第六十二話 ミソノ

「全く、年寄りたちには困ったものだ。あんな時代遅れの考えで、この先倭国を守っていけるものか。さあ、静まれ。朝議を進めよう。この度、倭国と熊襲の中立地となっていたアワギハラだが、彼の地に豫国の巫女であるククリが帰ってきた。そればかりか、アワギハラに残っていた巫女たちや、王都から追い出した巫女たちがまとまって、鬼道で民を惑わし彼の地を掌握したのだ」


 帥鳴は小賢しいと、不快感を露わに鼻を鳴らした。

 元々あの地は、その利用価値の高さから倭国も熊襲も狙っていた場所であり、双方とも兵を多くおけない場所ではあった。もちろんお互いすぐ近くに砦を構えてはいたが、人の数もそれほどではなかったし、アワギハラ内部の兵など指揮官とその部下が二十人ほどだった。これは熊襲側とて同じである。お互い、この地がどちらのものかという明確な言及は極力避け、とにかく双方の兵と民がいられるように神経をすり減らしていたのだ。


 あの地では、自然と倭国の民と熊襲との交流も盛んだと聞いていた。将来的には、最前線の拠点としてでは無く、恒久的な中立地帯というのもあり得ると考えていた。

 だが水面下で、張政の登場によってうち捨てられていた巫女たちは、人々の人心を掌握し、倭国熊襲が配置していた兵まで取り込んでしまった。


 巫女が、女が、なんと薄気味悪く狡猾な事だろうか。帥鳴は拳を握りしめた。


「ですが大王、しょせん彼の地の兵は少数です。相手が裏切った者たちや、現地の男たちを動員したとしても、この王都の兵だけで十分に攻め滅ぼす事が出来ます」

「戦だけの問題ではないのだ。こちらが本格的に兵を出せば、熊襲側とて黙っておらぬだろう。それに実は、妙な噂を聞いた・・・もしそれが本当だとすれば、厄介な事になる」


 変事を告げる竹法螺の音が朝議を中断させたのは、帥鳴が目を細めて苦々しい表情をしたその時である。


「至急、大王にご報告申し上げます!」


 駆け込んできた少年の名はカラオ。大王が葬祭で出会い、初めての美豆良を結うのに立ち会った下戸(平民)の少年だった。カラオの直属の上司であるワカタが、矛の石突き(持つ部分の底)で床を叩いてどうしたと大声で尋ねた。

 カラオは素早く跪いてから、高い声で答える。


「たった今、アワギハラから、巫女ククリの使者がやって参りました!今、待たせております」


 その言葉に男たちは顔を見合わせ、宮の中は騒然となった。血の気の多い者はすぐさま斬り殺そうと言い出した。


「静まれ。手出しする事は許さぬ。カラオ、使者を通すが良い。皆の者、とりあえず話を聞こうではないか」


 帥鳴は踵を返し、再び壇上の椅子に腰を下ろした。

 カラオが通した使者は白髪の交じったふくよかな女と二人の男である。後の護衛は宮の外で待機しているらしい。

 女は白衣に赤い帯、白玉の首飾りをしており、威風堂々とした態度、見た目の年齢からにしても、高位の巫女にまず違いなかった。男たちは若く、熊襲の顔立ちである。

 実質の使者はこの女だろう。

 女は睨む男たちの視線に小気味良いような笑みを浮かべると、顎を上げて静々と前に進み、壇の下で優雅に平伏した。


「お初にお目にかかります。わたくしはミソノと申します。ククリ様の使者として参りました」


「豫国の巫女か」


「然様にございます。出雲が筑紫にいた頃、アワギハラではお目通り叶いませんでしたが、ククリ様とともにずっとあの宮におりました」


 ミソノの口ぶりは、どこか棘を含んだ物言いであった。


「この度、我らが長であるククリ様が、長きの旅路よりご帰還なさいました。つきましては、彼の地の統治を行う事を、倭国王にもお認め頂きたいとの事です」

「何を言うかと思えば、ふざけた事を」

「我らには、正当性がございます。ククリ様が母としてお育てした御子、ハヤヒ様は倭国の太子であられる帥大様のご子息なのです」


 王宮の中にさらなるざわめきが起こり、人々の視線は帥大の父であるアマツミ族の長老に一斉に集まった。当然、帥大の叔父でもあるアマツミの長老とっても、寝耳に水の話である。これがどういうことか理解して、彼は顔を左右に動かしながらも冷や汗が止まらなかった。


「・・・母は、ククリ殿か?」

「いいえ、倭国王。母君は今は亡き熊襲の姫君、クマナ媛様です。本当に、父君にも母君にも似た聡明で美しい男の子(おのこ)でございますよ」


 ミソノが口元に袖を当ててほほっと笑うと、一同のざわめきはぴたりと止まって静まりかえった。アマツミの長老は、言葉を失って震えている。


 落ち着いているのは、予め噂を聞いていた帥鳴だけだった。


「倭国と熊襲の王子か・・・。それが本当なら、養母であるククリ殿が息子のためにアワギハラを寄越せというのも筋ではあろう。だが、証拠はあるのか。その子どもが、間違いなく倭国太子帥大の子であるという証拠は」


「天地(あめつち)の神々はいつでも見ており聞いており、ご存じですわ。畏れ多くも倭国の王子を騙るという大罪を犯す者などおりません。それはさておき、父君であられる帥大様に直接お尋ねになればよろしいのです。熊襲の姫と男女の仲になったことはあるのかと」


 振り向いて自分に向けられたミソノの視線に、アマツミの長老はひえっと声を上げた。


「ふっ、仮に帥大がクマナ媛と契っていたとしても、淫らな熊襲の女の事、別の男の子がもしれぬぞ」


「お顔立ちを見れば一目瞭然でございます。とはいっても、要は帥大殿が我が子とお認めになるか、そして帥鳴様が孫とお認めになるかということでございましょう。ですがこれは倭国にとっても熊襲にとっても、決して悪い話ではございません。今倭国が出雲と半島に兵を出しているのは周知の事。当面そちらに集中したいのは誰でも分かる事です。争いを望まぬのは熊襲とて同じなのです。不安定な最前線のあの地を、倭国王と熊襲王の血を引くハヤヒ様が治める事になれば、両国にとってこの上ない落としどころでしょう。そして時期が来れば、倭国と熊襲との緩やかな同盟も恒久的なものにすることが出来ましょう」


 ミソノの言葉に男たちはおおっといって感動し始めた。

確かにその筋書きは、倭国にともっても熊襲にとっても最良なのかもしれない。今は双方の血を引く王子にあの地を任せておけば、今よりももっと積極的な開発をしてくれるだろうし、倭国は出雲と半島、そして黄海渤海に集中する事が出来る。そしてそれらの事を成せばもうこっちのものである。圧倒的な力に物を言わせて、アワギハラも筑紫南部全てを倭国として併合すれば良い。巫女たちはせいぜいその時まで、あの土地を肥やしてくれれば良い。もっとも、どんなに田畑を開墾し人を増やそうとも、大国となった倭国の敵ではないのだ。


 男たちが将来を想像して喜色を浮かべる中、帥鳴はまた人差し指を顎にやって思案した。


「・・・なるほど。まずは会ってみるとしようか。だが・・・話が進めば一つ問題がある」

「なんでしょうか」

「倭国の伝統では、王子は王都の王の下で養育される決まりになっている。各部族の娘に産ませた子の、忠誠心を育てるためだ。私と太子がハヤヒという王子を認めれば、ククリ殿はその男の子をこちらに送る用意はあるのか」


 ミソノのそれまでの勝ち誇った表情が引きつった。


「これは・・・倭国王ともあろうお方が、なんともお古い。王都で王子を養育するしきたりは存じておりますが、それはもはや意味はないでしょう」

「なんだと」

「かつて、王都で育った王子たちは、出雲と通じる大罪を犯し、王自ら罰を下しました。王都で養育し、忠誠心を育むというしきたりはそれほど有効には働いていなかったようですもの。それにハヤヒ様はもう十一。養育が必要な歳でもございませんわ」

「では、会う事ぐらいは出来よう」


 ミソノは背筋をさらに伸ばして言った。


「もちろんです。ですが、この王の宮で会う事は難しいかと存じます。ハヤヒ様は熊襲の王子でもあられるのです。いくらハヤヒ様自身がお爺様に会う事を望もうと、熊襲の王子が倭国の王宮に出向き、王に頭を垂れるのを熊襲が許すはずがありません。その逆をお考え下されば、ご納得頂けるはずです」


「ではどうしろというのだ。まさか私がアワギハラまで出向けというのか」

「まさか。倭国王にいらして頂くなど、とんでもないことでございます。熊襲の王とともにというのなら分かりますが」


 帥鳴はその様を想像して、こめかみに青筋を立てた。それではまるで、倭国と熊襲の王が、子どもに引見されてようではないか。しかもその理屈を使えば、アワギハラの王子は、倭国王にも熊襲王にも頭を下げずとも良い事になる。

しかし周囲の男たちは、そこまで想像が出来ないのか、なるほどと頷き合っている。帥鳴は肘掛けを握りしめた


「アワギハラと王都の間にある砦か、野営地でお会いになるのが一番でしょう」


 帥鳴は椅子の肘掛けにさらに力を込め、爪を食い込ませた。。なんとも癪に障る女、そして話だろうか。だが、筋は通っており、背後にいる熊襲という憂いを一切排除して半島と出雲に取りかかる事が出来れば、黄海渤海という野望も断然現実味が帯びてくる。


 ここは冷静にならなくては。出来るだけ勿体つけつつ、すぐにアワギハラをハヤヒという少年に熊襲を押さえさせるのだ。自分がすべき勝負はそこからである。

 帥鳴は苛立つ心を抑えながら、日取りの相談を提案した。


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