第六十話 嵐の夜の誓い

「姉上」

 ククリが返り血で濡れた短剣の柄から手を離した途端、宮にクマギの声が響いた。嵐の音を背にする彼の声は震えており、今ここで何が行われたのかを瞬時に理解しているようである。なぜここにと思った瞬間、ならばハヤヒも来ているはずだと気がつき、ククリは思わず叫んだ。

「クマギ! ハヤヒに見せてはいけない!」


 クマギは口を開けてはっとし、すぐに振り返り後ろに立つハヤヒの首を叩いた。訳も分からないまま気を失うハヤヒはクマギの腕に倒れ込む。

 素早く宮の壁にもたれさせると、クマナギはすぐに立ち上がって再び姉の姿を見た。


「そのお姿は・・・一体ここで何があったのですか」

 ククリは目を伏せたまましばし黙っていたが、静かに息を吐き出すとサラ婆の手を握って流し目で弟の問いに答えた。


「見ての通り。私が殺した」

「なんと言うことを。あなたは父上を!」

「この人は、私を娘だとは思っていなかった」


 改めて言葉にすると、心がかきむしられるようだった。自分は一体、何を信じ、あの男に何を求めていたのだろうか。絶命して動かなくなったイサオを見ながら、ククリは呆然となった。

もう骸は何も語らない。イサオに言ってほしかった言葉も、与えてほしかったものも、捧げたかったものも、全て叶うことは無いのだ。

すると今度は無性に可笑しくなってきて、額に手の甲を当てると声を上げて笑い出した。


「あはははっ・・・・あははは・・はあはあ・・・・こうしなければ私が殺されていた。それはお前も知っているだろうに」

「だから・・・だから私がお守りしたかった! 守りたくてここに来たのに!」

「そんな事は無理だった!」


 屍だらけの宮に、ククリの声が響いた。


「お前では、イサオを説得することも、族長たちを制することも出来なかった。私を守ると言うが、もし父上がお前の説得に応じなければどうしていた? 私を守るため、実の父を切る覚悟があったのか? 違う、結局は押し切られて、お前は何も出来なかった。お前はまだ弱い。男としても権力者としてもまだ力が無い。だから私が自分で。あはは」

「だからといって・・・これからどうするおつもりですか」

 ククリは 涙にまみれながら、一つ大きく息を吸い込んだ。

「ここを密かに出て、アワギハラに行く。すぐには難しくとも、必ず行く。あそこをハヤヒの国にするのだ」


「そんな事、倭国王は認めるはずがありません!」

「この子には、倭国太子帥大と熊襲のクマナ媛の血が流れているのだぞ。その資格は十分にある。倭国と熊襲が所有を巡って争っているあの地に、この子以上にふさわしい者がいようか」


「正統性はありましょう。ですが、そんな事を倭国王が認めるはずが無いではありませんか。そんな事を宣言すれば、すぐに兵が送られアワギハラは無理矢理倭国の物になってしまいます」

 クマギは拳を振り絞って姉に訴えたが、彼女は表情無く答える。

「いや、倭国は今、出雲と半島に人をやっていて、王都にはそれほど戦える者がいない。アワギハラに留まっている者が戦えば、あの地は守れる」


「それも一時的な事です! 状況が落ち着き、倭国王が兵を招集すればどうなりますか」

「だから、クマギ、お前が熊襲を治めるのだ!」

 まるでまじないでもかけられたように、クマギの心の臓は早く脈打った。


「今夜、熊襲はイワオをはじめ重鎮のほとんどを失った。これからこの地で、どれほどの混乱が起こるかお前にも分かるだろう。だから、お前は父や族長たちの死をできる限り外部に隠し、いち早く熊襲を掌握しろ。そして、いずれはアワギハラに駆けつけて、私を助けておくれ。クマギ、それが熊襲のためでもある」


 ククリは義弟そっと近づくと、震える唇を重ねた。


「クマギ、どうか頼む。私を、愛してくれているのなら、熊襲の王になれ。私はアワギハラで女王になる」

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