第六十五話 帥正

 ハヤヒたちの使節が帰った後、帥鳴と張政、そして護衛のカラオは宮の中に残って重苦しい空気の中にいた。

 本当であれば早々にこの砦を出立し、王都へと帰還するべきなのだが、どうにもそんな気にはなれなかった。帥鳴と張政はまるで敗軍の将のようにじっと目を閉じ思惟している。カラオはそれをはらはらと見守りばかりであった。

 漢語で沈黙を破ったのは、帥鳴である。


「あれは、いけない」


 深い呼吸をした後、いつになく低い声で大王は呟いた。その顔はどこか白さを通り越して青く見える。


「凡庸な王子であれば、事が片付くまでは彼の地を任せようと思っていたけど、あれは優秀すぎる。張政、あんたにはどこまで見えている?」


 帥鳴が聞いたのは、いうまでもなく、倭国の今後の予想図である。張政は大王の前に掌を組んで跪くと、顔を上げた。


「帥大様が大王の後を襲った後、次の太子は誰かという事になりましょう。普通であれば、ここで諸侯から妃が送られ、生まれた王子の間での太子の座を巡っての競争になります。ですが、その王子たちに先んじて誕生している帥正殿は、まさにその筆頭となります。加えてあの聡明さ」

「結論だけを言いなさい!」


「いずれ、帥正様が倭国の大王となりましょう」


 その言葉に帥鳴は一瞬表情を強ばらせ、勾玉の首飾りを揺らしながら大笑いした。


「それがどういうことかも分かる? 帥正の養母は豫国のククリ。実母は熊襲のクマナ媛。そして熊襲で生まれ育ち、ククリ殿に育てられた。この倭国が、豫国の女と熊襲に乗っ取られることになるのよ! ああ、なんておかしいの。なんて皮肉なの。かつて私は帥大とククリ殿を夫婦にさせようと思った。豫国の巫女を、ククリ殿を女王にするわけにはいかないけれど、帥大と結婚させて子どもを作って王に導けば、、その母として使命を果たせるだろうと言ったのよ。でも、そこにまさか熊襲の血が混じり、あれほど聡明な王子が生まれるとは。しかも帥正は十一、実質、山門国の女王はククリ殿ということになる。もし、あの女が長生きすれば、倭国と熊襲、そして私が征服した出雲と半島すべてがあの女に取られるのよ!」


 巫女に、女に、ともう一息哄笑すると、帥鳴は近くにあった器をたたき割り、鼻息を荒くして張政の漆黒の瞳を睨んだ。


「戦をする大義を考えよ。山門国を攻める。半島と出雲から出来るだけ兵を集めて、総攻撃をするのよ」


 いつもなら、すぐさま御意というはずの太師は、この時ばかりは銀色の睫を伏せたまま、いささか反応が悪かった。


「つまり、山門の、身分卑しくとも、病を得ようとも、彼の地にて励んできた無辜の民を巻き込むという事でしょうか」


「向こうが、帥正かククリを引き渡せばそんな事にはならないわよ。でも、今後のため私は倭国の大王として、出来るだけ多くの兵と民の前で、自分の力と相手の不当性をしめさなくてはならない。ここで帥正とククリ殺すかおとしめておけば、倭国大乱が再び起こる」

「・・・御意でございます。では、戦をせずとも、万民の前で大王の威光と正当性を示し、帥正殿とククリ殿を敗北させれば良いわけですね」

「その通りよ」


 張政は漆黒の瞳を開き、銀色の髪を揺らして王の玉顔を拝した。


「ならぱ、私に策がございます。相手も必ずやその策に乗るでしょう。そしてどうか大王には、私と来て頂きたいところがございます。この倭国の弥栄のためにも」

 張政は宮に入ってくる光と影に目を移し、それから戸口からわずかに見える青い空を睨んだ。

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