第七話 姉の決断

 ナルが姉のククリと共にこの鶴亀の里に来たのは、まだ五歳の時だった。

 元々王都から東の村に暮らしていたのだが、葦野川という大きな川の氾濫で家族を亡くして困窮していたところを、巫女団に拾われたのだ。


 葦野川という川は、豫国を網羅するとてつもなく広い水系のことである。葦野川は豫国の生命線として、農耕に励む民達ばかりではなく、獣や草木など数多の生命に大きな恩恵を与えているものだが、それと同時に数多くの水害を与える恐ろしいものでもあった。


 今までミカドの命の下、何度も堤を築くなどの治水工事が行われているのだが、一度この川が暴れ出すとどんな堤も打ち砕いて、人も家も作物も全てを蹂躙して流れてしまう。まさに巨大な蛇が暴れ狂うようだった。


 この水系の本川あたりに、ナル達の村はあった。両親や親類を水にさらわれ、非難してきた村人達と共に悄然としているところに彼女たちが声をかけてきた。

 

 巫女団は年に何度か各地を回って、孤児の中で巫女として見所がありそうな娘を引き取って育てている。豫国の国人であれば、この国で巫女がどれだけ尊い存在であるか知っているから、よっぽどの事情がなければ親は喜んで子どもを預けるのが普通である。

 

 巫女団に望まれれば、親を亡くしたナル達が巫女団へ入る事は自然の流れだった。

 当然の事ながら、その時将来を期待されていたのは姉のククリだった。ナル達の村に派遣された巫女は、一目でククリのずば抜けた才能を見抜いたと語っている。それほど、ククリの聡明な佇まいと冷気を帯びたような美しさは他の者を放っておかないものだった。

 一方ナルはといえば、ほとんど期待されていなかった。というより、数に入っていなかった。ククリを連れて行こうとしたところ、幼い妹を一人おいてはいけないというので、仕方なく妹も引き取るという事になったのだ。つまり、ククリのおまけだったのである。


 里に着いてからも、ククリは幹部達から直々に巫女としての指導を受け、多くの知識を暗記し作法を身につけ、めきめきと頭角を現していったが、ナルは里に馴染み、友人達をつくるので精一杯だった。しかし決してそれが辛かったというわけではない。優秀で美しい姉は自慢になったし、里で出来たレイやサキといった友人達も、今では無くてはならない大切な存在だ。巫女の修行も幼い頃から里にいるせいか少しも辛いと思ったことはなかった。


 美しく優秀すぎる姉は、常にナルの目標であり、目の上のたんこぶだった。いつも比較されるのは忸怩たる思いだったし、そのうち比べられることすらなくなると、今度は悔しいという感情をはっきりと覚えるようになってきた。


 いつか、自分も姉のようになりたい。いつの頃からかナルの心にそんな気持ちが芽生えていた。


 その日、いつも通りであれば里中の者の朝は遅いことになっていた。春迎えの儀式は全てを合わせると夜更けまでかかるため、いつもは早朝からお勤めがある巫女達も、この日ばかりはそれぞれの家でゆっくり休むのである。


 しかし、当然今年は事情が違った。昨日のサクヤの話は、極秘とされながらも一夜のうちに里中に知れ渡っていた。

 儀式の疲れなどどこかへ吹き飛んだかのように、朝から巫女達の間では話題となり、一体誰が倭国に送られることになるのか、その後の里内の人間関係、そして果ては倭国の若き王子について、とにかく凄まじい盛り上がりを見せている。

 しかしナルは日が天高く昇っていても、未だ床の中だった。その為、彼女を呼びに来た同年代の巫女達は、その寝姿に呆れるばかりだった。


「もう! ナルったら、里の中がこんな騒ぎになっているというのに、よく昼まで寝ていられるわね!」


「本当に呆れてしまうわ! ナルときたら、昨日の春迎えにも参加していなかったでしょう? 倭国王子と王都からの使者の一件でうやむやになっているけれど、もし誰かが思い出したら、お咎めは免れないわよ?」


 ナルと同い年のレイとサキは、呆れながらもどこか親しみを込めた口調で彼女を寝床から引っ張り出した。寝ぼけ眼のナルは、甕の水で顔を洗いながらしょうがないじゃないかと心の中で反論した。自分は昨日、本当に大変だったのだ。朝の闖入者に始まり、夜の森での一件、里の誰よりも先に使節団と遭遇して、その案内、里の重鎮達と並んでの会合・・・。肉体的にも精神的にも、昨日里で一番疲れていたのはたぶん自分だったではないかと、ナルは思う。 


 案の定、昨日の夜はいつ眠りについたのかも、よく覚えてはいない有様だった。


「それよりも、ナルあなた大変ね」

 顔を洗い終えたナルは、随分と間抜けな顔でサキの方に振り向いた。


「どういうこと?」


「昨日の話よ。倭国に、巫女を派遣するんでしょう?」


「えっ、何故それを知っているの?!」


 レイとサキは、もう!という風にじれったそうだった。ナルが眠りこけている間に、昨日の一件は里では既に誰もが知るところとなっているのだ。


「そんなのもう誰でも知っているわよ。それより、その人選よ。誰が行くことになると思う?」

「もう決まったの?!」

「いいえ、でも、もう何名かが候補に挙がっていると聞くわ。そして最有力なのがククリ様なのよ」


 ナルは冷や水を浴びせられたかのように、一気に頭が覚めた。


「姉様、どうして姉様が!姉様はサクヤ様の後継者でしょ?!」

「声が大きいわ。その事は暗黙の了解とは言え、口に出すのはだめよ」

 レイの窘めに、ナルはあっと口を塞いだ。レイはそのまま小声で続けた。

「そう。私たちもそう思っていたわ。でもここで事情が変わってきた。だって、倭国で巫女を育成する、しかも自身は倭国の女王候補となるのですもの。よっぽど優秀な巫女ではないと、務まるはずがないじゃない。その上、倭国への道のりは、決して平坦なものではないし、海だって越えなければならないのよ。そういったことも考えれば、若くて健康な者である方が適任だわ。そうなると条件を満たす人間は、限られてくる」


「けど、仮に姉様が適任だとしても、その・・・この里の将来のことも考える必要があるんじゃない?今、この里で姉様がいなくなってしまったら、次の大巫女が誰とかではなくて、特別優秀な巫女を失うことになるのよ。正直、イワナ様などでは後継者になれるはずもないし・・・」


「ちょっ、それこそ口に出してはいけない事よ!」


 レイとサキは、慌ててナルの口を塞いだ。


「あの婆さんの耳は、里中にあると言われているのよ。目をつけられるようなことは言ってはだめよ!」


 二人はナルを取り押さえると、そのままその場に倒れ込んだ。三人はもつれ合ったような形になり、間近で顔と顔を見つめ合った。


「ともかくね、私たちが心配なのは、もしククリ様が倭国に行くことになった時、あなたまで行く事になるのではないかって事よ」


「ナル、倭国になんか行かないよね。私たちとずっと一緒よね?」


 もし、ククリが倭国に行くとなれば自分はどうするだろう。付いていくのか、それとも。友人の潤んだ瞳をよそに、ナルは自分に問いかけた。


「私、姉様と話さなきゃ!」

 ナルは少女たちと身体をほどき合い、慌てて立ち上がった。

「無理よ。今、ククリ様は他の候補者たちとサクヤ様のところに呼ばれているわ。私たちでは目通りは許されない」

 そういえば、ククリは昨日家に帰ってきていないことに気がついた。元々仕事で家に帰ることの少ない姉だったが、話す機会があるとすれば昨日だったのである。なんとかあの後、姉と話をするべきだったとナルは後悔した。

 ナルはレイとサキをおいたまま、家の外に飛び出した。

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