板も何も残ってませんよ。あるのは屋台骨だけですよ。見て来てください」
「本当に?」
とみ子が小走りにふたりに近付き、目を丸くして訊いた。
「間違いないです」
「何処かに移転したの? それとも――いやあれだけ繁盛していたんだから潰れたということは考えられないわね」
「はあ」と、洩らすように営業マンは言った。
「もし新しい情報が入ったら教えてくれないか」
「わかりました。それじゃあ、今年もよろしくお願いします」
と挨拶をして、ふたたび勝手口から姿を消した。
営業マンが帰ったあと、仙造夫婦は急いで偉龍如があった場所に向かう。年が明けてから多少日が長くなったものの、冬の空はすでに暗くなりかけていた。遠くを見ると、灯りが少なくなっているような気がしないでもなかった。
店があった前まで行くと、営業マンが言った通り、店の中は薄暗いままでもぬけの殻になっている。移転先の張り紙も紙面の挨拶もなく、まったくあの華やかだった数週間前とは較べものにならないくらいの情景だった。
仙造ととみ子はしばらく呆然とその場に立ち尽くし、やがて顔を見合わせると、言葉もないまま店に戻った。
「なあ、とみ子、近いうちに偉龍如の新しい店を捜して行ってこようと思うんだが――」
「敵地視察ってとこね。――でもどこで店を開いてるのか知ってるの?」
「まあ、あれだけ流行っていた店だからどこかでやってるに違いない。どうしてももう一度スープの味を確認したいのと、できれば移転した
「そうね、正直いってあたしには細かいことがよくわからないけど、新しいスープが決まりそうだって言うから、愉しみにしてるの。一日も早く味が纏まるといいわね」
夫婦の会話の内容は、本人たちは気づいていないだろうが、ここ数ヶ月前のものとは雲泥の差がある。以前は経営の先行き不安からくる絶望感が言葉を湿らせていたが、このところは何かにつけて前向きな考えが会話の中に顔を覗かせるようになった。
いまの仙造の顔には、以前の暗く影を湛えたものとは違い、眼窩に何かを反射するような光芒が映っていた。
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