アウロラの魔王 ~12の夜魔を統べる『魔眼』を持つ、最強の王~

灯色ひろ

序章 どこにでもある悲劇

プロローグ ―茶屋の娘(上)―

 国境付近の峠に一軒の小さな茶屋があった。

 古くから冒険者や旅人の疲れを癒やす憩いの場だとして有名らしく、日中にここを通りかかる者の多くが足を止めていくらしい。実際、俺もこうして止めている。


「――おや、お若いご夫婦ですね」


 店から出てきた老齢の女性がそう話しかけてきた。店員ではなく、客のようだ。


「私もよくいただくのですけどね、こちらの茶屋の名物団子と茶は絶品ですよ。どうぞごゆっくり」

「そうですか。ご丁寧に教えていただき、ありがとうございます」


 頭を下げる。すると老婆は深く皺の刻まれた顔で「いえいえ」と笑った。


「そうそう、近頃この辺りで神隠しが増えているようで……『夜魔ノクス』の仕業という噂もありますから、どうかお二方もお気を付けて。私も、二人の娘が行方不明なもので……ずっと捜しているんですよ……」

「それはお気の毒に……。一刻も早く、娘さんたちがご無事に見つかることをお祈りしております」

「ありがとうございます。それでは……」


 会釈をして、ゆっくりと去って行く老婆。その背中は小さかった。


「――リゼル様」


 隣で長い黒髪の女性がうやうやしく俺の名を呼んだ。

 漆黒のドレスを纏った“妻”は、スヤスヤと眠る幼い“娘”を抱きかかえている。美しい貴族の女性が子を抱える姿は大変絵になるものだった。


 妻は俺に寄り添いながら言う。


美味しそうな・・・・・・匂いが致しますね・・・・・・・・


 店頭で『だんご』と書かれた旗が揺れる。


「――ああ。行こうか」


 俺たちは揃って足を踏み出した。




 店に入ると、すぐに若い女性が駆け寄ってきた。


「いらっしゃいませ! 二名……いえ三名様ですね! お早い時間からお疲れ様です。こちらへどうぞ!」


 ハキハキとした愛嬌のある若い娘の店員だ。

 俺たちは彼女に案内されて席に着く。やはり小さな店だ。

 開店から間もない時間ということもあり、どうやら現在の客は俺たちだけのようだ。場所が場所だけに、毎日そう多くの客が訪れるわけでもないはずだ。店舗の規模としては、客が十人入るかどうかというところだろう。木造の店自体もかなり年季を感じさせる。しかし、不思議と温かみのある良い店だ。長年、多くの旅人に愛されてきたのだろう。


 さっさと注文を済ませれば、女性店員は手際よく淹れた茶と団子と持って戻ってくる。


「お待たせしました。どうぞごゆっくりおくつろぎください!」


 お盆を抱えて微笑む店員。十分な接客態度であろう。甘いタレのついた団子は疲れた身体に心地良い。茶も良い味をしている。

 妻も茶をすすり、息をついてから言った。


「まぁ……大変美味しいです」

「ありがとうございます! 貴族の方にお褒めいただくなんて……えへへっ、きっと祖母も喜びます。お茶も団子も、祖母に習った自慢の味なんですよ!」


 はにかみながら嬉しそうに答える店員。

 妻が子を抱えたまま続けて話しかける。俺は黙ってそれを聞いていた。


「さすがは人気の茶屋ですね。道中に噂話をお聞きしましたが、『夜魔』の襲撃でお祖母様を亡くして以来、お一人でこの店を守られているのだとか……ご立派ですね」


 人当たりの良い、清楚で落ち着いた喋り方だ。まさに貴族といったところだろう。

 女性店員はどこか寂しそうに笑った。


「いえいえそんな! なんとか毎日頑張っているだけで、ギリギリなんですよ。とても祖母のようには上手く出来なくて……。お婆ちゃんには、まだ教えてもらいたいことがたくさんあったのですが……。あ、ご、ごめんなさい急にこんなお話を!」


 笑顔のまま、瞳に光るものを浮かべる店員。湯飲みを掴む俺の手に思わず力がこもった。


 今度は俺から話しかける。


「心情お察し致します。ですが、これほどの味ならば問題はないと思います。中も良い雰囲気ですし、これからもこちらが繁盛することを願っております」

「お客さま……あ、ありがとうございます!」


 俺が微笑みかけると、女性店員はペコリと大きく頭を下げた後、俺たちに対して眩しいほどの笑顔を見せた。一切の邪気はなく、あどけなさの残る少女らしい“完璧な笑顔”だ。


 今度は店員の方から話しかけてきた。


「あのう……ところで、お二方は大変お若く見えますが、ご夫婦でご旅行ですか? とっても可愛らしいお子さんですね!」


 俺は隣を見ながら返す。


「ええ、そうなんです。別荘へ向かう道中でこちらのお店を見つけまして、少し休憩をと。どうやら正解だったようです」

「まぁ、そうだったんですね! 馬車の音も聞こえましたし、ご立派なお召し物でしので、貴族様に失礼のないよう気をつけていましたが、だ、大丈夫でしたでしょうか」

「それはもちろん。妻も、大変満足しているようです」

「はい。大きな街にも引けを取らない味ですね。素晴らしいです」


 妻が言うと、店員はホッとしたように落ち着いた表情を見せる。

 俺はさらに話を聞いた。


「ですが、一度『夜魔』に襲われた店に一人というのは危険ではありませんか? やつらは残忍で狡猾です。ここを離れたほうが良いと、個人的には思いますが」


 すると、店員は力強くこう返す。


「ご忠告、ありがとうございます。けれど……祖母の残してくれた大切なお店は、絶対に守りたいんです。ここは、私にとって特別な場所だから。そのためなら、『夜魔』になんて負けられません!」


 ――夜魔。

 それは人の世界に紛れ込む怪物。人と魔族の力を合わせ持つ異能の存在。名前の通り、夜の世界では他を寄せ付けない圧倒的な力を持つ『悪魔』たちだ。やつらは多種多様な力を持ち、人を食らうため、この世界中に蔓延っている。よほど腕の立つ冒険者だろうと、数百年前にこの世界を救った勇者であろうとやつらには勝てない。恐ろしい相手だ。そんな相手にも怯むことのないこの店員の決意は見事なものだ。


 ――本当に。

 きっとこの店員は、祖母想いの、素晴らしい女性だったのだろう。


「……ここはとても良い店ですね。是非、また立ち寄らせていただきたいと思います。どうか、夜魔にはくれぐれもお気を付けて」

「はい!」


 俺の言葉に、店員がにこやかに答えた。



「でも、ご心配には及びませんよ。だって――死ぬのはあなたたちですから」



 妻が子どもごと倒れた。テーブルの湯飲みが床に落ち、激しい音を立てて割れる。


 毒だ。


 それに気付いたとき俺の目の前が暗くなり、意識が、途切れて――いっ――――――。


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